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Who Killed Turing ? 誰がチューリングを殺したのか

2012.7

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2012年はアラン・チューリング(図1)の生誕100年にあたり,1月から多くの記念イベントが世界各地で行われている.その最後を飾るのが,今,キングス・カレッジで行われている(20126月現在),チューリングの仕事に関わる全分野の研究者を集めた記念シンポジウム(+チューリングの業績をたたえるプレートの除幕式)である.幸いなことに,筆者も招待してもらえたので参加することができた.予想通りというか,計算機科学関係者と数学者がほとんどである.エルディシュナンバー1の老数学者とお話ができたりして,面白いことは面白いのだが,さすがにわからないことばかりだ.チューリングの業績の幅広さを,いまさらながら思い知る.生誕100年ということは,もし彼が自殺しなければ,現在まで生きていてもおかしくない.何人かの記念シンポジウムの演者も,「ここにチューリングがいないのが残念だ.」と話していた.これは筆者もいつも思うことだ.タテジマキンチャクダイの模様が動くのをチューリングが見たら何と言うだろうか.これは,筆者が天国でチューリングと会ったときにぜひたずねてみたい質問である.(誰だ,お前は天国にいけない!という奴は.)

筆者の独断的な科学者ランキングでは,チューリングは,ニュートンと並んで堂々の1位なのだが,彼の業績については知らない人も多いと思う.せっかく記念シンポに来ているので,今回の連載では,彼の業績を解説し,その天才的な能力の秘密をちょっとでも探り,さらに,彼がなぜ死なねばならなかったのかを考えてみることにする.

チューリングは,1912623日に英国の植民地であったインドで生まれた.父親は植民地の文官であり,かなり裕福な家庭であったようだ.大人になってからも,折りに触れて母親に送った手紙が残されていることから,特に母親の愛情に包まれて育ったことがうかがわれる.小さいころから,数学,物理学の才能はすごかったらしい.16歳(日本なら中3か高1)のときにアインシュタインの一般相対論を読んで,「彼(アインシュタイン)がここのところをきちんと定式化しなかったのはいただけない.自分なら,こんなふうに……」とか母親への手紙に書いている(Andrew Hodges氏の講演より).実際その指摘は正しかったというから,まったくあきれたガキである.教師もビビって逃げ出さざるをえない.人付き合いがあまり得意でなく,内向的であったらしいが,まあ,アインシュタインに文句を言えるような中学生じゃあ,付き合う人も限られても仕方がないだろう.
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母親宛に書いた「アインシュタインだせーぜ」と言う内容の手紙

 

チューリングは,近所に住んでいた1歳年上のお兄さんクリストファー・モルコムと非常に仲が良く,というかほとんど「愛して」いた.後に,自分は幼いころからゲイであることを意識していたと語っている.モルコムは数学が好きで,将来数学者になることが夢であった.チューリングの数学志向は,じつはこのモルコムの影響なのである.ところが,そのモルコムがわずか18歳で亡くなってしまうのだ.このことは,後のチューリングの人生に,良い意味でも悪い意味でも大きな影響を与えている.

チューリングがその後も数学を続けたのは,いずれ天国に行ってモルコムと再び出会ったときに,以前のようにモルコムと数学の話をするためだった,というのである.なんという純愛(???)だろう.また,「人工知能」を作るという研究の裏には,その機械にモルコムの魂を復活させる,という隠された目的があったとも伝えられている.実際,チューリングは,人工知能のことを書いた論文のなかで,霊が存在した場合についても考察している.天才は,やっぱりどこか違う…….

チューリングの才能の秘密は?
チューリングの業績は非常に多岐にわたるが,大きなものは以下の4つである.
1) チューリングマシンの提案と,その後の計算機開発に対する貢献

チューリングマシン(Turing machine)は,もともと数学の公理系が「証明できない命題を含む」ことの証明として考え出されたものだが,それは同時にコンピュータの理論的なモデルとなった.チューリングは自分では強く主張しなかったが,ソフトウェアをデータとして扱うことで,どんな計算(作業)でも可能にする今日のコンピュータのアーキテクチャの生みの親でもある(Hodges氏の講演より).「TuringPrize」は,現在,コンピュータサイエンスのノーベル賞と呼ばれている.まさに,計算機科学の父なのだ.

