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Vol.6
自信をもってとにかくチャレンジ! 2022.12.22

今回の訪問は、この夏に九州から越して来られたばかりの、池田史代教授。 最近立ち上げられたばかり、できたてほやほやの「ユビキチン生物学研究室」でお話を伺いました。小学校の頃は引っ込み思案でとてもシャイでいらしたという先生ですが、色々お話を伺うと、、、当時が想像出来ないほどのバイタリティ、研究への情熱、海外経験で裏打ちされた国際感覚や研ぎ澄まされたマネジメント、大切になさっていることなど奥深い話に引き込まれるばかりでした。

(聞き手:企画広報室 上野・岡本)

「よし、研究でやってゆこう!」研究の醍醐味を知った、大学院生時代

私の出身は歯学部です。当時、学生実習の実験では知識が再現される事にとても感動し、単純に「面白いな、楽しいな」と思いました。知識を元に仮説を立て、試し、検証するというサイクルやプロセスは興味深く、自分には臨床より研究があっているとも思いました。博士課程の研究では、破骨細胞が前駆体細胞から分化するための、必要十分な因子について調べていました。上流のシグナル因子は知られていたのですが、分化に決定的な転写因子はわかっていませんでした。前駆体細胞に鍵となる転写因子を発現させることによって分化が誘導されるのかを調べる実験において、ある一つの因子の導入だけによって、特徴的で巨大な破骨細胞へ分化が観察できた時の嬉しさといったら。もしかすると世界で私が最初にこの現象を観察できたかも、とワクワクした瞬間でした。最初の2つのプロジェクトがだめになった後の発見だったので、喜びもひとしおでした。

ポスドクは、海外に。〜自分の目標が達成できそうな場所はどこだろう〜

高校時代に米国での交換留学生として得た経験や、新たな研究環境への興味から、海外も含めて研究先を検討するのは、私には自然な流れでした。最初、指導教官にはハーバードメディカルスクールのビッグラボを紹介され、面接にも呼んでもらったのですが、なにかしっくりきませんでした。指導教官に相談したところ、過去の同僚で、ゲーテ大学医学部(フランクフルト、ドイツ)にラボを移動したばかりのIvan Dikicがポスドクを募集中と教えてもらいました。研究内容を調べると自分の次の目標とも合うと感じました。というのも、炎症反応のメカニズムについて、もっと分子学的視点から深堀りしたいと思っていたのです。ビックラボより、若手の勢いのあるラボの方がボスともコミュニケーションがとりやすそうに思えました。また、面接でうけたIvanやラボのメンバー達、研究所の壁にあったアートワークも好印象でした。

Dikic Labのメンバー達と実験室で

Biochemie II(生化学第二)所属のメンバーとセミナー室でのparty中

ポスドクの間は研究に没頭しました。Dikicラボは、日本から想像するようないわゆるヨーロッパ的な生活スタイルとは異なるものでした。ボスは子供のために夕方一旦帰るも、戻ってきて夜中まで仕事、というハードワーカー。ラボは24時間営業のような、ドイツでもちょっと特殊なラボでした。そんな生活の中にもラボ外の楽しみもありました。仲良し4人組(ボスニア、エチオピア、スウェーデン人の同僚)とで通った「スカイラウンジ」(という名のバー)では、入店するなりいつものお気に入りの小麦ビールが自動的に目の前に。ボスはクロアチア出身で、ラボのメンバーもヨーロッパやアフリカ、アジアを含む様々な国の出身で、世界各地に友人が出来ました。

ウィーンで独立:励ましてくれた言葉やチームづくりのこと

7年間のDikicラボでの研究生活の後、ウィーンのオーストリア科学アカデミー分子バイオテクノロジー研究所(IMBA)でラボを主宰する機会を得ました。PIとしてやっていくにあたって励まされた言葉は、今は亡き尊敬する女性研究者Angelika Amonからの「Never niche」です。競争が激しい分野でこれからどうやっていくべきか悩んでいたところへの「大事なクエスチョンからは逃げるな、やってみろ、あなたなら出来る」という挑戦的で温かい言葉でした。彼女は、ビックネーム(Nasmyth Kim)の元で鍛えられ、女性がまだ現場に少なかった時代のパイオニアです。たくましい女性リーダーからの言葉に、今も支えられています。

