脳神経回路形成の鍵は、細胞認識分子プロトカドヘリンの多様性
原著論文 | iScience 26(1):105766 |
---|---|
論文タイトル | Isoform requirement of clustered protocadherin for preventing neuronal apoptosis and neonatal lethality |
研究室サイト | 心生物学研究室〈八木 健 教授〉 |
概要
大阪大学大学院生命機能研究科の小林裕明助教、八木健教授らの研究グループは、生理学研究所の平林真澄准教授や理化学研究所生命機能科学研究センターの清成寛博士らのグループと共に、脳の神経細胞ネットワーク形成に重要な多様な細胞標識を生み出す分子、クラスター型プロトカドヘリン(Pcdh)分子群の、発現レパートリーのアイソフォーム要求性に関する新たな発見をしました。これまでにマウスの脳では58種類のPcdhアイソフォームが存在し、その中のγC4アイソフォームが神経細胞の生存に重要であることが知られていましたが、個々の神経細胞で異なる組み合わせで発現している他のPcdhアイソフォームの役割は分かっていませんでした。本研究では、これらのPcdhアイソフォームが脳の意識・覚醒状態を維持する機能部位である、脳幹網様体を含めた神経細胞の生存に必須であることを明らかにしました。
研究の背景
脳神経回路は莫大な種類の神経細胞同士を精緻につなぎ合わせる必要から、他の臓器に比べて「細胞認識」機構が発達しています。脳ではこの細胞認識の為に、少ない数の遺伝子から莫大な数の細胞標識を作り出せる「多様性分子」を利用しています。脊椎動物はクラスター型プロトカドヘリン(Pcdh)分子群を利用しており、マウスでは配列類似性からα、β、γの3つのクラスターに分類される合計58種類のPcdhアイソフォームが存在します。各細胞は複数種のPcdhアイソフォームをランダムに組み合わせ発現する事によって、細胞固有の標識を生み出し、向き合う細胞表面で発現する同一Pcdhアイソフォームのホモフィリック結合によって細胞が認識されます。58種すべてを欠損させると機能不全な神経回路が形成され、マウス個体は生後すぐに死亡すると共に、脳の脳幹網様体~脊髄にかけて大規模なアポトーシス(細胞死)を伴います。PcdhとBaxのダブルノックアウトで細胞死を防いでも、神経回路の機能不全は残る事から、Pcdhは神経回路の結合パターンを制御していると考えられています。
本研究の成果
58種のPcdhアイソフォームの様々な欠損体の解析から、γC4アイソフォームという特別なPcdhアイソフォームを欠損させると、58種全欠損と同様の個体死亡/大規模細胞死が起こる為、γC4が神経回路形成に必須である事が示されていましたが、逆に、他のPcdhアイソフォームによる多様性の意義については不明でした。本研究では、必須PcdhアイソフォームγC4を含む3つのγCタイプアイソフォームのみを残し、他の55 Pcdhアイソフォームすべてを欠損させた多様性欠失マウスの作製に成功し、この解析結果から、神経回路形成においてγCタイプアイソフォームだけでは不十分であり、他の多様なPcdhアイソフォームも必須である事を世界で初めて明らかにしました。
研究成果のポイント
- PcdhγCタイプアイソフォーム3つのみを残し、他を全て欠損させたマウスを開発しました。
- PcdhγC4だけが大規模なapoptosisを制御しているという従来の考えに対して、他の多様なPcdhアイソフォームも同様に必須である事を示しました。
- Pcdhの作用機序としてヘテロダイマー(特に必須γC4と他の多様なPcdhアイソフォームとの組み合わせ)が重要である可能性を示唆し、今後の研究の方向性を明らかにしました。
- 脳の意識・覚醒状態を維持する機能部位である、脳幹網様体を中心とする神経ネットワークが特にPcdhに依存している事を明らかにしました。
研究者のコメント
脳は複雑なシステムであり、無限に近い記憶や情報処理を行いながら統一された意識を生みだします。この脳の複雑なシステムは、遺伝情報をもとに発生過程を経て形成されるものであり、個々の神経細胞が個性を獲得しながら複雑な神経ネットワークを形成して行くと考えられています。近年では、個々の神経細胞がつくる様々な活動集団(セルアセンブリ)が記憶や情報を担っていることが明らかにされてきています。本研究は、神経細胞の個性を生みだし、神経ネットワークを形成する分子メカニズムにアプローチするものであり、この結果を基盤として、脳の複雑なネットワーク形成を司どる遺伝情報を解明したいと考えています。(八木健)
特記事項
本研究成果は、2022年12月6日に米科学雑誌「iScience」に受理されました。
なお、本研究は生理学研究所の平林真澄准教授や理化学研究所生命機能科学研究センターの清成寛博士らの協力を得て行われました。

図1.
(上)野生型マウス(WT)、及びプロトカドヘリン(Pcdh)の遺伝子の多様性を欠失させたTCミュータントのゲノム構成。(下)TCミュータントで細胞死が起こる脳領域。楕円は細胞死の起こる神経核の位置を、赤色表示は細胞死の最も多い脳幹網様体を示す。

図2.
(上)出産直前のTCミュータント胎児の脳の矢状断面。白い部分はアポトーシスマーカーcleaved caspase-3で染色される細胞死の起こっている脳領域。(下)細胞死の起こる脳領域の拡大図。同視野で抑制性ニューロンマーカー(GAD67)、細胞死マーカー(CC3)、核染色(DAPI)の単画像及び重ね合わせ画像。
用語解説
- プロトカドヘリン(Pcdh)
脳神経系で発現する多様化細胞認識分子群 - アイソフォーム
単一遺伝子または遺伝子ファミリー由来の、配列・機能の類似したタンパク質 - ホモフィリック結合
同一分子同士の相互作用・結合
原著論文 | iScience 26(1):105766 |
---|---|
論文タイトル | Isoform requirement of clustered protocadherin for preventing neuronal apoptosis and neonatal lethality |
著者 | Hiroaki Kobayashi (1, 2), Kenji Takemoto (1), Makoto Sanbo (3), Masumi Hirabayashi (3), Takahiro Hirabayashi (1), Teruyoshi Hirayama (1, 4), Hiroshi Kiyonari (5), Takaya Abe (5), Takeshi Yagi (1, 2)
|
PubMed | 36582829 |