大阪大学 大学院生命機能研究科
時空生物学講座 心生物学研究室
教授 八木 健

KOKORO Biology Group, Laboratories for Integrated Biology, Graduate School of Frontire Biosciences, Osaka University
 メーさんのつぶやき...
  八木研HPへ
since2013.01.10  
   
 
No.009   2013.04.17   時空生物学講座
  No.008   2013.02.21   交換可能性 
  No.007   2013.02.15   春の学校
No.006   2013.02.05   心生物学  
No.005   2013.01.28   僕の場所 
No.004   2013.01.22   今はつくられている 
No.003   2013.01.17   破門事件 
  No.002   2013.01.08   輝ける未来から今を見る 
No.001   2012.12.06   メーさんの放課後 
   



2013.04.17   時空生物学講座 


   

つぶやきも久しぶりだ。「春の学校」の企画を任され、昨年の11月の終わりに大学生への情報発信として「メーさんのつぶやき」とFacebookを始めた。最初は戸惑いながら、公開される文章にナーバスになった。つぶやきは、学生さんへのメーセージとして、できるだけ真剣に自分を掘り下げるようにして書いたつもりだ。しかし、これでよいかどうかは分からないし書き上げた文章にも自信はない。企画した「春の学校」は思った以上に大盛況で終了し、その後、僕はもろもろの実務が障害物競走のようにあり、この年度末と年度始めを何とかくぐり抜けてきた。面白いもので、忙しい程、余分な仕事に真剣になってしまうことがある。誰にも頼まれないことについ手を出してしまう。でも、「春の学校」を終了してから、自分の何かが変わったのだと感じる。大袈裟に言うと、学生を信じることができるようになった。それまで、学生を信じていなかったわけではないけれど、今の自分と学生や大学院生は違うと、距離を感じていた。また、研究室にいた大学院生たちも違うと宣言していた。しかし、この「春の学校」で一部の学生にだけかもしれないが、その距離が本当はない(年齢や立場の違いでない)ことを感じさせてもらった。僕と同じ感覚の学生は今でもいるのだと。
 ところで、4月の初めに基礎生物学の講義をした。大学院の新入生の始めての講義であったので、70名弱の学生に敢えて「自己紹介」をしてもらった。「えー、何で!」という叫びを無視して、前列から順々に。「春の学校」の自己紹介の乗りで全員に行ってもらった。えーという割に、みんなが輝いていた。自己を主張している。周りの誰も寝ていない。この70人の自己紹介を時間の無駄だと感じる人はいるだろう。
でも僕は思う。人はみな、どの様な形でも表現者でありたいのではないか?人それぞれが、独自の面白い表現を持っているものだ。その結果、誰も講義で寝ることはなかった。講義の面白さは、深い知識を伝える躍動感だし、見方や考え方である。細かい知識は本で勉強すればよい。僕は今回、思いっきり「生命を捉える」考え方や遺伝子についての自分の考えを話した。僕は、コモンセンスは重要ではあるが、みんなに同じ考え方や知識をもってもらいたいとは思わない。自分で深く考え、自分へのこだわりをもって自由であってもらいたいと思っている。村上春樹の「色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年」に登場する灰田青年の「僕が大学で求めているのは、自由な環境と時間を手にすることだけです」の感覚は、僕が都立大学の生物学科にいた時と同じものだし、彼の自由についての考え方は、恐ろしい程僕の思考方法に似ているものであった。人間は、心の底の鉱脈みたいなところで繋がっているのかも知れないと真に感じた。僕は「春の学校」で勝手に宣言した。chance(機会)を与えることが、教育であると。僕たちにはその責任があると。学生のみんなは自分の力、可能性を信じて勉学に励み、本を読み、大いに語り、大いに遊べばいい。学生には優秀さや能力も必要であろう。しかし、僕たち大人には、彼らにしっかりした場と時を与えてあげる義務があると思う。時と場所、これを与えることが教育なのだと感じている。すなわち、時空を彼らに与えることが必要だ、生命機能の時空生物学講座とは、この為につけられた名前なのかもしれない。

 

2013.02.21   交換可能性 


   

自分の体はなにからできているのか?僕たちはみな、炭素、窒素、酸素、水素などの元素がつくる分子からできている。水分子を飲み、炭酸化物、タンパク質、脂肪などを食べ、いらなくなった物を排泄し、酸素分子を吸い二酸化炭素を分子としてはきだす。しかし、排泄物や二酸化炭素は自然界の中で分解され、光合成により植物の体となり、僕たちの食べ物となる。また、水分子は蒸発して雲をつくり、雨や雪となり川をつくり海となる。その一部が私たちの飲む水となる。もし元素や分子にラベルが貼られていたら、僕の体に今ある炭素は、1ヶ月前の太平洋の真ん中を泳いでいたマグロにあったものであり、水分子は南アルプスの雪だっただろう。この様に、地球上にある元素や分子は形や場所を変えながら循環して、僕たちの体の構成成分となっている。僕たちの体をつくっている元素や分子は交換可能である。

 生化学者であるルドルフ・シェーンハイマーは、同位体を用いて元素にラベルを貼る方法を工夫して、自分の体をつくっている元素や分子が食べ物からどの様につくられているのかを解析した。僕たちの食べた物は体の中で分子レベルまで分解されて、体をつくる新たな材料として筋肉や皮膚や心臓や脳をつくる。このようにして僕たちの体をつくっている分子は素早く分解と合成(代謝)を繰り返しながら入れ換わっている。人間の体をつくっている元素や分子は半年から1年で完全に入れ換わるという。僕たちの体をつくっている分子のほとんどは交換可能である。シェーンハイマーは言う。生命体は分子が動的に入れ換わりながら維持されている。この様にして生物は継続した生命をもつ。細胞は細胞からしか生まれない。生命体は生命体からしか生まれない。しかし、物質としては違ったものからできている。この連続性こそが生命の本質である。未だ細胞をつくった人はいない。生きた人工細胞ができたら凄いことだ。

 僕たちの体をつくる分子は、脳を含めてほぼ完全に1年前の自分と入れ換わる。しかし、僕たちは同じ意識をもっていると感じている。意識も連続する中で変わらない。この様な点で、生命と意識とは同様の連続性をもつ。

 ここに1本のロウソクがある。このロウソクに火をつける。そしてロウソクの炎は燃え続け、1時間経った。さて、この1時間後のロウソクの炎は、同じものか違うものか?

 答えは、両方である。違うとも、同じであるともいえる。その時燃えている炎は全く違うものである。しかし、燃え続けている炎は同じである。同じ炎が燃えることを続けている。ものことの捉え方で見方が変わる。でも、燃えるもの(ロウ)がなければ燃え続けることができない。ものことはお互いにこの様な関係をもつ。物質がなければ現象が起こらない。分子がなければ機能が起こらない。分子でできた生命体が、分裂することにより増殖し、いろいろな生命現象をもたらしている。生命が誕生してから40億年が継続し、分子が進化し現象が複雑化し、脳をつくり人間に意識を与えている。細胞は細胞からしかできないのであるから、今ある地球上の全ての生命体はつながっている。しかし、考えてもらいたい。もし仮に、地球が亡くなってしまったとしたら、全く同じ進化、継続性が起こるかは分からない。

 歴史の偶然が継続する中で、今ある生命体があり人間が誕生した。根本的に同じ生命体をつくることは無理なのである。交換不可能である。たとえ、クローン技術でできた人間がいても同じDNA配列からできてはいるけれど、異なった心と意識をもち、僕たちは一人ひとりが違った連続性をもつはずである。僕たちは交換不可能な存在である。物質としては交換可能であるが。

 僕たちは有名なジャーナルの論文、職業、キャリアといった客観的な価値観を求める。それにより自分が成り立っていると思っている。この様な客観的評価により、僕たちは優越感をもち、惑わされ、不安にさせられる。僕たちは社会に受け入れられるように交換可能になろうとする。客観的な交換可能性により評価される。しかし、僕たちが求めているのは本当に交換可能な能力なのだろうか?

