昔、黒猫を飼っていた。果たして彼女(雌猫だった)が飼われていた自覚があるかどうかは定かではない。ともかく一緒に暮らしていた。
行き先を失った猫を引き取ったのだが、出会ったときにはすでに5歳ぐらいだったと思う。

頭のいい猫で、赤ちゃんだった娘や息子がギャン泣きした時は、慌てふためいて私を呼びに来た。
今でもよくわからないのだが、こんな行動をする猫は他にもいるのだろうか。同時にもう1匹、彼女の娘猫を飼っていたが、そちらは赤ちゃんには無関心だった。
赤ん坊をあやしながら、焦って赤ん坊の顔を覗き込もうとする猫もあやしていたことを懐かしく思い出す。

彼女は長毛種だったので、いつも、ふかふかの毛に顔を埋めるとお日様の匂いがした。
辛いことがたくさんあったが(妊娠を一人で乗り切ったり、数多のジョブハントに失敗したり)、いつも彼女がぴったりと寄り添って眠ってくれた。
やがて私たちはシンガポールに引っ越し、当然彼女も一緒に常夏の国へついてきた。
暑がるかと思ったが、意外に順応し、暑くとも35度を超える日などそうそうない国での暮らしを満喫しているように見えた。
子供達が成長し、二人と一匹でよく遊んでいた。私が子供達にブチ切れて雷を落とした時も、私の膝に手をかけて、「にゃ、にゃ💦」と私をなだめにかかっていた。

推定年齢15歳をすぎて徐々に弱り始め、ある日、彼女は穏やかに息を引き取った(私はその時にたまたま留守をしていた、痛恨の極みである)。

今でも時々考える。眠れない夜、彼女が布団に入ってくるのではと思う。彼女はどこに行ってしまったのだろう。

私の美しい黒い猫。
今はもう苦しくないのだろうか。
今も私を心配してくれているのだろうか。