SEARCH

PAGETOP

Vol.5
堀江健生教授のあゆみ(2/4) スター研究者のなかで叩き上げられる 2022.10.12

今回は、堀江教授のポスドク、助教の頃の話です。前回までのお話は以下リンク先からご覧いただけます。

定説を覆した実験
本当にそうなのかどうかはわからない

笹倉研では、光るホヤを作っていました。学生時代は抗体を使って染色していたのですが、抗体を使った染色では生きたまま見ることができないのです。固定といってホルマリンでホヤを殺し、その後、染色するのに2〜3日かかってしまいます。そうではなく、ゲノムの中に蛍光タンパク質を組み込むという手法を使って、ホヤの神経系のいろんな細胞を光らせるという系統を作り、顕微鏡で観察し、神経回路がどうなっているのかを研究していました。ここで使用したのがKaede(カエデ)という蛍光タンパク質で、UVを当てると植物の楓のように緑から赤に(不可逆的に)色が変わるものです。これを利用して、ある細胞の追跡実験(トレース)をすることができるのです。

ホヤは、幼生から8時間ぐらい経つと変態という現象が起き、体の形を大きく変化させ、成体になっていきます。昔の観察結果から、その過程の中で幼生の脳の細胞がなくなり、新しく成体の神経系が作り出されると言われていました。でも、これは、固定サンプルを少しずつ見ているだけなので、本当にそうなのかどうかはわからないと思い、カエデを使用して神経系の変化を見てみました。

ホヤが幼生から成体になる様子

幼生の時期に中枢神経系を緑色から赤色に変化させた後、幼若体(成体)まで3〜4日間飼育します。幼生の中枢神経系が維持されていれば赤色である幼生の細胞が残り、もし幼生の中枢神経系がなくなるのであれば、赤色の幼生の細胞がなくなり(新しくできた細胞はUVが照射されていないので)緑色の細胞が見えることになります。見てみると、見事に赤色の細胞が残っていました。幼生の中枢神経系は、変態後も維持されて、成体の神経系の形成に関与するということを見つけました。

Developmental BiologyからNatureへ

いろんな神経細胞をラベルしてトレースするというのは、僕らからしたらただの観察の実験でした。20個ほどの図があり、80ページに及ぶ長大な論文だったため、当初はDevelopmental Biology(DB)に投稿しようと思っていました。時間をかけて書き上げ、共著者である沖縄科学技術大学院大学の佐藤矩行先生に送ったところ「これは、他の脊椎動物で出来ない実験をホヤで初めてやった実験だから、Natureこそふさわしい!投稿してみろ!」というわけです。でも、僕は嫌でした。長大な論文を7~8ページにまとめないといけなかったからです。それでも、笹倉先生に手伝って頂いて、かなり短くして投稿しました。この時は「ダメだったらDBに投稿しよう」くらいの気持ちでした。

Natureは、投稿した論文の90%くらいがエディターでキックされるので、ダメだった場合の返事はとても速いです。僕自身、夜に出して次の日の朝には通知が来てるみたいな経験はありました。それが、1週間経っても2週間経っても返事がないのです。論文投稿から1か月後、査読に回ったと通知がきて、とりあえず、良かったなと思っていたのですが、さらにもう1か月して、びっくりする返事がきました。

  • ※ 発生生物学のコアジャーナルの一つ。オンラインジャーナルがない時代に、図の制限もなく、カラーチャージもそんなに高価でなかった。
研究者人生の中で一番興奮した瞬間

3人いたレビュアーは、レビュアー1が「俺はこんな実験をマウスでしてみたかった」と一発アクセプト、レビュアー2は(あきらかにホヤの研究者で)「過去の知見をひっくり返しきれていない」とリジェクト、レビュアー3は「面白いけどNatureにふさわしいかは他のレビュアーに任せる」と中立の立場でした。1:1:1でエディターの判断は、リジェクトでした。僕は諦めて、やっぱりDBに投稿しようとしていました。でも、佐藤先生が、Natureで一発アクセプトはすごく珍しいから頑張ってアピールするよう勧めるのでアピールしてみました。

そうすると、エディターももう一度、審査に回してくれることになり、レビュアー2に言われたことを全部実験し、再投稿しました。それが、大変な実験だったのですが、妻がかなり力になってくれました。それから1か月後くらいに返事が来て、レビュアー1、2はアクセプト、レビュアー3もアクセプトだけど、掲載するかどうかは他のレビュアーの判断に任せるということでアクセプトになりました。論文データを見ると論文投稿から1か月でアクセプトになっているので、Natureにしてはすごく珍しく、とても早いアクセプトになっています。この通知を受け取った瞬間は、今までの研究者人生の中で一番興奮した瞬間です。ホヤの分野で、日本人で、筆頭著者でNatureに出せたのは、阪大の西田先生など数名しかいません。あこがれのNatureに論文が掲載されたことにすごく感動しました。この時ポスドクの4年目でした。

