縁あってありがたいことに非ドメイン型バイオポリマーの学術変革(A)のメンバーとしてサポートをいただいています。その領域ホームページに掲載されているエッセーを日記として再掲しておきます。私の研究テーマである、生殖細胞特異的な非ドメインオルガネラのヌアージュとの出会についての語りです。

ヌアージュとはフランス語で「雲」を意味し、フランス人研究者である André と Ruiller によって名付けられました(Andre J, Rouiller CH (1957) L’ultrastrure de la membrane nucléaire des ovocytes de l’Araignée, Proceedings of the European Conference on Electron Microscopy, Stockholm, 1956, Academic Press, New York, pp 162–164)。この構造体は核膜近くの細胞質側に存在し、不定形で電子密度の高い非膜オルガネラです。今ではピンポンサイクルによる piRNA 生合成の場として機能していると広く認識されていますが、私が初めてその名を知ったのは、2004年のことでした。

私は昔から RNA が好きで、博士課程では大腸菌に感染する T4 ファージを用いて、RNA 分解抑制が外れてしまった変異体の解析をしていました。PhD を取った後、紆余曲折を経て、アメリカ東海岸のボルチモアにあるカーネギー研究所のポスドクに落ち着きました。 モデル動物で RNA 研究 and/or 生殖細胞の研究をしたかったので、Andy Fire 博士や Geraldine Seydoux 博士にもコンタクトをしましたが、人気ラボなので当時は空きはなく。。。しかしダメ元で連絡をとってみた Allan Spradling 博士から、何がよかったのか面談の後、オファーをいただき、晴れてカーネギーのポスドクとなったのでした。

カーネギー前研究所長である、我が師・Allan は2年前に御歳70を迎えましたが、いまもってバリバリの現役です。Allan はアメリカでは PI を多く輩出している研究者として業界では尊敬を集めており、その独特な人柄を慕うファンも多いのです。しかし、2019年のアラン誕生日シンポジウムの参加候補者リストを確認してみましたが(弟子や関係者;100人強)、なんと日本人は私一人。。。。彼は「ワシは日本人には嫌われておるのじゃ。。。」とかつてボヤいていましたが、本当の理由は不明です(これを読んだ若い方、ぜひ、二人目になってください!)。

ともあれ、以後、6年に渡ってカーネギーで生殖幹細胞の仕事をしていたのですが、ジョブハントを始める頃に、ふと思いたって、生殖細胞にしか発現していないタンパク質の抗体をいくつか作って免疫染色をしてみたら、奇妙な局在を示すものがありました。なんじゃこの核膜に並んだツブツブは???

「Allan、なんだと思う、コレ?」

「、、、ヌアージュってやつだな、、多分、、、」

共焦点部屋でモニタを見つめながら、なんだかんだと(いつものごとく)好きなことを言って去っていく Allan。「知ってはいるけど、免染でこんなにきれいに見るのは初めてかも。Toshie も変なもの、釣ってくるよね」云々。ヌアージュ???何それオイシイの???

というわけで、実はヌアージュの仕事はカーネギーでのポスドク時代に芽生えていました。それが2004年です。茶のみ友達だった Joe Gall にも語ってみたら、「楽しそう、やんなよ!!生殖細胞の核は面白いぞ、Toshie!!」 。。。なんだかんだとバッタやスズムシの生殖細胞の電顕写真を(いつものごとく)広げて語りだす Joe。。。

Joe は素晴らしい細胞生物学者で、自身もアメリカ細胞生物学会会長を務めましたが、ノーベル賞を受賞した Elizabeth Blackburn などに代表される数々の女性研究者を育て上げたことでも知られています。私の永遠のアイドルであり、メンターです。去年、御歳90を迎え、惜しまれつつ現役を退きました。彼には、Barbara McClintock から受け継いだ顕微鏡や、昔の論文コレクション等、素晴らしいものをたくさんみせていただきました。ちなみに Barbara McClintock がいた Cold Spring Harbor Laboratory は当時カーネギー研究所遺伝学部門で、当初、学会から異端視されていた彼女の論文の多くがカーネギーの紀要に納められています。トランスポゾンという可動遺伝因子を提唱した McClintock がカーネギーでサポートされていたことも、トランスポゾンを抑制する piRNA 生合成の場であるヌアージュ研究との縁を感じます。

日本でのジョブハントは厳しく、アメリカ生活にも飽きてきた私は、その後、アジアでサイエンスができる場を探し、めでたくシンガポールにジョブをゲットし、ヌアージュの研究を開始しました。それが RNA に繋がるとは予想もしていませんでしたが、競争は厳しくとも、好きだった生殖細胞/RNA 研究ができていることは純粋に嬉しく、毎日がエキサイティングです。出会いや発見は、偶然やご縁によるところが大きいと私は思います。その偶然や縁によって、サイエンスの天啓にうたれることが大事なのです。