2)ドイツの暗号(エニグマ)を解読する機械(ボンベ)の設計

第二次大戦の前半,イギリスはUボートによる通商破壊作戦によって深刻な危機に陥っていた.アメリカから輸送される武器,食料などがなければ,戦争継続は不可能なのだが,輸送船は次々に沈められていく.神出鬼没の潜水艦を,英米の護衛艦は見つけられない.まさに手の打ちようがなかったのだが,1つだけ大逆転の可能性があった.Uボートは,エニグマ(enigma)と呼ばれる暗号で本国からの指示を得て動いている.その暗号を解読してしまえば,Uボートを待ち伏せして殲滅できるのだ.イギリスは秘密の数学者チームを組織し,エニグマ暗号の解読にかけた.解読チームのリーダーは,もちろんチューリングである.彼らはボンベ(bombe)と呼ばれる解読装置を完成させ,不可能と言われたエニグマ暗号の解読に成功した.ドイツは暗号を解読されていることに最後まで気付かず,Uボート部隊はほとんど壊滅.イギリスは救われた.チューリングは救国の英雄なのである.
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エニグマ暗号機と解読装置「ボンベ」

 

3)人工知能問題におけるチューリングテストの提案

機械が考えることができるか? というのは,チューリングにとっての最大の関心事であった.彼は,知性・意識・思考というものの本質をあぶり出すために,1つの簡単なゲームを提案した.それは,被験者に,人,あるいは計算機とタイプライターで会話させて,相手がどちらであるかを判断させる,というゲームである.もし被験者が,自分の対話の相手が人か機械かわからないのであれば,それは「人工知能であると考えるべきだ」というのがチューリングの主張である.このチューリングテスト(Turing test)は,人工知能研究の1つの柱となっており,今でもチューリングテストをパスできる計算機システムの開発が盛んに行われている.
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チューリングテストのイメージ図

 

4)生物の自律的な形態形成の基礎となる反応拡散原理の発見

チューリングは,自死の4年前から生物の形態に興味を持ち,(はた目には)まったく唐突(1952年)に生物の形態形成に関する論文を書いている.それがご存知(でもないかな?)筆者の研究対象でもある反応拡散原理だ.なんの変哲もない化学反応をちょっと組み合わせるだけで,正確な位置情報が簡単に作れることをチョチョイのチョイと証明し,それが生物の形態形成の基本原理であると主張している.形のない物体に,自動的にパターン(形)が作られていく過程こそが生物の形態形成の本質であり,反応拡散の原理はその答えそのものだ.
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反応拡散系のシミュレーションでできるパターン
 

まったく,何をやっても歴史的な業績をあげてしまう,という感じだ.どうしたらこんな天才が生まれてくるのだろう?

何か,秘密があるのだろうか? もしあったら,ぜひ知りたい.

その秘密がわかれば,自分も大発見ができるかもしれない…….

誰しもそう考えるものらしく,今日のHodges氏(オックスフォードの数学教授で,Turing Home Pageの管理者,チューリング研究の第一人者であり,ついでに有名なホモセクシュアル界のカリスマ?)の講演で,チューリングの発想には共通点があることが指摘された.チューリングの特異な才能の特徴は,非常に抽象的でとらえどころのないように見える問題を,きわめて具体的でシンプルな問題にしてしまうところだ,と言うのである.

 

なるほど.考えれば確かにそうである.

「数学の公理系の完全性」とか,「数学における証明とは何か?」とか問われると,誰しも途方にくれてしまいそうだが,チューリングは一本のテープの上を動き回る「マシン」の動き,というきわめて具体的でイメージしやすい問題に置き換えることで,問題を解いてしまった.

 

知能の問題もそうである.

普通,知能とは何か? と問われても,どうしてよいやらわからない.そもそも,答えがどんなものかをイメージすることすらできない.しかし,チューリングは,機械と人間の単純な問答,という簡単なゲームを設定し,そこに知性の本質(内部の仕組みではなく,外部との応答)があることを示した.

また,形態形成の問題に関しても,同様である.

 

常人なら,数百万種もいる生物の形を見てしまえば,この問題は,個別的でバラエティがありすぎ,単純で普遍的な答えがあるなんて,頭に浮かびすらしない.ところがチューリングは,たった2種類の仮想分子の振る舞いにすべての形態形成現象を代表させて,形(空間パターン)を作るのに十分な能力があることを示してしまうのである.

うむ.確かに,Hodges氏の指摘は正しそうだ.チューリングの才能の秘密は,そういうことだったのか.あれっ? だとすると,この手法をまねれば,チューリングのような発見ができるということか??

 

講演を聞きながら一瞬そう考えて,ときめいてしまったのだが,よく考えればまねるったって,どうしていいのかわからない.というか,そんなことは不可能である.そもそも歴史上の偉大な発見の多くは,みんな同じ特徴を持っているではないか.