IMBAの池田ラボでは、多種多様な人たちと働いてきました。池田ラボでは、立ち上げ当初から現在にいたるまで、採用時の選考にはラボメンバー全員に参加してもらっています。チームの一員としての自覚を持って欲しいというのもあります。また、選考過程を共有することで、チームとして目指すべき方向性や大切にすべき点が皆で共有できるようにしたいと思っているからです。特に忘れられないのは、採用にあたって憂慮した大学院生のことです。他のメンバーとは異なり控えめな印象、かつ研究経験も乏しく、乗り切れるのか心配しましたが、みんなの強い推薦に押され、研究室の一員になりました。この学生は最後まで根気強く頑張り、素晴らしい研究成果を上げ、無事に学位を取得しました。PhDコミティーの先生方に、成長を褒めていただけた学生でもあります。ラボ内では、意見は食い違うことがあっても、「最終ゴールは同じ」ということを常に周知徹底していました。このようなことからも、プロとしてチームをまとめる術を学んだと言えるかもしれません。

池田ラボ(IMBA)のメンバーとIMBA研究所内でデリバリーランチ

池田ラボ(IMBA)の博士学生Lilian(前列、右から2番目)のPhD Defenseパーティーにて

ユビキチン研究のこと

ユビキチンとは真核生物に普遍的に見られる、小さなたんぱく質の一種です。ユビキチンは標的となる細胞内の不要たんぱく質に付加し、それがプロテアソームという分解酵素反応系の標識として機能します。私たちの研究室では、プロテアソーム分解系以外の新たなユビキチンの機能として、炎症やストレス反応における細胞内シグナル制御のメカニズムを解析してきました。最近では、ユビキチンはタンパク質のみならず、脂質や糖質にも直接結合することが発見されました。この小さな分子が司る生命の多様な機能には未解明な部分も多く、これらの新規の結合標的の発見により、ますます注目を浴びています。今後、新しいテクノロジーやアプローチを工夫しながらユビキチンの新たな機能の解明に挑みたいと思っています。

大切にしていること

まず、「全てのことは誰かの貢献で成る」を意識することです。池田研のジャーナルクラブ(論文の輪読会)は、第一著者のキャリアステージや責任著者(PI)のチームの専門分野を調べ、共有してもらっています。研究は人の手を介して行われていることを意識すべき、と強く思っているからです。学会等で著者たちに出会ったときに、いつでも議論できる体制になっていてほしいとも思います。ジャーナルクラブの発表では1枚目にはタイトル、2枚目は著者たちの顔写真みたいな紹介スタイルです。「〇〇の国のグループの」という説明の仕方は池田研では絶対的タブーです。また、相手も生身の人であるとの意識は、不必要にライバルを怖がる意識も薄れるのでは、と思います。

もう一点は、研究を各々が自由なやり方でどうぞ、というのが池田研のスタイルです。ただし、重要な点として、自分がやりたくないのは構わないけれど、「頑張っている人の足を引っ張らない」ということもお願いしています。一生懸命時を忘れて没頭するような状態は貴重なことだと思っています。池田研では、参加が必須な定例会議はコアタイムに設定し(10時から16時まで)、小さな子供を育児中など時間に制限があるメンバー達にも、少しでも働きやすい環境を作るように心がけています。

池田研(阪大生命)のメンバー達と一緒に

最後に

私にとって人と会って話すことは、研究へのモチベーションの維持にもとても重要です。だからコロナ禍の間はつらかったです。研究は、見つけた発見を共有して更に楽しくなる。周りと気さくな交流がたくさんあるといいですね。だれがどんな研究をしていて、どんな強みがあるのか、お互いが知っていると、ちょっとあの実験を教えてもらおうって、いうことから始まるような共同研究も組めますし。何気ない時に誰かに研究を話してみることで、アイデアが得られる体験もあります。色々な人とのコニュニケーションを大切にしていきたいです。

長年の海外生活を経験した私からすると、日本は住みやすく安全で、安心できます。ただ、議論しないといけないタイミングや環境下では立ち向かうことが弱い部分もあるように感じます。語学力のハンディとかアプローチミスとかで好機を失うのはもったいないので、場面に応じた対処も大切にできる人材を育成したいです。

私には日本を強くしたい、頑張っている人たちを応援したい、という思いがあります。特に若い方々には、目標にあきらめずに取り組んで、強い自信を持って欲しいと思っています。

ラボの研究に興味を持った方、一緒にやってみたいと思った方は是非お気軽にコンタクトください。

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