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Vol.5
堀江健生教授のあゆみ(3/4) 人生で一番研究に打ち込んだ留学 2022.10.19

今回は、堀江教授の留学中の闘いについてお届けします。前回までのお話は以下リンク先からご覧いただけます。

世界の最先端にいる
バークレーでの生活を夢見て

Michael Levine(マイク)はショウジョウバエで遺伝子発現調節の研究をしていたのですが、ホヤを使って(趣味だとか言って)進化の研究もしていました。マイクのラボに行くためにUC Berkeley(バークレー)の見学にも行きました。カリフォルニアのとてもいいところで、ラボにはたまたま日本人が二人いました。そのうちの一人が僕と同世代で当時、大阪大学大学院医学系研究科の准教授を辞めて、Michael Levine研に行かれていた山崎裕自さんという方でした。すごくお世話になり、バークレーを見て回り、家族とともにカリフォルニアの青い空の下で生活するのを夢見て、日々を過ごしていました。ところが、翌年の4月の渡米を控えた12月に山崎さんから「堀江さん、びっくりしたでしょうね。突然マイクがプリストンに移ることになって」とメールが届いたのです。「いや、きいてない!プリンストンってどこ?」とグーグルで調べて東海岸だったので、あぁぁという感じです。

でも、ニューヨークのすごくいいところだと分かり、結局、僕もプリストンに行きますと伝えました。慌ててビザの準備を始めたのですが、プリンストンへは行ったことなく、どこかもよくわからないままですごく大変でした。この時期、たまたまマイクが沖縄科学技術大学院大学のウィンターコースの講師として来日していて、そこで話す機会がありました。「プリンストンはアメリカで裕福な大学で、ハーバードと同じくらいの予算規模でありながら、学生教員数はプリンストンが半分なので、一人当たりの配分がハーバードの倍ある。タケオ、好きなものを買っていいぞ。ウィンドウショッピングだ」とマイクが言うのです。嘘だったんですが(笑)。プリンストンで何をするかも話しました。バークレーの時は、神経回路の研究をしようとしていたのですが、プリンストンの行先は統合ゲノミクス研究所でした。そこで、「これからはシングルセルトランスクリプトームだ、バークレーでは出来なかったシングルセルトランスクリプトームを使って、プリンストンで何をしたいか考えておくように」と言われました。これが、2014年の末です。

  • ※ 1細胞トランスクリプトーム(解析):細胞一つ一つについて遺伝子発現を網羅的に調べる技術。それにより、神経細胞を一つ一つ分類して、一つの細胞だけに外来遺伝子を導入することもできる。
やりたい研究が一気に実現化

ここから僕がやりたい研究が一気に実現化していきました。アメリカへ行って、シングルセル解析に取り組み始めました。15~20人くらいのそんなに大きくないラボなのですが、ラボメンバーは皆、有名なラボの出身者で、このプリンストンの経験は本当に代えがたいものがありました。統合ゲノミクス研究所と分子生物学部に所属していたので、世界中の有名な研究者が招かれるセミナーが、それぞれ週一回ずつ開催されていました。未発表データがバンバン発表されている環境を目の当たりにしたとき、自分自身が世界の最先端の研究にいることを実感しました。

特に印象に残っているのが、ハワード・ヒューズ医学研究所が運営しているジャネリアリサーチキャンパスでの転写のミーティングがあり、クローズドの研究会に参加し、キャンパスを見学した時のことです。ちょうどその時、ジャネリアリサーチキャンパス出身のエリック・ベツィグが超解像度顕微鏡でノーベル化学賞を受賞していました。当時市販されていなかったラティスライトシート顕微鏡を見せてもらうなど、とても貴重な経験をしました。クローズドの研究会では、未発表データがバンバン発表され、活発な議論が起こるのですが、半年後くらいに、そのデータがCellとかNatureとかScienceとかMolecular Cellに次々に出ているのです。「これや!アメリカは!」というのを肌で感じました。世界のトップのラボで、刺激的な日々の中、寝食を忘れて妻と研究に打ち込みました。でも、アメリカなので家庭も大事にしていました。子供の保育参観にも全部参加し、休む時は休み、仕事する時は仕事するという感じで、人生で一番研究に打ち込みました。

  • ※ ライトシート顕微鏡は(共焦点顕微鏡と同じく)試料の三次元イメージングができ、脳神経系の構造解析にも使われる。画像を早く、低ダメージでマルチアングルで撮影できるのが特徴だが、共焦点顕微鏡に比べて分解能が低い。ラティスライトシート顕微鏡はライトシート顕微鏡の特徴はそのままに、従来よりも高い分解能で撮影できる。
新しい技術をどんどん導入しよう
ホヤのドーパミン神経細胞を人工的に作り出すということにも成功

神経堤細胞と頭部プラコードという脊椎動物の進化に最も重要だと言われている器官があるのですが、神経堤細胞と頭部プラコードの二つの器官を獲得したことが私たち脊椎動物の進化に最も重要だと言われています。目や鼻や口、歯やあごをもつ私たちの顔は、脊椎動物の特徴です。頭部プラコードは目とか鼻とか口をつくり、神経堤細胞は歯とか頭蓋骨をつくる。それらが進化のいつの段階で獲得されたのか、頭部プラコードと神経堤細胞はどちらの起源が古いのかというのはよくわかっていなかったのです。そこで、ホヤを使って研究することになりました。