 新たなスティーブ・ジョブズをつくる教育をするという。スティーブ・ジョブズは同じようにできるのだろうか?交換可能なのか?彼は大学を止めて懸命に美しいアップルをつくった。彼には教育よりもチャンスが必要だった。彼にしかできなかった交換不可能な仕事が、僕たちの求めている本当の価値観だと思う。僕たちは教育の中で学生にチャンスを与えてあげることが必要なのではないか。

 自分が求めている経験、熱くなれる仕事、真剣な学習、面白い本、自分にできた直感による行動を、失敗しながらも積み重ねてゆく。この継続性が僕らを交換不可能な存在にする。もちろん、生きてゆく為の交換可能なお金は必要だし、交換可能な能力を磨くことは大事だ。でも、交換可能な能力だけを考え、お金とキャリアで勝負するなんてつまらないと思うのだがどうだろう。

 

2013.02.15   春の学校 


 


僕が都立大学の学生だった夏、志賀高原にある信州大学の施設で植物生態学実習を手伝っていた。その夏、同じ大学の仲間だった三浦正幸(現:東大教授)が生化学夏の学校に参加することを知った。その夏の学校が目と鼻の先にある志賀高原のホテルで行われるというので、驚かしてやろうとひやかしで生態学実習を抜け出して夏の学校に襲撃をかけた。発生生物学に興味があった三浦と一緒の分科会を聞かせてもらった。その講師が京都大学・生物物理・岡田節人研の大学院生、阿形清和(現:京大教授)さんであった。ドスの利いた声で偉そうに発生を語る阿形さんに、どこか強い反発を感じて、説明していることにどんどんと質問を浴びせた。三浦も調子に乗り、阿形さんもどんどんと深く話を掘り下げていった。その分科会のオーガナイザーは三品裕司(現:ミシガン大)さんであり、結構な盛り上がりとなった。そして大宴会となり、東大に対抗する勢力として京大と都立大が立ち上がるのだとの阿形さんのシュプレヒコールの中、多くの人と飲んで騒いで仲間になった。竹内隆(現:鳥取大教授)、松居靖久(現:東北大教授)、高田慎治(現:基生研教授)もこの縁で偶然に知り合った仲間である。皆が大きな活躍を続けており、活躍を聞く中で心の中での良きライバルとなっている。ほとんど奇跡であった。生きている中では、こんな奇跡的な瞬間がいくつか起こる。ある場所ある時に偶然に集まったメンバーがまるで選ばれたかのように必然を感じながら活躍する。

この3月、阪大生命機能:春の学校を開校する。

それに先駆けvirtual生命機能研究科「春の学校」が本日から開校する。

http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/springschool2013/bbs/mtbbs2.cgi

 昨年の12月に募集をかけてから、全国から多くの募集があった。みなさん、真剣なメッセージでの申し込みであった。なるべく多くの学生さんに参加してもらおうと、予定の定員を増やし50名の参加としたが。残念ながら参加できない学生さんも出てしまった。申し訳ない思いでいっぱいである。しかしながら、これに懲りず研究室訪問などをして欲しい。生命機能研究科は、これからも全国の大学生に向けて学生さんの声を聴き、メッセージを発信し、議論する活動を継続する。その1つとして、virtual生命機能研究科の学校を準備している。大学生の本当の声を聴き、これに応える活動を始める。virtual生命機能研究科「春の学校」は、一般に公開されるのでどの様な議論がされているか時々覗いてみて下さい。

 僕が大学生の時に経験した様な奇跡の瞬間が生まれる場所と時間を、今の学生さんたちに提供することができれば最高だと思う。偶然が必然になり、目に見えないこと、無意識であることが、突然に目の前に現れ意識される。何かに出会い、本当の自分を知る。みんなで大いに語って楽しみましょう。

 なお、僕の場合はこの奇跡の夏「生化学夏の学校」の後、植物ホルモンで発生学を究めようとする小柴共一さんのところでバイトし生化学を教えてもらった。また、卒業研究では植物生態学研究室に入り小笠原諸島の「セイロンベンケイソウ」の研究をした。その後、日本血液センター研究部で血小板保存の研究を行い。発生生物学会で阿形さんに再会し、松田良一(現:東大教養)さんとともに発生生物学への復帰を勧められ、千葉大に大学院生として戻り、筋細胞の発生研究を大日方研と月田研で始めた。その中で、以前のつぶやきで書いた様な生活をし、多くの仲間ができ技術を学んだ。そして馬渕一誠さんの研究室に在籍させてもらい筑波の理化学研究所で井川洋二先生と相澤慎一さんのもとで念願であった哺乳類を用いたジーンターゲティングに取り組んだ。そして生理研でのジーンターゲティングを使った脳研究を立ち上げ、今、心生物学の研究に取り組んでいる。心生物学の時代が本当にやって来たと実感している。余談であるが、坂野仁先生曰く「心を生物学として解明しないのは生物学者の怠慢である」と先日のシンポジウムで言われていた。僕のこの様な経歴は、他からみたらめちゃくちゃに見えるかもしれない。でも、常に石の上にも3年。一旦始めたらその期間はそれに集中し邁進すると決めてきた。そうすることで必ず何かが得られた。その時その時にベストな選択をする。一旦決めたら継続する。これまでに取り組んできた全ての研究が楽しかった。血小板保存の研究も論文にはならなかったが楽しかったし、「セイロンベンケイソウ」の研究は懸命に考えたプロジェクトで植物生態研究室の木村允教授を説得して1人で小笠原諸島に行くことを許してもらった。正月に書いたつぶやきメモにも入っているので、近いうちにこの話は紹介する。僕は自分が何かを求めていると偶然な経験がいろいろなことを生みだしてくると信じている。そして、その様な小さな奇跡がどこかでおこっていないかと探すことにしている。そんな出会いのある楽しい学校に、阪大生命機能:春の学校をしたいと思っている。みのお山荘 風の杜、美しい宿です。この場所で、本音を語って掘り下げ、生命科学のこれからを真剣に語り、サイエンスを楽しみましょう。世の中には、まだまだ分からないことの方が多いのだから。

 
 

2013.02.05   心生物学 


   

今回は少し専門的な話をします。未だ仮説の段階を出ていませんが、私たちの研究の方向性を大胆に紹介したいと思います。難しいところ分からないところは、こちらの言葉が足らないところですので遠慮なく飛ばして読んでみて下さい。 

山梨の夏の山を見て小学校6年生の僕が一瞬にして蘇(よみがえ)る記憶、演奏すれば数時間もかかる音楽が一瞬にしてモーツアルトの脳に生まれてくる閃(ひらめ)きは、私たちの脳にある莫大な数のニューロンの神経活動に起因すると考えられている。時間や空間が圧縮された情報として脳の活動として記憶されている。私たちの脳は無意識において莫大な情報量を処理し、その一部が意識として今生きているという時間を生みだしている。様々な情報の複合体である主観的な意識経験が一瞬の内に私たちの脳に生みだされる仕組みとはどの様なものであろうか? 

