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走化性シグナル伝達システムの1分子解析


GPCR型走化性受容体

走化性シグナル伝達は,細胞膜上にある GPCR型 cAMP受容体 (cAR1と呼ばれる)によって媒介されています. このとき粘菌細胞は細胞両端でのcAMP濃度の高低,すなわち cAMP の受容体への結合数の差を検知していること がわかっています.cAMPと受容体の結合・解離反応は確率的であるために,活性化型受容体の数は時間的に一定せず, 平均値の周りにゆらぎます.この平均値を cAMP濃度に対応したシグナルと考えると,そのゆらぎは濃度情報の読み取り 誤差であり,シグナルをあいまいにするノイズと言えます.粘菌細胞が走化性を示す条件下では,しばしばこのノイズ が走化性シグナルと同程度かそれを上回っています.実際に細胞底面への誘因物質の結合パターンは時間によって ゆらぎ,濃度勾配の方向に対して逆転することが1分子イメージングによって観察されました. また,我々は1分子イメージングを用いて,蛍光標識した cAMP の輝点が受容体に結合している時間を計測することで, cAMP と受容体の解離速度を生きた細胞上で決定しました.その結果,細胞上の場所によって解離速度が異なることが わかってきました.これは細胞膜上で均一と思われていた受容体の性質が空間的に制御されていることを示唆しています. 細胞は環境センサーとして働く受容体の特性を調節しながら環境を認識しているのかもしれません.

GPCR型走化性受容体

三量体G蛋白質

細胞性粘菌は上で述べたように受容体と cAMP の結合がゆらぐノイズの影響下でも走化性応答を示します. このことから,細胞には何らかのノイズにつよい情報処理の仕組みが働いていると考えられます.受容体からの 情報は細胞内の三量体G蛋白質に伝えられます.cAMP の結合した受容体により三量体G蛋白質が活性化し,Gα2 と Gβγという2つのサブユニットへの解離が促進され,下流の分子へとシグナルが伝えられます.G蛋白質より下流には シグナルを増幅するポジティブフィードバックの構造を持った PI3K-PTEN 反応経路が存在します.そのため, 細胞がノイズを増幅しないためには,できるだけ上流でノイズを処理する方が有利なはずです.走化性シグナル伝達 の上流で受容体からの信号を受け取るG蛋白質はノイズ処理に関して何らかの役割を持つのでしょうか.この問いに 答えるために,我々は細胞内1分子イメージング解析法を用いて細胞内での個々のG蛋白質分子の振る舞いを解析し, 伝達反応の反応スキームと反応速度(反応速度論,キネティクス)などの特性を明らかにしてきました.反応スキーム と反応速度からモデルを構築し,解析することでシグナル伝達に伴うノイズの生成・処理・伝搬を定量的に解明する ことができると考えています.

PTEN

PHドメイン含有蛋白質

細胞性粘菌は、細胞外環境中のえさの不足によって、単細胞で増殖していた状態から多細胞体制へと移行します。 このとき、細胞が集合する過程では、細胞間での走化性物質cAMPのやりとりを介した相互作用が重要な働きをして います。粘菌細胞が合成・分泌したcAMPは細胞外を拡散し、他の細胞を誘引します。細胞が集団として走化性物質 の濃度勾配を形成し、これをうまく伝搬させることで、多数の細胞が集合することができます。細胞集団が自ら形 成する濃度勾配は、実験的に与える濃度勾配のように安定してその場所に有り続けるようなものではなく、勾配方 向が頻繁に変化すると考えられます。しかし、その変化に追随して、常に誘引物質の濃度の高い方へと移動運動を することができるため、細胞の走化性シグナル伝達システムには、入力シグナルの変化に対する素早い応答能が備 えられていると考えられます。
 このような応答を可能にするためには、シグナル伝達システムはどのように構築されていることが必要でしょうか? 細胞外のcAMPは膜上の受容体によって検出され、G蛋白質を介して情報処理された後、運動装置である仮足の形成・進 展・崩壊が制御されます。運動装置や細胞極性を制御するシグナルは細胞膜上でのPIP(3,4,5)3の局在であ ることが知られていますが、私たちの最近の研究成果から、このシグナルはイノシトールリン脂質代謝反応の自己組織 化を介し、細胞外cAMPに非依存的に生成されることが明らかになりました1)。局在構造を形成する過程はcAMP受容体か らのシグナル伝達に依存しない可能性を示唆しており、受容体・G蛋白質によって受容・処理された濃度勾配情報は、 PIP3局在の細胞膜上での位置を決めるために寄与しているのかもしれません。(受容体・G蛋白質での情報処理システム については、こちらを参照してください。)
 一方で、PIP(3,4,5)3から下流へのシグナル伝達に関して、情報伝達反応の時間的な特性を私たちは1分子 イメージングを用いて解析しました。細胞膜上で蓄積したPIP(3,4,5)3を検知するのは、PH(Pleckstrin hom ology)ドメイン含有蛋白質です。PHドメインはPIP(3,4,5)3に対する結合活性を有します。走化性シグナル伝 達システムにおいては、PKBを始めとするいくつかのPHドメイン含有蛋白質が仮足に局在し、細胞運動に関わっていること が明らかになっています2,3)。そこで、生きた粘菌細胞の中でPHD-GFPの1分子を観察したところ、細胞膜結合時間は平均 しておよそ120ミリ秒であることがわかりました(動画)4)。細胞膜結合時間は細胞の仮足に局在している場合にも同じで、 PHドメインとPIP(3,4,5)3との結合反応の時間的特性を示しているものと考えられます。つまり、細胞極性を 制御するシグナルが伝達される過程は、個々の分子が関わる反応においては非常に短時間で行われることが示唆されます。 一般に、蛋白質分子の拡散は細胞膜上での2次元拡散に比べて細胞質中での3次元拡散の方が速いので、PIP(3,4,5)3 局在構造の細胞膜上での位置が変化したときに、PHドメイン含有蛋白質がそれまでの局在場所から素早く離れ新たな PIP(3,4,5)3局在場所へ移動するために、PIP(3,4,5)3結合時間が短いことは重要な条件であると 考えられます。このように、1分子イメージングに基づいた精密計測によって明らかになるシグナル分子の情報伝達特性は、 ゆらぐ環境で適応的に活動する細胞システムを理解する重要な一側面となっています。

PHドメイン

(図の解説)
PHドメイン含有蛋白質Cracのシグナル伝達反応キネティクス。PHドメインを介した膜結合の解離時定数はおよそ100ミリ秒で ありPIP3依存的に起こる。Cracの下流のシグナル伝達相手はアデニル酸シクラーゼ(ACA)である。ACAに依存した結合の解離 時定数は1秒で、ACAが局在する細胞後部で見られた。A, 極性細胞。矢印は運動方向を示す。B, cAMP刺激に対する応答。

動画:mov

動画 PHドメイン含有蛋白質Cracの1分子イメージング。cAMP刺激に応じて細胞膜上のPIP3濃度が一過的に上昇した結果、細胞膜に結合するCrac-GFPの分子数が増加する。

参考文献

1) Arai, Y. et al. PNAS, 107:12399-12404, 2010
2) Meili, R. et al. EMBO J., 18(8):2092-2105, 1999
3) Zhang, P. et al. PNAS, 107(26):11829-11834, 2010
4) Matsuoka, S. et al. JCS, 119:1071-1079, 2006

シグナル伝達系におけるノイズ伝搬理論