ホヤは脊椎動物に最も近縁

ホヤは系統樹上では脊椎動物に最も近縁な無脊椎動物であり、祖先的な形質を残しているので、脊椎動物とホヤの共通祖先の性質を示すことができるというロジックの下、ホヤが神経堤細胞と頭部プラコードを持っているのかどうか、それはどういった性質を備えているのかということを研究し、2018年、Natureに発表しました。そして、2019年にホヤのドーパミン神経細胞を人工的に作り出すということに成功しました。全て1細胞トランスクリプト―ムを使用したのですが、それをすごく評価していただき、今に至ると思っています。

マイクにはいろいろと学ばせて頂いて感謝しかないです。あんな刺激的な日々は、多分もうないのではないかと思っています。マイクとのエピソードでとても印象に残っているのが、Natureに論文を投稿したときです。一緒に論文を仕上げ、投稿するタイミングで「タケオ、俺の名前を消してくれ、俺の名前があると俺のおかげでNatureに出たと言われるから俺の名前を消そう」とマイクが言ったのです。国際テニュアトラックプロジェクトは海外のメンターと一緒に論文を出すことが目的だったので、一緒に投稿しようと言い、止めました。しかし、それぐらい僕のことを考えてくれていて、偉大な方だなと思いました。

「Discovery depend on technology」

Developmentというジャーナルのマイクへのインタビューに「Discovery depend on technology」※1と書かれています。発見は新しい技術に根差している、新しい技術をどんどん導入しようとマイクも強調していました。マイクのラボは、僕が行ったときは、ホヤの研究では1細胞トランスクリプト―ムを、ショウジョウバエの研究では転写のライブイメージングを使っていました。今まで転写の研究は固定サンプルで見ていたのですが、ライブイメージングでは、いつどこで転写が起こっているかというのをライブで観察するという手法です。そして、今、僕はホヤで転写のライブイメージング手法※2を導入しているところです。マイクのところでは、1細胞トランスクリプト―ムを研究するとともに、転写という新しい研究を開始するきっかけにもなりました。そして、今、その転写の研究は、創発的研究支援事業に採択していただいて、新しい研究テーマも始まっています。

これまでの話はサクセスストーリーのように感じますが、順風満帆ではなかったです。バークレーからプリンストンへの行先変更に、6月に渡米したけれどもバークレーから荷物が届くまでに1か月かかったこと。そこから研究室がスタートしても、最初は言葉も通じない。何でも買ってもいいと言われていたのに話が違ったことや、実験に必要なものを手に入れるために色々と手を尽くさないといけないことなど、立ち上げが日本よりも大変でした。でも、この時の経験があるから、今この(日本での)ラボの立ち上げは、すごく楽に感じました。

「accept in principle」からもう一回査読にまわる!?

テニュアトラックの論文をまとめている最中にマイクに心臓疾患が見つかり、数か月間は離脱して、自宅のあるバークレーから遠隔で作業するという期間もあり、しんどかったです。論文を出すのにリバイスを4回もしています。論文掲載に1年かかりましたので、エディターに「We are delighted to accept in principle your paper.」と言われたときも、嬉しいという気持ちよりも、やっと闘いが終わったんだという気持ちでした。これでテニュアトラックも大丈夫だろうという安堵感の方が強かったです。

でも、次の週くらいにエディターからメールが来て、編集会議にかけたら、レビュアーの中に1細胞トランスクリプトームの専門家がいないから、専門家を入れてもう1度査読すると言われたました。「え!?」と思いました。こんな例は、僕もマイクも初めて聞いて、彼は激怒していました。そこからはドキドキの1か月です。無事にアクセプトされたのですが、テニュアトラックの審査もあって、消耗していました。2度とテニュアトラックをしたくないなと思いました。紆余曲折がありながらもテニュアを取得して帰国できました。

異動を決意
部屋が狭くて

帰国できたのは良かったのですが、帰国後の研究室がとにかく狭かったのが大変でした。15平米です。そこに僕のオフィス、妻の作業台を設置するので、すれ違いのスペースがないのです。もう一つの部屋も左半分だけが僕のスペースでした。そこはすれ違えないぐらい狭かったです。こんな研究環境でしたが、Proceedings of the National Academy of Sciences(PNAS)にも論文を出しました。それでも、やっぱりしんどい。これからラボメンバーを増やしていこう、採用していただいた大型科研費でポスドクを雇いたいと思っていても入るスペースがないのです。学生さんも3人いたのですが、実験する場所がないので、同じホヤを研究している教授の実験室を間借りして、別の研究をしているという状況でした。こんな状況では人も増やせない、思いっきり研究ができないと思い、異動を決意しました。

助教の頃の部屋

また、テニュアを取得して助教のままのポジションというのも大きな理由の一つでした。そこで、准教授のポジションを探して、地方大学にあたるのですが、全然採用してもらえませんでした。そんな時に相談した知り合いから「堀江さん、准教授じゃなくて、教授で出したらいいですよ」と助言されました。そこで、初めて思い切って教授のポジションにアプライしたのが、阪大の生命機能研究科でした。さきがけのメンバーにアドバイスをもらい、面接に挑んだところ、採用していただけました。皆さんに「勇気づけられる」って言われます。助教からいきなり教授になった、地方の臨海実験所の小さいラボから今のような大きなラボに来れる、そんなこともあるよと。

次回は、FBSのこと、これからのことについて語っていただきます。

(上野・木藤)

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