私たち人間の脳は1000億(1010)の神経細胞(ニューロン)が集まって100兆(1013)の接続(神経回路)でつながれている。このニューロン集団からどのようにして私たちの心が創発されてくるのかは大きな謎である。この謎を生物学のメカニズムとして解明することを目指し、私たちは心生物学の研究室を立ち上げた。心を創発する生物学的基盤に対し、どの様なアプローチが可能であり、どの様な実験が必要なのだろうか。

ペンフィールドの実験やリベットの実験などにより、人の脳に直接電気刺激をすることにより主観的な意識経験が誘導できることが明らかとなっている。これらの結果は、脳で起こっている神経活動が記憶や主観的な意識経験をもたらすことを示している。また、この電気刺激を与える脳の位置を変えることにより、異なった感覚が誘発できること、0.5秒以上の電気刺激が意識ある感覚となることも明らかとなっている。また最近ではマウスを用いた実験により、場所の記憶が特定のニューロン集団の活動によりつくられていることも証明されている。

一般の学習実験では、ある場所で弱い電気ショックを与えられたマウスを、もう一度同じ場所に戻すと、恐怖の記憶が想起され硬直(フリージング)する。しかし、他の場所ではこのマウスは硬直しない。ところが、光でニューロンを興奮させる遺伝子を導入したマウスを用いてこの学習実験を行い、電気ショックを受けた場所で活動していたニューロン集団を光照射し興奮させたところ、全く別の場所であるのに、このマウスは硬直した。特定のニューロン集団の活動が恐怖の記憶を想起させたのである。この様に特定のニューロン集団の活動が記憶の情報を担っていることが示されている。また、私たちの主観的な経験の記憶もニューロン集団の活動による可能性が高い。つまり、私たちの感覚にある吸い込まれそうな空の青燃えるような夕日の赤を感じる主観的な意識経験(クオリア)も個人の脳にある特定のニューロン集団の活動に由来していると考えられる。

多様なニューロン集団の活動パターンは、進化・発生・発達・経験の結果として私たちの脳に準備される。また、この様なニューロン集団は神経回路の構造として規定されていると考えられる。人の脳にある1000億個のニューロンの様々な組み合わせによりニューロン集団はつくられており、組み合わせ爆発により無限に近いニューロン集団の数が準備されている。また、ニューロン集団の多様性と独立性、そして複雑性は、神経回路の構造として保証されている。よって、各ニューロンがニューロン集団をつくる神経回路の形成メカニズムを捉え、ニューロン集団にある情報や記憶を明らかにすることが、必要である。 

脳にあるニューロンは細胞であり、元々1個の細胞(受精卵)だったものが細胞分裂を繰り返して発生したものである。ニューロンは興奮(神経活動)し、電気パルスを次のニューロンに神経接合部(シナプス)を介して伝える。ニューロンがシナプスをどのニューロンとつくるのかにより神経回路の構造が特徴づけられる。個々のニューロンは自発的に活動をしており、神経回路の構造によりニューロンの集団的な活動となる。この集団的な活動は次々にニューロンの組み合わせを変え情報を伝えている。また、脳におけるニューロン集団の活動は外界から(眼、耳、鼻、舌、体性感覚などの感覚器から)の莫大な情報量の入力によって刻々と変化している。これが内的な神経活動にともなって無意識のうちに莫大な情報量となり、一部が選択されて私たちの意識と時間を生みだす。同時に、私たちは刻々と無意識にある多くの情報を捨てている。余談であるが、無意識に情報を捨てる過程が情報のコンテクスト(文脈)をつくる重要な情報となっていると考えられている。私たちにとってあり得る現象(飛行機が空を飛ぶ)とあり得ない現象(アフリカ象が空を飛ぶ)を見分けることには、莫大な情報量を用いた計算が必要であり、現在のコンピュータの処理能力では到底不可能な課題であるという。

いずれにしても、心を生みだすメカニズムを知るためには1000億のニューロンと100兆の神経回路がどの様にして発生プログラムや発達によりつくられてくるのかを明らかにする必要がある。今、国際的に進行しているプロジェクトに脳の全神経回路を明らかにするコネクトーム解析があり、アプローチ例である。一方、脳にある個々のニューロンがつくる局所回路の構造が生理学研究により次第に明らかになってきている。個々のニューロンは個性ある神経活動をしている(ニューロンの個性)。また、個々のニューロンの結合パターンは必ずしもランダムではなく、小さなニューロン集団となる確率が比較的高いこと(集団性)が明らかとなってきた。すなわち、ニューロンは集団性とランダム性の両方を兼ね備えた結合パターンをもつ神経回路の構造をもっている。興味深いことに、この両方の性質からなるネットワーク(回路)は全てのニューロンが短い距離(少ない介在ニューロン数)で結合しているスモール・ワールド(小さい世界)となっている。スモール・ワールド性とは、この地球上に住んでいる人が6~7人の知り合いを介して全ての人がつながっている様なネットワークの性質をいう。この性質により、脳に1000億ものニューロンがあっても感覚入力(飛んで来るボールが見える)から数十程のニューロンを介することにより運動ニューロンに出力する(ボールをつかむ筋肉を統合的に動かす)ことが可能となる。また同時に、ニューロンは高い集団性をもち同時に活動することが可能となる。これらのニューロン集団が様々な組み合わせで活動することにより、無限に近いニューロン集団の活動を創発することが可能となる。ニューロン集団の活動に情報や記憶があるとすると、ニューロン集団の多様な組み合わせによりできる新たなニューロン集団の活動は新しい情報や記憶を生みだすメカニズムとなる。遠い過去が走馬灯の様に蘇る記憶や壮大な音楽の閃きが一瞬の記憶として意識に想起される経験は、この様なニューロン集団の一瞬で起こる活動して、空間や時間を圧縮した記憶となっていると考えられる。

しかし、神経活動は動的なものであり、独立したニューロン集団や統合的に組み合わさったニューロン集団の活動が記憶として脳に保存される仕組みが必要である。この動的な神経活動を保証(保持)しているのが、安定性と独立性を兼ね備えた神経回路の構造であると考えている。発生プログラムにより形成された神経回路の構造は安定した無限に近い独立したニューロン集団の数を準備し、ニューロン集団の活動の安定性と独立性、組み合わせによる新たな発展性を保証していると考えている。個々のニューロンからつくられているニューロン集団が情報の単位(要素)であり、この単位の組み合わせにより記憶が生まれ、階層的に意識経験(クオリア)や心を創発しているのではないかと考えている。これは、DNA配列のATGCの塩基でコードされた遺伝子(gene)が、階層的にタンパク質、細胞、組織、器官、個体の機能を規定する遺伝情報となっているのと類似している。発生プログラムにより形成された集団性とランダム性をもつ神経回路の構造が、情報の単位となるニューロン集団の独立性と発展性を保証している。 

