精子幹細胞は、未分化状態と分化状態の間を転移しながら精子を作り続ける
原著論文 | Cell Reports 37(3):109875 (2021) |
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論文タイトル | A multistate stem cell dynamics maintains homeostasis in mouse spermatogenesis. |
研究室サイト | 幹細胞・免疫発生研究室〈長澤 丘司 教授〉 |
概要
ヒトを含めほ乳類には、精子のおおもととなる精子幹細胞という特殊な細胞が存在します。この細胞は、生涯にわたり自らを生み出し、一方で将来的に精子となる分化細胞を作り続けるという大切な役割があります。しかし、精子幹細胞は特定されておらず、「どのような性質・特徴」を持ち、「どのような振る舞い」をすることで精子を作り続けるのか不明な点が多く、世界的に研究されています。
基礎生物学研究所生殖細胞研究部門の中川俊徳助教、吉田松生教授、大阪大学大学院生命機能研究科の長澤丘司教授、英国ケンブリッジ大学のBenjamin Simons教授らの共同研究グループは、マウス精子幹細胞の目印となる遺伝子を発見し、新しい性質を明らかにしました。それらの遺伝子をもとに観察すると、1)精子幹細胞は、未分化な状態から分化に向かった状態まで、複数の状態をとる階層集団であること、2)未分化な状態ほど分裂活性が低いこと、3)これまで支配的な考えであった未分化→分化の一方通行ではなく、両方向へ転移しながら長期の精子形成を維持していることが明らかになりました。このような振る舞いにより、精子幹細胞のDNAに突然変異が蓄積することが抑制されるとともに、途切れなく安定的に精子を産生することが可能となるのかもしれません。この研究は、精子幹細胞のみならず、体の多くの組織に存在し、組織を正常に維持また損傷した部分を再生させる幹細胞とは一体どのような細胞なのか?をつきとめる契機となる重要なものです。
研究の背景
ヒトを含めほ乳類には、精子のおおもととなる精子幹細胞という特殊な細胞が存在します。精子幹細胞は、自らを生み出し、一方で将来的に精子となる分化細胞を作り続ける大切な細胞です。精子幹細胞の同定、性質、振る舞いについて、多くの研究グループが精力的に研究を進めてきました。以前に吉田教授らのグループは、精子幹細胞がGFRα1と呼ばれる遺伝子を発現する集団に含まれること、またGFRα1陽性細胞は未分化で形態や遺伝子発現の多様性を持つ不均一な集団であることを報告しました。幹細胞の不均一性は、近年盛んに行われているシングルセル遺伝子発現解析によっても、急速に明らかになってきています。しかし、精子幹細胞の亜集団の間にどのような性質や振る舞いの違いがあるのか、またそれらの亜集団がどのような関係にあるのかは明らかになっておらず、研究の焦点となっています。
本研究の成果
本研究では、精子幹細胞の亜集団に発現する遺伝子を同定し、それらの細胞の持つ性質やお互いの関係性を明らかにしました。その結果、精子幹細胞は、未分化な状態から分化に向かった状態まで、複数の状態を行ったり来たりしながら、自らの不均一な集団を維持していることがわかりました。
未分化な特徴を持つ亜集団の同定
中川助教らは、精子幹細胞集団を詳しく解析するために、蛍光活性化セルソーター(FACS)を用いて分取した精子幹細胞の遺伝子発現を検討しました。その結果、今回の研究の鍵となる2つの遺伝子を同定しました。1つめは、Plvapと呼ばれる遺伝子で、GFRα1陽性集団の中でもより形態的及び遺伝子発現的に未成熟な特徴を持つ亜集団に発現していました。もう一方のSox3は、より分化した特徴を持つGFRα1陽性細胞で発現していました。さらに詳細に検討したところ、GFRα1陽性細胞の中で、PlvapとSox3はお互いに排他的に発現することがわかりました。これらの発現によって、GFRα1陽性細胞はX細胞(Plvap+)、Y細胞(Plvap- Sox3-)、Z細胞(Plvap- Sox3+)の3つに分類されました(図1)。
未分化状態と分化に向かった状態を行ったり来たりする精子幹細胞
次に、X細胞とZ細胞が長期の精子形成に寄与するかを調べました。そのために、タモキシフェン作動性CreリコンビナーゼをPlvap陽性細胞やSox3陽性細胞で発現するマウスを作成し、これらの細胞の運命を追跡しました。その結果、未分化な特徴を持つX細胞だけでなく、分化に向かった特徴を持つZ細胞も長期の精子形成に寄与することがわかりました。さらに、これらの運命を詳細に調べると、精子幹細胞は、XとZの状態を行ったり来たりしながら、不均一な集団を維持していることがわかりました(図1)。
数理解析により明らかになった、精子幹細胞の全体像
精子幹細胞が異なる状態(X、Y、Z)を行ったり来たりすることはわかりました。では、実際にどれくらいの頻度で行ったり来たりするのでしょうか?そこでイギリスのケンブリッジ大学のBenjamin Simons博士、David Jörg博士らと共同研究を行い、状態の転移が1日にどれくらい起こるのかを数理モデルを用いて解析しました。図のように、X→Y→Zの順番で、分化への転移が起こりやすくなり、反対に未分化への流れは起こりにくくなることがわかりました(図1)。また面白いことに、これらの両方向の転移は、決められた時間が来ると必ず分化するというようにプログラムされたものではなく、確率的に起こることがわかりました(図1)。
安定的に質の良い精子を作るのに好都合な精子幹細胞の特徴や振る舞い
