どこまで続くか分からない、ほぼ研究にまったく関係のない日記です。
恐らく子どもの初等教育系の話が多くなると思われたので、「リケ母(理系母)日記」にしてみました。

卒業

娘が海外大学に進学し、いなくなってしまった。

2023年9月3日

論文までの長い道のり

中国からの留学生、リンさんの論文が JCB で発表された。非常に長かったし、疲れました。。。私の PI としてのキャリアの中でもベスト(ワースト?)3位以内にランキングされる長期戦だった。学生さんの論文を通すのは結構大変なのである(しかも当人は既に中国に帰ってしまっている)。セカンドオーサーの須山さんには最後まで全力でサポートいただいたことに心からお礼申し上げます。

2023年8月10日

懐かしい場所、懐かしい人々

5月末から6月にかけて、シンガポールで開催された国際 RNA 学会に参加した。シンガポールには、2020年に個人的に遊びに行く企画を立てていたのだが、当然、コロナでその予定が流れてしまい、実に2015年にシンガポールを去って以来の訪問である。8年ぶりに元職場を訪問し、懐かしい元同僚たちと暑苦しいハグやらなんやらを交わしつつ、お掃除おばさんにまで捕まってしまい、ありがたいやら、嬉しいやら。

2023年6月10日

第45回分生年会の中の人

2022年、11月30日から12月2日にかけて開催された第45回分子生物学会年会は盛況のうちに幕を閉じ、プログラム委員長たる私の役目も、あとは締めの組織委員会を残すのみとなり、ほぼ、任務は完了した形となった。足掛け3年、壮大なお祭りが終わり、ほっと一息ついているところである(しかし片付けはまだ続行中)。

2022年12月9日

事実婚

私と夫は、夫婦になるよと宣言して結婚式を挙げたものの、法律婚はしていない。したがって我々は民法で規定されるところの「内縁関係」にあり、一般的には「事実婚」と言われる状態にある。子供たちは生まれる前に父親が認知し(胎児認知)、出生時は私の戸籍に入って私の姓を名乗ったが、諸般の事情により夫の姓に変更した(子の氏の変更@家庭裁判所)。興味がある方がいるかも知れないので、私と私の家族がこの件についてどう対応しているかを書き留めておきたい。

2022年9月16日

誰がために綴る

気がつけばほったらかしの「リケ母日記」なのだが、意外な読者様たちがいることがわかったので、書いたまま放置されている日記も過去に遡ってできるだけアップロードしていこうと反省している。

2022年7月15日

愛の日々

運命の愛猫、セラが亡くなってからというもの、我が家ではシンガプーラの雑種・ココすけ(♀)がこの世の春を謳歌していたが、私のくろねこ愛のあまり、実は1年前に保護団体から黒猫を譲渡していただき、懲りもせず多頭飼いに突入していたのである。

2022年4月15日

出会いは億千万の胸騒ぎ

縁あってありがたいことに非ドメイン型バイオポリマーの学術変革(A)のメンバーとしてサポートをいただいています。その領域ホームページに掲載されているエッセーを日記として再掲しておきます。私の研究テーマである、生殖細胞特異的な非ドメインオルガネラのヌアージュとの出会についての語りです。

2021年12月6日

オッサン教授と美人助手

なんだなんだ、このタイトルは、と思われることだろうが、これは私がこの世で最も嫌いなものの一つである。

2019年12月1日

XX構文@科研費

今日、科研費の締め切りやったんですね。
めっちゃ真剣にやりました。

2019年11月11日

千里の道も子育てから

女性 PI として、あるいは一人のフルタイムマザーとして、何が一番つらい(足枷)かと聞かれると、実は自分の心理的バリアーかもしれないと長年思っている。責任のあるポジションについている女性は、家事や子育ての大半をヨメに押し付け、、、もとい、「依頼」できる男とは違い、フィジカルにもメンタルにも負担とストレスの量が半端ない。少なくとも私はそう思っている。正直に書くと、この件については非常にネガティブな気持ちになるので、文章にしたくないぐらいである。