カドヘリンという遺伝子は、ニューロンとニューロンをつなぐ鍵の役目をしている。このカドヘリンには100種類程の遺伝子があり、同じ種類のカドヘリンを持っているニューロン同士が結合することができる。私たちは個々のニューロンごとに違った組み合わせで発現している新しいカドヘリン(クラスター型プロトカドヘリン)遺伝子群を1998年に発見した。このクラスター型プロトカドヘリン遺伝子は人では53種類があり、その内の15種類が個々のニューロンでランダムに別々の組み合わせで発現している。すなわち、1個のニューロンが15種類の違った鍵をランダムにもっており、ニューロンに個性を与えている。この各ニューロンのもつ鍵(クラスター型プロトカドヘリン)の種類により、結合できるニューロンと結合できないニューロンが自然にできてしまうとすると神経回路の構造に集団性とランダム性を共にもつスモール・ワールド性が生まれることがシミュレーション解析により明らかとなっている。これらの結果から、クラスター型カドヘリンでつくられる神経回路の構造にあるニューロン集団が情報の単位をつくっているのではないかと仮定している。この単位が、階層的に記憶、クオリア、心をもたらすのではないかと考えている。

 脊椎動物に進化する過程で生まれたクラスター型プロトカドヘリン遺伝子は、発生プログラムの過程でニューロンに個性を与え、各ニューロンの結合パターンを規定する。これにより形成された神経回路の構造が情報の単位となるニューロン集団を保証し、この多様なニューロン集団の組み合わせにより、多様で複雑な新たなニューロン集団を創発すると考えている。

 最近の生理学研究では、場所の記憶となるニューロン集団のみならず、特定の視覚刺激に応答する大脳皮質にあるニューロン集団も発生プログラムにより準備されていることが示されており、発生プログラムで準備される多様で複雑な神経回路の構造が、脳の機能や記憶の形成において無視できないことが明らかになってきている。ランダム性(偶然)がもたらした多様性を利用して、必然となる機能を生みだすプロセスは記憶や創発をもたらす生物学的メカニズムとして広く認められている。同じ感染病に罹りにくくなる獲得免疫(免疫記憶)は、ランダムに準備された莫大な種類の免疫細胞が、感染後に機能的な免疫細胞を選択するメカニズムにより説明される。また、生物の進化(キリンの首が長くなるなど)は予め生物の集団に偶然に生みだされた遺伝子の多様性が、自然選択により選択され、新しい機能を生みだす遺伝子変異をもつ集団となる過程である。みえないプロセスの中で、偶然性を利用しながら莫大な数の多様性を生み出し、その中からみえる機能的なものを選択するプロセスは、ランダム性を利用しながらつくられたニューロン集団の単位から記憶や心が創発されるメカニズムにも認められるのではないかと考えている。私たちはこの様な視点から、心を創発するメカニズムを生物学的基盤(心生物学)として捉えて行くことができるのではないかと考えている。

 

2013.01.28   僕の場所 


 

今回は、無意識にある記憶についての話。

 今から5年ほど前の夏、8月に、何十年ぶりかで、山梨の祖父母の墓参りをするために家族を連れて出かけた。当時の僕は、少し疲れていたように思う。そんな僕に、突然の奇跡が起こった。祖父の家の前で車から降りた瞬間、目の前にそびえ立つ山が、僕の時間を止めた。身体の奥から何かがこみ上げ、おもわず涙ぐんでいた。僕が小学校6年生の夏に見た山の姿が、目の前にそのままあったのだ。僕の場所がここにあった。

 祖父の家は、桃やぶどうをつくる農家であり、高い山と山の間に挟まれた比較的広い谷の中にある。その谷に沿って、1本の幹線道路と川が平行に走っている。その川に沿って、氾濫を抑える石で組んだ堤防が続いている。川の流れは早く、冷たく澄んだ水が花崗岩の間を、水しぶきを上げながら走り落ちている。祖父の家は、その幹線道路側に位置し、家からは石の堤防に向かって低いぶどう棚が続く。そして祖父の家からは、ぶどう棚越しに、空に向かってどんとそびえ立つ山がみえる。山には木々が深い緑と若い緑を入り交ぜながら栄(は)え、中腹には赤茶けた寺がぽつんと小さく見える。小学生の頃、僕と妹は夏休みになると、1ヶ月ほど祖父の家に世話になり、桃やぶどうの収穫、出荷の箱作りの手伝いをしながら、山や川を探検し、カブト虫、ミヤマクワガタ、タマムシ、魚を捕まえたり、ターザンごっこしたりしてよく遊んでいた。昼にはミンミンゼミやツクツクボーシが騒ぎ、夕方にはヒグラシが鳴いた。夏休みの自由研究をした。

 車から降り、山の姿を見た瞬間、小学生6年生の夏の僕が、突然に蘇った。30年以上もの年月が過ぎていながら、変わらないあの夏の山がここにあった。祖父の家や公民館は新築され、村の風景は昔とはずいぶん変わってしまったが、この山の姿は変わっていなかった。30回以上もの春夏秋冬の季節を繰り返しながら、それでも山は変わっていなかった。変わらない8月の山を見て、僕の時間が蘇ったのだ。今の僕たちは、こんなに変わってしまったのに、この山は全く変っていない。自分のちっぽけさを思い知らされた。そして、僕の心は何故か癒された。この山の変わらない姿が、僕の場所であることに気付き、とても幸せな気分になった。小学生だった僕が、叔父に買ってもらった戦車のプラモデルをつくったこと、実体顕微鏡で岩石や虫を見て専門の図鑑で夢中に調べたこと、薪を割って風呂を焚いたこと、ラーメンを食べている妹の顔にコショウをふりかけて怒られたこと(本当にコショウでくしゃみがでるか実験してみたくなった)、深夜目覚めた時に幽霊らしき姿を感じて怖かったことなどが次々に蘇った。そして、山は、今ここに僕があることを感じさせてくれ、昔の僕に戻れる場所がここにあることを知った。

 藤原新也さんの本に「渋谷」がある。渋谷は東京の街であり、1日何10万人もの若者たちが集まる場所、ガングロやヤンキーなどの奇妙な格好した若者を生み出す街としても有名である。渋谷の谷底にあるJRや私鉄の駅に集まった多くの蟻が、いくつもの分かれた谷を登りながら蟻塚をつくっている。そんな街である。僕も、都立大学が渋谷を終点とする東急東横線沿線にあったことや、大学卒業後就職した日本赤十字血液センターが渋谷区広尾にあったこともあり、よくこの渋谷で遊んだ。その渋谷に「渋谷センター街」がある。藤原さんの癒される場所が、ここであるという。渋谷センター街の喧噪の中を歩いていると、音も空気もない真空地帯を歩いているような錯覚をおこすという。膨大な都会のノイズは互いを打ち消し合って、真空地帯をつくる。膨大なノイズには意味がないから、人はその中に埋没し消えることができるという。少女たちは自分を消すために渋谷に集まるのではないか。ある少女が、自分が見たドラマの魅力を語る「渋谷の街を歩くドラマのシーンで、明かりの灯ったビルとか夜の空とかが少女の歩くのと同じように揺れながら動くでしょ。あのシーンをみるといつも胸がキュンとなるの」。真空地帯で自分が消える中、その底から揺れている世界を見上げる存在感。その胸の痛みが藤原さんにはわかるという。渋谷のセンター街で、19歳の彼が蘇る。そして癒される。昔の彼に戻れる場所が渋谷のセンター街にある。