 

メンデルは,「遺伝」というとらえどころのないものを,「分割不能な因子の組み合わせ」という具体的なものに,ダーウィンは「進化」という,当時は科学というよりも思想に近かった抽象的な概念を「変異と選択」の組み合わせに変換することで解明したのである.抽象的な概念を具体的・単純なものに“本質を失わずに”変換するためには,そもそも,その問題の本質を見抜いていることが必要だ.チューリングが抽象的な問題を具体的な問題に変換できた,ということは,彼が本質を見抜いていたから,である.手法の問題ではない.というわけで,Hodges氏の分析は,残念ながら,凡人の役には立たないのである.

 

Hodges氏の講演で,1つだけ参考になる指摘があるとすれば,チューリングが自分の考えから「本質的でないもの」を極力排除する傾向があったこと,かもしれない.計算機を設計するときに,「数」をどう表現するかは重要な問題である.我々は10進法を使っているが,計算機の場合,2進法が採用されているのはご存知のとおり.この違いは,回路の設計に大きな影響を与えるので,工学的には重要な選択である.しかし,チューリングは,「何進法だろうが,変換ができるのだから重要な問題ではない」,と主張し続けたらしい.実際に計算機を組み上げる技師たちとは,意見が合わなかったかもしれない.だが,「情報」と「計算」の意味を考え続けたチューリングにとっては,当然の主張だったのだろう.そう言えば,暗号解読装置ボンベの設計思想も「暗号から,意味のある情報を抽出する」というよりも,「可能性のない組み合わせを最短の作業で省く」というものだ.「無意味な物を極力排除する」,というのが,チューリングの手法と言えるかもしれない.

 

これを我が身に照らして考えると……確かにちょっと反省すべきことに思い当たる.研究をしていると,どうしても「やればできること」をやってしまいがちだ.失敗する可能性の高い方法を選択するのは危険であり,できれば避けたい.しかし,本当の答えがそっちにあるのであれば,「できること」を選んでしまい,それをやっている間は,永遠に重要な答えに近づけないのだ.う〜む.これは,確かに誰しもが考えるべき問題ではある.だけど,論文出ないと失業しちゃうしなぁ…….やっぱり天才にのみ許されるストラテジーなんだろうなぁ.


チューリングの自殺の真相

チューリングのような才能が,もし自分にもあったら……,と思ってしまうのは,科学者であれば,避けがたいことである.チューリングの頭脳が手に入るのだったら,全財産どころか,悪魔に魂を売ってもいいという学者は,いくらでもいるだろう.だって,世界的業績は保証付きで,ついでに富も名声も確実,女性にもモテモテで……,あ,チューリングはゲイだった…….

 

それはともかく,そこそこの才能があれば,確かに研究人生は明るくなるだろうが,チューリングレベルとなると,逆に,あんまり幸せにはなれそうもないのだ.いろいろな不運が積み重なり,チューリングは1954年に自殺してしまうのだから.

 

不幸の1つ目は,彼の仕事が,あまりにも時代を先取りしすぎていたため,ほかの学者に理解されなかったことである.動物の形態形成の仕事は,分子生物学の始まる前のことである(ワトソン,クリックの論文は1954年でチューリングの自殺した年に出版された).チューリングの提案した「化学反応の波」をシミュレーションで見ることができたのすら20年後であり,生物学者が認識できるような証拠が示されたのは,40年以上過ぎてからである.残念ながら,チューリングの,形態形成に関する歴史的な論文は,ほとんど無視されてしまった.また,人工知能の問題も,当時の計算機では試すことはまったく不可能であり,哲学的な議論のネタになっただけであった.あまりにも時代を先取りしすぎる天才は,理解も賞賛も期待できないのである.これは非常に悲しい.

 

不幸の2つ目は,時代である.暗号解読の仕事は,隠れた戦争の英雄であるチューリングに最大の賞賛と栄光をもたらすはずであった.しかし,第二次大戦が終わると,すぐに冷戦の時代が始まる.007などのスパイが暗躍する時代である.当然,暗号解読技術はトップシークレットである.イギリス政府は暗号解読チームの存在自身を,国家機密として外部に漏らすことを禁じてしまったのである.さらに,あろうことか,イギリス政府は旧植民地の英連邦の国々に,「これは絶対に解読できない暗号作成装置だ」と言ってエニグマを配っていたのだ.チューリングの業績を公表できるはずがない.