我々を含め、ほ乳類は生殖可能期間が長い動物です。面白いことに、明らかになった精子幹細胞の特徴や振る舞いは、そんな動物にとって都合の良いものに見えます。すなわち、1)最も未分化な状態(X)と比べて細胞周期が早い中間段階(Y、Z)が存在することで、一定の数の精子を産生するのに、X細胞は少ない分裂回数でまかなうことができます。その結果、DNA複製の負荷や突然変異の蓄積が抑制されると考えらます。2)ごく少数の細胞ではなく、多くの細胞が幹細胞として振る舞うポテンシャルを持つことで、組織中の実質的な精子幹細胞の密度が高まります。例えば細胞死や移動などにより局所的にX細胞がいなくなっても、YとZ細胞がX細胞へ転換し穴埋めをすることにより、X細胞の空白地帯ができないようなると考えられます。このような振る舞いは安定的な精子の産生に寄与すると予想されます。
精子幹細胞の新しい性質
本研究はマウス精子幹細胞の新しい性質を明らかにしたものです。すなわち、精子幹細胞は未分化な状態から分化に向かった状態まで、複数の状態をとり、行ったり来たりしながら自らの不均一な集団を維持していることがわかりました(図2)。今回の研究は、「幹細胞と、幹細胞ではない分化に向かう細胞を分けるものは一体何なのか?」という幹細胞生物学とって重要な問に対しての示唆を与えるものです。すなわち「未分化な状態へと逆戻りできる性質を持つかどうか」という性質がそれらを分けるのに大切だと考えられます(図2)。つまり、逆戻りできる細胞は確率的に可逆的な集団に残り、長期の精子形成を支えます。一方で、逆戻りができない細胞は全て、そのまま分化していき最終的に精子になります。このような考え方は、他の組織幹細胞にも適用できる可能性があります。今後の幹細胞研究に期待です。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究から、精子幹細胞は相互転換できる3つの状態をとることと共に、それぞれの状態の特徴や振る舞いが明らかになりました。今後は、特定の状態の幹細胞はどのような役割があるのか?どのようなメカニズムによりそれぞれの状態は作り出され、移行するのか?といった本研究により提起された解くべき問題を通じて、精子幹細胞の理解がさらに進むと期待されます。
特記事項
本研究成果は、米国東部時間2021年10月19日にCell Reports誌(電子版)に掲載されました。
なお、本研究は、文部科学省日本学術振興会科学研究費助成事業(JP23770245、JP25711014、JP17K07424、JP16H02507、JP25114004、JP18H05551、JP18H03998)、および日本医療研究開発機構(JP17gm1110005h0001、JP20bm0704057h0001)などの支援により行われました。
図1.本研究で明らかとなった精子幹細胞の3種の状態と特徴
精子は精巣の精細管という管の中で作られます。ここに精子の元となる精子幹細胞が存在します。今回の研究では、精子幹細胞には、少なくともX、Y、Zという3種類の状態が存在することが示されました(箱の中の数字は、幹細胞の割合)。それぞれを特徴づける遺伝子発現の発現をピンク(Plvap)、オレンジ(GFRα1)、黄色(Sox3)のバーで示しています。矢印はそれぞれの状態が転移する方向を示し、矢印に添う数字は1日に転移する幹細胞の割合を示しています。また、円弧の矢印はX、Y、Z細胞の分裂を示し、数字は平均分裂レートを示しています。
図2.本研究で見えてきた幹細胞の姿
精子幹細胞は未分化な状態から分化に向かった状態まで、複数の状態をとる階層集団であることがわかってきました。また、状態の変化は一方向ではなく、両方向へ転移しながら長期の精子形成を維持していることが明らかになりました。黒矢印は、分化状態への転移を示し、赤矢印は未分化状態の逆戻りを示しています。水色で示された部分は、幹細胞の範囲を表しています。
用語解説
- シングルセル遺伝子発現解析
従来の細胞集団として遺伝子の発現を解析するのとは異なり、一つ一つの単離した細胞の遺伝子発現を解析することです。実験手法によっては網羅的な遺伝子の発現を解析することができます。これにより、今まで観察できなかった、細胞の不均一性が捉えられるようになりました。
原著論文 | Cell Reports 37(3):109875 (2021) |
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論文タイトル | A multistate stem cell dynamics maintains homeostasis in mouse spermatogenesis. |
著者 | Toshinori Nakagawa (1, 2, 3), David J. Jörg (4, 5), Hitomi Watanabe (6), Seiya Mizuno (7), Seungmin Han (4, 8), Tatsuro Ikeda (1), Yoshiki Omatsu (3, 9), Keiko Nishimura (1), Miyako Fujita (1), Satoru Takahashi (7, 10), Gen Kondoh (6), Benjamin D. Simons (4, 8, 11), Shosei Yoshida (1, 2), Takashi Nagasawa (3, 9)
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PubMed | 34686326 |