  僕も渋谷で同じ様な経験をした。大学生として東京に上京した当時、渋谷の雑踏がやかましく、耐えられなかった。何故、こんな所に多くの人がいるところを好んで、人が集まるのかが全く理解できなかった。しかし、いつしか心地よい雑踏になっていったのを覚えている。よく1人でも渋谷に出かけていった。自分では東京に馴れたのだと勝手に思い込んでいたが、渋谷は僕にとっても自分を消す場所、きっと底辺から世界を見る場所だったのだ。渋谷には喧噪の中に無がある。僕も真空状態となった場所に惹かれていたのだ。こんな騒がしい場所が、ある意味で僕の癒しの場所であったことに、この本を読んで初めて気づかされた。

 

 記憶は、こんなふうに無意識の中に僕の経験を圧縮している。僕の場所は、この記憶を一気に解凍し、過去の経験を蘇らせる。そして、今生きている僕のこころにその経験を突きつける。記憶の圧縮は、僕の場所だけではない。歌や匂いにも圧縮されている。昔の歌を聞いたり歌ったり、昔の匂い(石けんの香り、家の匂いなど)に触れることで経験が蘇る。そのことで心が癒されるのは、やはり昔の自分の経験が確認されるからではないのか。ひとり孤独で苦労した経験も、僕たちの心を癒してくれる。しかし、何故、負の経験の記憶もが、癒しにつながるのであろうか?「渋谷」の本の最後に面白い話があった。少女時代の壮絶な過去により世の中の色が見えなくなった元コギャル(サヤカ)が、ホノルルマラソンを走りながら感覚を取り戻し行くという話である。藤原さんは「地面に座っていちばん低い所から世界を見ている感覚って、あの時でなくては持てなかったのだと思う。・・・・人は人生の中のある若い時期のほんの一瞬、人はその世界まで下りて行くことができるのかもしれない・・・」と最後にサヤカに話す。サヤカはその言葉で自分を少し取り戻す。彼女はホノルルマラソンを完走した後「わたしの人生はこれでよかったんじゃないかと。あの時があったから、今の喜びがあるんじゃないかって、そう思いはじめたのです」と話す。正の存在証明としての記憶は、今ある(存る)ことによってつくられる。過去から見た今という未来から、その過去を見た時、当時の経験の全て(辛いことや苦労したこと)が、今ある自分をつくっていることを実感させる。この過程が、負を含めた全ての過去の経験を正の存在証明に変える。そして、今の経験が僕の場所をつくる。マラソンを走ったホノルルがサヤカの場所となる。この場所に自分の経験が無意識の中に記憶として圧縮される。僕たちが今あるということを、僕の場所が教えてくれる。

 

2013.01.22   今はつくられている 


   
 「輝ける未来から今を見る」を書いた後、この内容について「閃き(ひらめき)はどうしたら生まれるのですか?」、「結局は、成功した人の結果論でしかないのでは?」との意見があった。直感的閃きは、天才のみが許された特権。そうであろうか?

 私たちは、どこまで続くか分からないページの本を読むことはできない。ゴールのないマラソンには耐えられないだろう。内田樹さんは、私たちが本を読む時、その本を読んだ後の自分(感動している、賢くなった、満足したなど)の視点を無意識的にイメージすることで、今、本を読んでいるという(注1)。また、今、その本のどの辺りを読んでいるのかを、無意識的に掌の上の本の重みや、左右のバランスなどで感じることで、今の私の読み方を微妙に調整しているという。「今読んでいる私」は、「読み終えた私」により保証されているのだ。私たちは、自分が何をしているのか分からないままに(無意識のうちに)今の自分をコントロールしている(内田さんはリテラシーという)。真っ暗な部屋で、ラーメンを食べても美味しくないのは、色、形、どれ位食べたかなど、私たちは意識していないが視覚を使ってもラーメンを味わっているのである。無意識にある脳の情報が、今の意識ある行為に大きな影響を与えているのである。フルマラソンを今、足が痛くて苦労しても走っているのは、走った後の自分の視点(達成感やビールが美味い!)があるからである。私たちは皆、無意識であれ、意識的であれ輝ける未来からの視点で、今をつくっている。大学院生や研究者たちが、今、一生懸命に実験、研究するのも、未来からの視点があるからではないのか?「生命の本質を知りたい」「XXを分かりたい」という気持ちが、無意識に「解明できた後の自分」すなわち「未来からの視点」をつくり、今の自分をつくってくれている。そして、自ら実験して成功した心地よい体験や感動は、この輝ける未来からの視点をどんどん豊かにしてくれる。私たちには、自分で納得しイメージできる輝ける未来こそ、今、必要なのだ。

 この今を考える時、意識の問題から目を背けることはできない。そこで今回は、意識にまつわる話から紹介してゆく。余談であるが、僕は、生命と意識の本質は、時間を生む構造にあると考えている。

 ユーザー・イリュージョン<意識という幻想>、という素晴らしい本がある(注2)。意識をサイエンスとして、複雑系、情報科学、生物学などの多くの知見からスリリングに紹介してくれる名著である。その中に、意識についてのリベットの実験が紹介されている。なんと、私たちが意識して行動する0.5秒前に、意識がない中で脳が活動し始めているという。私たちの意識が行為を決めているのではなく、意識していない脳の活動が、今、という意識を生んでいるという(詳しいリベットの実験は注3にて)。被験者の脳の活動を測定しながら、「いつでもよいので指を曲げて下さいという」、そうすると実際に指が曲がる0.5秒も前から脳の活動が認められるという。更に驚いたことに、被験者が指を曲げようと意識した0.35秒も前から、脳の活動が無意識に始められていたのだ。私たちの意識は、無意識にある沢山の脳の活動から選ばれている。私たちの意志の決定は、意識的にできない、しかし、意識的に止めることはできるという。無意識のうちに生まれている沢山の脳の活動のうち、そのわずかが選択され意識を生みだすのである。このプロセスは、面白いことに「自然選択による進化」、「一度かかった病気にならなくなる免疫」とよく似ている。創造のプロセスには、共通して、みえないところでの沢山の選択肢(莫大な情報)の生成があり、この中から意味をもつもの(情報)が選択され、みえるものとなる。進化、免疫だけでなく意識もこの様に生みだされている。私たちの意志決定は、自分の脳で無意識にある膨大な活動(莫大な情報量)をベースにして形成されている。

 私たちは意識的に行動を始めることができない。行動には無意識の力が使われる。この点から、よくよく見回すとイチローや村上春樹など行動できる人は、独自の生活ルール、行動を始めるルールをもっていることに気がつく。自分の無意識を鍛えている。一度、行動が始まりだしたら、行動は無意識的に継続される。しかし、その開始にも無意識の力が必要なのだ。最近よく「行動する人の足を、行動していない人が引っ張る」との話を聞く。きっと、行動していない人には、行動する人の理由が理解できないのだろう。しかし、答えは明確だ。行動する人にも、本当の理由が分かっていない。行動は無意識の中で始まっている。何故、山に登るのか?そこに山があるから、なのだ。