 

それどころか,暗号解読の天才であるチューリングそのものが,危険な存在である.彼が東側に誘拐されでもしたら,えらいことだ.チューリングは,監視されるようになり,次第に政府に対して良い感情を持たなくなる.当時,プリンストン滞在の後に彼が書いた手紙が残っており(式典の最終日に公開された),その中には「滞在中たくさんの暗号に関する新しい示唆を得たが,それを政府に売り渡すつもりはない.」という意味のことが述べられている.当然のごとく,イギリス(MI6)・アメリカ(CIA)のような情報組織は,その手紙を検閲しているはずだ.チューリングは,次第に計算機や暗号の研究チームから外され,疎外されていった.

 

折悪しくか,あるいは仕組まれたのかわからないが,当時,KGBのスパイ5人が,ケンブリッジのキングスカレッジに潜入しているのが摘発された.しかも,「スパイがターゲットにしているのは精神的に弱いゲイである」,という噂が立ったのである.そのころ,チューリングは,あるひとりのゲイの少年と知り合い,一夜を共にする.しばらくしてチューリングの家に泥棒が入り,犯人が捕まったのだが,調べると泥棒の手引きをしたのは,そのゲイの少年であった.しかも,彼はチューリングとの関係まで警察に話してしまったのである.当時同性愛は,法律的に犯罪であった.チューリングも逮捕されて有罪となり,性欲を弱める(と信じられていた)女性ホルモン注射を定期的に打たれることになった.戦争の英雄であるにもかかわらず,チューリングは世間に非難され,辱められてしまう.このあたり,まさにスパイ映画に出てきそうな展開だ.MI6CIAが仕組んだとしても,それほど的外れではないだろう.ジェームスボンドがチューリングを見張っていたとしても,意外ではない.

 

その2年後にチューリングは自殺してしまう.部屋には青酸カリの匂いが立ち込め,ベッドのそばの皿には,一口かじったリンゴが残っていた(現場に立ち会った医師供述書が残っており,ほかの資料と共に展示されていた).
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医師による供述書。自殺の状況が生々しく語られている。

事故なのか,自殺なのか,あるいは他殺なのか? それは今となってはわからない.チューリングが自殺の当日に,大学の計算機を使う予約をとっていたことと,チューリングが金メッキの実験(青酸を使う)をよくやっていたことから,母親は事故であると思っていたらしい.しかし,チューリングが映画「白雪姫」を見たあとで,「魔法の秘薬にリンゴを漬けよう,永遠なる眠りがしみこむように」とつぶやくのを同僚が聞いており,これが自殺説の根拠になっている.計算機の予約は母親に自殺と思わせないための,チューリングのトリックであるというのが,一般の解釈である.

 

他殺の可能性はないということになっている.KGBにしても,誘拐ならともかく殺してしまっては意味がない.すでに暗号チームの中枢からチューリングを排除している英米サイドにも,彼を殺してまで研究から遠ざける必然性はない.だが,手前勝手な政府の都合により,チューリングが精神的に追い込まれていったことは事実であり,政府はそれを百も承知で放置していたわけである.その意味では,イギリス政府(アメリカ政府も?)こそ,このかけがえのない才能を葬った真犯人であると,筆者は思う.法律的に言えば「未必の故意」で有罪ではないだろうか.

 

英国政府は,2009年に公式にチューリングの名誉回復を宣言し,天国のチューリングに謝罪した.また,今回の記念プレートの除幕式でも,ケンブリッジの市長により,当時のゲイへの偏見とチューリングに対する辱めは,非常に遺憾なことであった,と述べられた.ただ,どうも彼らは,ゲイの話に持って行って,自分の責任をごまかそうとしているように思えてならない.英雄をおとしめたのは,冷戦時の政府の「身勝手な都合」である.ゲイへの偏見は,政府に利用されたに過ぎない.

以上のように,天才チューリングは,世間から賞賛され幸せな人生を送ることはかなわなかった.だが,研究者としては,ちょっと違うかもしれない.少なくとも周囲の人は彼が紛れもない天才であることを知っており,それなりの賞賛を送っていたはずである.凡人の自分を省みると,それだけでも学者としては結構幸せなのではないかと思う.まあ,それは本人に聞いてみないとわからないが。。。。。.

 

真犯人を示す暗号?

コンピュータが一般に広まったおかげで,チューリングの業績が広く知られるようになっているのは,とてもうれしいことだ.身の回りに目をやると,いろいろなところにチューリングの伝説のかけらが転がっている.そう,アップルのロゴである.アップルのロゴのりんごには,右半分にかじったあとがある.これは記憶容量の単位である「バイト」を「かじる(bite)」と引っ掛けたものだが,かじったのはもちろんチューリングだ(都市伝説という説あり).ついでに,このロゴには,誰がチューリングを死に追いやったのかが,暗号で記されているのです.

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