次のポジションを探しているタイミングでNatureに掲載され、その後、最初の公募が、たまたまですが、筑波大学下田臨海実験センターの助教の独立ポジションでした。そちらに学振PDから助教として採用していただき、32歳で独立して研究室を持たせていただきました。2011年にNatureに掲載され、同年の6月16日に研究室を立ち上げました。学位取得後4年でラボを持たせていただいたので、すごくラッキーでした。

もう一つのターニングポイント
研究費獲得とスランプ

独立しても研究費はなく、持っている資金は学振PDの時の100万円だけでした。何もない部屋だけでは、研究できるわけがないです。研究費にたくさんアプライしたのですが、全然採択されず、その時に唯一面接に呼んでいただいたのがJSTのさきがけ研究領域(さきがけ)でした。当時、当研究科の村上富士夫先生が統括されていた「脳神経回路の形成・動作と制御」という領域でした。過去2年間も出していましたが、不採択で、3回目の募集とNatureへの掲載のタイミングが重なり、独立したばかりで資金が必要なことも多分考慮していただき、採択していただきました。ホヤの神経系の研究をより加速させる独立のタイミングでさきがけをいただけたことは、村上先生をはじめ、その関係者の方には感謝しかないです。ここが、僕のもう一つのターニングポイントかなと思っています。

さきがけの研究者は、ほとんどが哺乳類の神経科学者ばかりですが、その中にアウトサイダーの僕がポッと入り、最初は全然知らないやつがいると言われました。それでも、マウスや哺乳類の研究をしている人たちと知り合って、ニューロサイエンティストとして一応認めて頂き、仲間に入れて頂いたというのは僕にとってすごく大きかったです。終わって10年以上経ちますけど、今も付き合いがあり、夏に集まって合宿するほど仲良くして頂いています。今のポジションの教授選のときも、さきがけのメンバーの人に面接練習に付き合って頂いて、ジョブトークのアドバイスをたくさんいただきました。さきがけのつながりはとても有難かったですが、そこでスランプになりました。

さきがけは、年2回領域会議があるのですが、皆さん哺乳類のスター研究者の集まりなのです。自分は何者でもなくて、小さなラボで、1人でやっているというのに、周りはNatureやCellやNeuronといったジャーナルに論文を連発しているようなスター研究者ばかりで、自分も周りと同じような仕事をしないといけないと思い込んでしまったのです。Natureに掲載された経験から、出せる時に出すべき論文を出さず、それを溜めて大きな論文にしようと、論文が出せない時期が続きました。当時30歳前半で、さきがけに採択され、領域の中で2番目に若かった僕は、お金の使い方もそんなに上手ではなく、自分を無理に大きく見せようとして論文が出ない時期が続いたのは、自分の中でも後悔があります。

今度こそ海外に行くチャンス

なるべく高いジャーナルに出すことを目指し、苦しみ、迷走していた時期、筑波大学で国際テニュアトラックの立ち上げの話を聞きました。「国際」という名前のとおり、海外でのテニュアトラックプログラムでした。海外でテニュアトラックを担当し、帰国後はパーマネントの教員になれるというもので、「海外で研究できるチャンスだ、こんないいポジションはない」と思い、応募し、採用していただけました。でも、これが本当に大変でした。行先は自由に決めて良かったのですが… 。海外でテニュアトラックをするので業績の審査が、日本国内でするよりも厳しかったのです。良い論文を出さなくてはならないので、メンターとして良い論文を出している人のいるラボ、海外の大きなラボへ行かなくてはならないと思い、当時UC BerkeleyのMichael Levineという方の研究室へ行くことにしました。彼は、ショウジョウバエの研究者でホメオボックス遺伝子の発見者の一人です。組織特異的な遺伝子発現にエンハンサーがすごく重要だということを提唱された方で、遺伝子発現調節や発生の研究では超大物です。

  • ※ 任期付き雇用によって若手研究者が自立した研究環境で経験を積み、最終審査によって専任教員となるキャリアパスを提供する制度

次回は、留学先での刺激的な体験についてお話いただきます。

(上野・木藤)

PAGETOP