 この様に、私たちは無意識にある沢山の脳の活動より、今という意識を選択する。よって、輝ける未来がみえる、閃くには、今、私たちの無意識にある脳の活動にこの輝ける未来がなくてはならない。凡人の僕には、壮大な音楽が意識に閃くことはないのである。ピアノを弾き、音楽を多く聞くことを経験してきたモーツアルトの脳にこそ、音楽に関する莫大な情報からなる無意識な活動があり、そこに突然の閃きが意識化される。野球を極める行為が、イチローの脳に野球に関する沢山の無意識な活動をもたらし、その独自の未来に関する閃きや予感を、意識させている。そうなのだ。今ある自分の無意識な脳の活動をどの様につくるのか、準備するのかが、意識ある行動の全ての始まり。この無意識にある活動が、何かの拍子に意識に浮かび、輝ける未来や閃きが生まれる。そして、この未来の視点から今の自分がつくられている。

 今まで生きてきた経験の全てが、今の自分をつくっている。「ぼくが歩いてきた 日々と道のりを ほんとうは“自分”っていうらしい」プロジェクトXの主題歌(スガシガオのProgress)の言葉だ。かっこいい別の自分なんていない。諦めなさい。今いる自分は、過去の全てであり、それ以上でも、それ以下でもない。今、あと一歩前に進むしかない。進むことによる経験でしか、自分を変えることはできない。しかし、自分で経験したことは無意識の中でつながり合って、沢山の脳の活動をつくってゆく。スティーブ・ジョブズは、スタンフォド大学卒業式でのスピーチで「点と点をつなげる」という話をした。リード大学に潜入して夢中になったカリグラフ講義の経験が、後のアップルコンピュータの美しさになった(注4)。当時は、全く意識していなかったことが、今の成功につながる。ジョーゼフ・キャンベルは「神話の力」の中で、「生きている意味の探求」が必要なのですねというビル・モイヤーズの質問に対し、「そうじゃない。生きているという経験を求めることだ」と答えている(注5)。今生きている経験が、自分の無意識に共鳴した時にこそ意味が生まれるという。また、村上春樹曰く、小説を書く行為は、自分の内側に潜ってゆくことであり、そこで「鉱脈」を掘り当て、そこから戻ってくることである。積み重ねた過去に生まれて熟成した「鉱脈」を掘り当て、その視点から今の書く行為ができるという(注6)。この様に創作者の生きている経験が、沢山の脳の活動をつくり、無意識の中で点と点を結びつけ、莫大な情報から輝ける未来や閃きをつくり、選択され意識される。また、この「鉱脈」は私たちが生きてきた年月だけを意味していない。私たちの家族、日本人が生まれてきた歴史、人類が誕生した歴史、生命として進化してきた歴史の全てが「鉱脈」となっている。この「鉱脈」には、精神分析学者であるカール・ユングの言う人類の精神に共通に存在する「元型」(注7)やイマヌエル・カントの<先験的観念>(注8)も含まれる。私たちは無意識のうちに、しっかりと準備された状態で生まれてくるのだ。そして生きてゆく中で経験し、無意識にある情報を拡大させ、その中に意識が生まれ自分の時間ができる。私たちの脳は、莫大な情報量(毎秒、何百万ビットもの情報が感覚器官から脳に流れ込む)を、無意識の中で並列分散的に(同時に多くの情報を一遍に)処理している。この中で統合された脳の活動が、ほんの数ビットの情報量しかもたない意識として選択され、主観的時間をつくる。この莫大な情報を無意識下に並列分散的に処理する脳の活動の基盤には、脳にある複雑な神経回路の存在がある。この複雑な神経回路が発生プログラムによりどの様に形成され、脳の活動となるのかが重要となる。僕たちのクラスター型プロトカドヘリンの研究の視点はここにある(注9)。

 もはや「閃きはどうしたら生まれるのですか?」「結局は、成功した人の結果論でしかないのでは?」への答えは明確だ。閃きは誰でも無意識におこっていて、意識することも可能だ。輝ける未来の私から、今の私を見ている。しかし、この閃きは、私たちの氏と育ち、これまでの経験、勉強、成功・失敗体験によりもたらされた無意識にある選択肢からしか生まれない。私たちはモーツアルトにもイチローにもなれない。逆に、他人は私にはなれない。私たちの意識は理由などなく生まれて来る。直感的として閃く、輝ける未来への確信は、これまでの自分からしか生まれない。

 
おしまいに、ジェームズ・クラーク・マックスウェルの言葉より(注10

私自身と呼ばれているものによって成されたことは、
私の中の私自身よりも大いなる何者かによって
成されたような気がする

 

参照

(注1)内田樹 街場の文体論 ミシマ社

(注2)ユーザーイリュージョン意識という幻想 トール ノーレットランダーシュ、Tor Norretranders、柴田 裕之 (2002/9) 紀伊国屋書店

(注3)リベットの実験

被験者の頭に電極をつけて脳波を記録する。被験者には、テレビ画面の前に座り、時計のように約2秒で1周する動く点をみてもらう。この点のある位置で、被験者の感じている時間を測定する。まず、コントロール実験として、被験者に軽い皮膚刺激をして、感じた時の点の位置を答えてもらった。その時、被験者は皮膚刺激後、約0.02で感じていると答えた。刺激から感じるまでに0.02かかることが分かった。次に、被験者には、テレビ画面をみてもらい、いつでもよいので好きな点の位置(時)で指を曲げてもらい、曲げることを意識した時の点の位置を答えてもらった。結果は、実際に指が曲がった0.2前に、被験者は意識したと答えた。意識してから指が動くまで0.2がかかった。驚いたのは、被験者本人が意識した時より0.35前には脳の活動の変化が認められたのである。すなわち、本人が意識する0.35前に、無意識な脳の活動が現れて意識行動が成り立っていたのである。実験した全ての被験者で同じ活動が認められ、私たちの意識より前に、無意識な脳の活動があることに疑問の余地はなかった。

 このリベットの実験は、私たちが意識している今という時間が、実にあやしげな時間であるのかを教えてくれる。すなわち、自分が意識する前には、無意識に脳が活動しており、意識している今をつくっている。今はつくられている

しかし、妙である。リベットの実験のコントロール実験では、被験者の皮膚に刺激を与えた後0.02で「痛って!」という意識が生まれていた。当然、被験者の皮膚に刺激があった後に、脳の活動が始まり「痛って!」という意識が生まれているのであれば、「痛って!」と意識できるのは0.35秒よりかかってしまう。しかし、実際はより短い0.02秒である。リベットは、この点に着目して、別の実験を行った。被験者の脳(大脳皮質)に直接、電気刺激を加えて、どの様な刺激で意識を引き起こすことができるか実験を行った。面白いことに、脳への電気刺激の持続時間が0.5秒以下であると、被験者は何も感じないという。意識はうまれない。しかし、脳への刺激を0.5秒以上持続させると刺激を感じるという。やはり、「痛って!」という意識でも0.5秒以上の時間がかかってしまうのだ。では何故、皮膚を刺激した実験では、素早く0.02秒で「痛って!」という意識が生まれるのか?これに対するリベットの仮説はこうだ。実際には、被験者の皮膚を刺激した後0.5秒後に意識が生じている。しかし、主観的な時間の繰り上げが脳に起こり、皮膚が刺激された時間に遡って「痛って!」という意識が生まれたと錯覚させているというものである。皮膚刺激は、意識されてなくても、いつ刺激を受けたかという時間を脳は無意識には知っている。この刺激を受けた時間に意識の時間を繰り上げているというのだ。この証拠に、被験者が意識できない0.5秒以下の短い電気刺激を脳に与えて、電気刺激があったか?なかったか?を推測させる実験を行うと、意識していないにも関わらず、ほぼ正しい回答であった。この様な例は他にもある。脳は実際には見えていない視覚での盲点を、あたかも見えているように錯覚させている(盲点の補完)。脳は都合の良いように、盲点の補完と同様に、意識した時間を無意識下での刺激時点に錯覚させている。