2019年6月16日

魂の言語

私はコテコテの泉州・岸和田人である。自慢じゃないが駅前商店街で生まれ育ち、ハタチまでは地車(だんぢり)を轢いていたのである。泉州のオナゴとして胸を張って言えるのは、「ドスの聞く言い回しがうまい」ことである。齢50を迎えんとするこの年になってようやく丸くなってきたが(きっと、多分)、元々がガラが悪いのである。子供が宿題をしない、目も当てられない成績をとる、お願いしていた家事労働を分担せず眠りこけていた、等々の事態が出来すると(大体は息子だ)、我が家に泉州弁の怒号が轟き、逃げ足の早い猫がカーテン裏に隠れて身を震わせる。

2019年5月1日

共闘と協働、対話と共感

上野千鶴子氏の東大での祝辞が世間で賞賛を浴びている。私も全文を読んだが、相変わらずキレのよい発言で、感服である。ちなみに私の本棚には彼女の著作が何冊かある。長年日本を離れていたこともあり、最近、まともに読んだのは、「お一人様の老後」である。非常に世知辛く、また残酷な事実であるが、私の老後がひたひたと迫ってきているからだ。

2019年4月1日

英語でゲーム

息子(10歳)は英語の本をさっぱり読まなくなった。この8月で、シンガポールにいたならば5年生に進級するはずの彼なのだが、2年生の時に読み始めた Diary of Wimpy Kid や Roald Dahl のチョコレートファクトリー諸々で止まったままである。

2017年7月2日

夏休みがきらい

たいていの働く母親は長期休みが大嫌いである。私もその一人だ。辛いことは多々あるが、その筆頭が義理実家訪問である。義理母が亡くなって4年、義理実家は静かに汚屋敷化が進行している。義理父は悪い人ではないが、とにかくこの世代の男の生活力のなさはハンパない。35度を超える屋内でコバエと戦いながら掃除をするのは苦行である(クーラーはダニだらけと思しきリビングにしか設置されていない)。

2017年7月1日

にかよんぶんのいち

週に1度ぐらいは手羽元の唐揚げが晩御飯のメインディッシュに並ぶ。我が家はノンフライヤーを導入しているので、揚げ物(とは言わないのか?)が比較的多い。味付け、あるいはフライは衣をつけておいて冷凍しておくと、フライヤーで揚げて10分で食べられるので、楽チンだからである。

2017年5月1日

黒猫

昔、黒猫を飼っていた。果たして彼女(雌猫だった)が飼われていた自覚があるかどうかは定かではない。ともかく一緒に暮らしていた。
行き先を失った猫を引き取ったのだが、出会ったときにはすでに5歳ぐらいだったと思う。

2017年4月2日

春である。
あまりにいい天気なので息子を誘って散歩にいく。
息子に新クラスのあれこれを聞きだしながら、歩道を歩く。タンポポが狂い咲いている。ツツジも咲いてきた。
息子はシンガポール育ちなので、日本人にとって常識的な草花の名前をほとんど知らない。 ツツジとサツキの違いを話しながら歩く。

2017年4月1日

人生を楽しむための「道楽」としての子育て

勢い余って(というのは嘘で、一人目は語るも涙の不妊治療の結果)二人の子どもの親になったが、仕事との両立をどうしているのかと聞かれても、うまく答えられない。自分が「両立」出来ている自信がないからだろうと思う。両立とは、両方とも立つ―つまり、どちらも100%できるという前提になっている言葉のように思う。どちらも「立てて」いる確証がない私に答える資格があるとは思えない。

2016年7月11日

早期教育は親の自己満足

普通の公立小学校に通うことになった、現時点でバイリンガルの息子の英語力を維持するために、スカイプ英語レッスンをセットアップしてみた。格安のネイティブでない先生を試したら、息子本人と、トライアルを覗き見(聞?)していた娘から厳しいダメ出しを食らう。曰く、「言ってることわからん」。…私には聞こえるのだが、それも私がネイティブじゃないからなのか。早く子どもたちがライティングもうまくなって、論文の校正を手伝ってほしいと心の底から思う。という訳で、レッスンはネイティブの講師に変えた。安くはないが、一昔前に比べると、IT の発達のおかげで良質な教育が比較的安価で手に入りやすくなったと思う。

2016年7月6日