 自由に意識するより以前に脳の活動が始まっている事実は、私たちに自由な意志があるのか?という問題をつきつける。これに対してリベットは、意識は行為を止めさせることができるという。つまり、被験者が、実行しようと決めた行為を途中で止めた場合、無意識下ですでに発生していた意識につながる脳の活動は次第に変化し、実際の行為は止められる。自由意志は、自己意識を起こすことはできないが、行動を阻止することはできるという。そういえば、野球でピチャーからの早いボールを打つ時、バッターはバットを振るつもりで打席に立ち、ボールを見極め打つのを止める。打つ練習は、無意識にボールを打つ方法を脳に覚えさせることにある。歩くのも、走るのも、自転車に乗るのも無意識下での行為である。

 (注4)スティーブ・ジョブズ 

http://www.youtube.com/watch?v=XQB3H6I8t_4

(注5)神話の力 ジョーゼフ・キャンベル & ビル・モイヤーズ ハヤカワ文庫

(注6)夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹 文藝春秋

(注7)カール・G・ユング 精神分析学者。無意識を発展したフロイトに仕えたが、その後、精神にある「元型」を提唱。人類が共通にある集合的元型は、神話と精神性との関連性など、人間を捉える重要な概念となっている。

(注8)<先験的観念>人間の知識には、時間、空間、因果関係などのように、経験に先立ついくつかの前提が必ず備わっているというもの。カントは、こうした前提がなければ何物をも知り得ないという。しかし、それがあるがために、あるがままの世界を認識することはないという。私たちの知る世界は<先験的観念>という眼鏡を通してみたものにすぎない。

(注9)クラスター型プロトカドヘリン 1998年に私たちのグループが発見した遺伝子群。ヒトを含む脊椎動物の脳で発現しており、細胞と細胞とが接着する特異性を決めている。ヒトでは約60種類があり、脳にある神経細胞の1個1個で、異なった組み合わせで発現している。このため神経細胞に個性ができていると考えられる。また、この神経細胞の個性により複雑な神経回路がつくられていると考えられている。脳において無意識下で莫大な並列分散的な情報処理ができる仕組みとの関係性について研究が進められている。

(注10)The Life of James Clerk Maxwell (London: Macmillan, 1884)

 
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2013.01.17   破門事件 


 
正月休みにいろいろと書いておいたので、忘れないうちに、今回は、大学院当時の後輩からの要望「飲んで絡んじゃうぞ編」です。

月田研で研究をしている当時、伝説になってしまった破門事件です。12月のつぶやきにも書きましたが、当時私は、千葉大学理学研究科の大日方昂先生の研究室に属し、東京都臨床研の月田研で研究をしていました。毎週金曜日の午後には千葉大でのセミナーがあり、参加していました。千葉大 大日方研には、強者(つわもの)が多く、特に小宮透(現、大阪市大)と阿部洋志(現、千葉大)はその中でも最強で、酒に強くて、女性にもてて、真剣に研究を考えている1年生上の先輩でした(両先輩、実名を出してすみません)。この金曜日のセミナーが終わると西千葉駅の周辺でよく飲み、「面白い研究とは?」「何が研究したいか?」など研究や生き方について、翌朝まで大いに飲み語りました。その1つのテーマが、「でっかい仕事とは?」についてでした。2人の強者は、大日方研での今の仕事が自分にとっては小さすぎると感じているようで、もっと大きな仕事がしたいし、できるはずだと話していました。月田研で仕事をしている私をつかまえては、「もっと大きな仕事をしようぜ!」などと議論していました。私はというと、やはり生命の本質をえぐるような仕事がしたいと感じていたので完全に意気投合していました。そんな中、大日方研での夏合宿が勝浦の臨海実験場でありました。その晩、大日方先生を囲んで宴会がはじまりました。大日方研の宴会は、酒に強い強者が多いので、いつも大いに飲んで語って盛りあがります。大方、飲んだ頃、私は勢いにまかせ、大日方先生に向かって「先生、もっと大きな仕事、研究をやりましょうよ!」と、いつもの西千葉の飲み屋の調子で議論をふっかけてしまいました。先生は「どの様な仕事が大きな仕事なのか?」と、私に問いかけました。「やはり、ノーベル賞をねらえるくらい。ねらうくらいの気概ある研究テーマではないでしょうか!」と、答えました。先生は「ホームランバッターも必要かもしれないが、研究にはバンドでつなぐバッターも必要なのだと」説き伏せてきました。私は「それはそうかもしれないけど、やはりホームランをねらうような研究やりましょう!」と、食い下がりました。それからは、他の強者どもがこの話題に参戦し益々議論が熱くなって行きました。しかし、よく聞いてみると他の強者たちは、いつもの調子とは違い「ノーベル賞をねらうことが、研究ではない」「こつこつ研究して行くことが大事なんだ」というもので、いつもの調子の「大きな仕事しようぜ!」ではなく、私は完全に肩すかしを食わされてしまいました。あわてた私は「ノーベル賞云々より、大きな仕事、生命の本質をえぐるような研究をしましょうよ!」と叫び続けましたが、議論が白熱する中、大日方先生が最後に「八木くん、そんなに大きな仕事をしたいのであれば他に行きたまえ、君は破門だ!」と怒り、宴会が終了しました。次の日、千葉大の研究室に戻り、大日方先生の部屋に行き、頭を下げて昨晩の無礼を謝りました。その時、大日方先生は「破門はいいすぎだった。君は君で大きな仕事をつかめるよう頑張りなさい」と破門を取り下げてくれました。臨床研に帰って、月田さんに話したら、大いに笑われました。が、その気概は大事にした方がいいと言ってくれました。ちなみに、大日方先生とは、その後は、より親密な仲となり、お会いするとこの破門事件が笑い話となります。こんな大失敗からでもいろいろな大きなものが得られるのです。

過去から学び、輝ける未来をイメージし、今、行動する。格好良すぎですが。。。
 

2013.01.08   輝ける未来から今を見る 


 
今年も新しい年が明けました。おめでとうございます。昨年の12月に、つぶやきを初め、自分の言葉をさらす恐ろしさを感じています。それでも、意外に多くの方が読んでいてくれることも分かり、続けてみようと思っています。後輩からは「八木さんが飲んで絡んじゃうぞコーナー」にした方がよいとも言われていますが、絡んじゃった話は、また別の機会にして、

 今回のテーマは「輝ける未来から今を見る」です。

人はそれぞれ、自身の過去・現在・未来を違った目で見ているようです。この過去・現在・未来の視点を飛び越えることができる人がいます。そのことに初めて気がついたのは、X Japanが解散した際、テレビでのインタビューにて、YOSHIKIが語った「輝ける未来から今を見る」という言葉を聞いた時でした。その言葉には、今生きている自分の姿を 未来の自分から見たときにどう見えるのか?という、新たな視点がありました。自分のもつ過去・現在・未来という時間軸の中で、唯一、自身が、世界に働きかけられる今を、どう生きているのかを、未来から確認する視点でした。それまで、「死ぬ時、悔いがないように生きよう」としか考えていなかった私には、この言葉が喉にひっかかりました。YOSHIKIは、「輝ける未来」の視点から、カッコよく今の自分の姿をみて行動していました。思えば、この「死ぬ時」と「輝ける未来」の2つは、同じ未来からの視点ですが、「死ぬ時」は、誰にでも来る必然の未来に対し、「輝ける未来」には自らのイメージでつくる未来の違いがありました。YOSHIKIは、未来を「輝ける未来」として意識化させ、今生きている自分をコントロールしているのではないか?と、初めは考えていました。

一方、この未来からの視点は他にもありました。「何故今、不調で、苦しくても続けるのか?」という質問に対するイチローの答え、 「ベースボールの本質を感じる時(未来)が必ず来る。その時に現役でいたい」という言葉の中にもみつかります。これらの言葉は、目標をもつこととニュアンスが違っています。YOSHIKIとイチローの未来の表現には、共通して、こうなるはずだという確信的な未来があります。「輝ける未来」とは、未来に必然を感じる直感なのかもしれない。この様に解釈をしたとき、喉のつかえが消えました。モーツアルト、ゲーテなど多くの創作者は、天から閃き(ひらめき)が降ってきた瞬間に完成された作品がみえるといいます。もしかしたら、天からの閃きによりみえた完成された自分の姿(完成された作品)を、YOSHIKIは「輝ける未来」と呼んでいるのではないかと。

よくよく考えてみると、私たちが携わっているサイエンスにも、この「輝ける未来」の視点があることに気づきます。研究とは、これまで分からなかったことを理解し、新しい概念を生みだす行為です。その先端に立つ者には、道なき道を分け入ることが求められます。みんなと一緒ではなく、自らの道を見つけることが求められます。それをオリジナリティーといいます。私たちサイエンティストにも、これまで理解できなかったことが、突然分かったと思える瞬間があります。天から直感が降ってきます。この直感の多くは大仮説(月田さんの大仮説:前回ブログ参照)として葬り去られてしまうのですが、その幾つかは発展し、誰も思いつかない道がどんどんと延びてゆくことがあります。また、この道に確信が持てたとき、YOSHIKIのいう「輝ける未来」と同じ感覚が生まれ、直感で見えた世界(未来)から今の自分を見る視点が生まれます。今、何をすべきかが分かります。本物のサイエンスは、人まねではありません。もちろん、これまでに培われた知見、技術、論理に従い、これらを利用しますが、利用と人まねとは全く別物です。他の人が見ることができなかった前人未到の山(サイエンスでは新たな問題意識)=「輝ける未来」をみつけることができるかが、オリジナリティーの本質なのです。その山に、今ある技術・道具・協力者を総動員して、作戦をたて、失敗しながらも実験して、作戦を見直し、新たな道を切り開いて行くことが、最前線の研究という行為そのものです。今この時、実験し考えることが世界に働きかけられる唯一の行為なのです。そこに「輝ける未来」「新たな問題意識」の視点があるかないかで、研究の質が全く違うものになってしまうことは明らかです。閃きを得たサイエンティストは「輝ける未来」からの視点、オリジナリティーをもち、今、何を努力すればよいかを見ることができます。

天からの閃きは、実験している時、考えている時、休息している時、寝ている夢の中、走ったり歩いたりしている時、電車に乗っている時など、前触れもなく突然降ってきます。その意味を捉え、人の努力により形にして行くことが、スポーツ、芸術、サイエンスに限らず創造する行為全てに共通したことだと改めて考えさせられました。この「輝ける未来」が見える様になるまでには、時間と経験が必要かもしれません。しかし、自分の感性を信じて、自分の頭で考え、自分の選択でいろいろなことに挑戦し経験しない限り、閃きは起こらないと思います。自分を超えた行動が閃きを生むのです。みなさんに「輝ける未来」が閃きますように。

 

2012.12.06   メーさんの放課後 


  
小学校でつけられたあだ名は、メーさんだった。同級生から、~さん呼ばわりである。八木という名字から「メーメー」と思いついた同級生が、これではあんまりだと~さんをつけたのだろう。私も、結構このあだ名は気に入っていて昔の友達からは、今でもメーさんである。このあだ名でいると、小学校の放課後に遊んでいた自由な気分になれるので、この名前で主に学生さんたちへのメッセージを発信してみようと思う。

 まず初めに、みなさんに月田承一郎さんを紹介したい。月田さんのつぶやきが、本企画の原点でもある。このシリーズは、月田さんが残念ながら逝去されてしまい「つぶやき7」で終了することになったが、我々の分野にとって伝説の「つぶやき」である。まずは、1度読んでいただきたい。

http://mail.mfour.med.kyoto-u.ac.jp/~htsukita/new-pub/tubuyaki1.html

月田承一郎さんは、私の修士課程時代の恩師であり、サイエンスに関わるいろいろなことを教えていただいた。そのエッセンスが、月田さんのつぶやきに端的に書かれている。サイエンスの構成力、オリジナリティー、好き嫌い、基礎についてなど、今だからこそ読まなくてはならない内容が詰まっている。改めて読んでみると、時代は変わっても大切なことは変わらないのだと感じられる。その月田さんから教わった言葉の1つに「何でもよいから人に感動を与えられる人になれ」というものがある。当時、私は千葉大修士課程の学生で、東京都臨床研の月田研究室で研究をしていた。週2日高校の非常勤講師で生物を教えながら、金曜日には千葉大でのセミナーに参加し、月田研での研究は夜中の3時すぎになることも少なくなかった。筋細胞内にできるアクチン/ミオシンの規則的な構造ができることと、細胞接着構造との関連性を明らかにするというテーマであったが、タンパク精製、モノクローナル抗体づくり、電子顕微鏡を使った急速凍結法、タンパク質分子をみるロータリーシャドーウィング法、筋細胞培養など、本当にいろいろなことを次から次へと実験させてもらった。生活はハードであったが、研究は楽しく、土日もなく時間があれば研究室にいた。何かのついでに近くを通りかかった馬渕一誠さんや松本元さんが月田研によく襲撃に来て飲んでいった。そんな時、私達学生も仲間に入れてもらい、つきあわされるのだが、「八木はいつ来ても研究室にいるなぁ。感動するよ」「体力あるな」といって褒めてもらった。この褒め言葉が出た時に、月田さんは恩師である石川春律先生の言葉として「何でもよいから人に感動を与えられる人になれ」を紹介してくれた。その時、偉くなくても、貧乏でも人に感動を与える方法があること、単純なことでも人に真似できない様なことで感動を与えられることが分かった。また、人の素晴らしさは結果だけではなく、その結果を生みだす過程にあることを感じることができた。貧乏で無名の大学院生でも、できることがあることを知って嬉しかったし、何か大きな自信を持つことができた。

 月田承一郎博士に感謝し、ご冥福を祈ります。

 
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