大阪大学 大学院生命機能研究科 時空生物学講座 心生物学研究室 教授 八木 健 |
メーさんのつぶやき... |
2013.04.17 時空生物学講座
つぶやきも久しぶりだ。「春の学校」の企画を任され、昨年の11月の終わりに大学生への情報発信として「メーさんのつぶやき」とFacebookを始めた。最初は戸惑いながら、公開される文章にナーバスになった。つぶやきは、学生さんへのメーセージとして、できるだけ真剣に自分を掘り下げるようにして書いたつもりだ。しかし、これでよいかどうかは分からないし書き上げた文章にも自信はない。企画した「春の学校」は思った以上に大盛況で終了し、その後、僕はもろもろの実務が障害物競走のようにあり、この年度末と年度始めを何とかくぐり抜けてきた。面白いもので、忙しい程、余分な仕事に真剣になってしまうことがある。誰にも頼まれないことについ手を出してしまう。でも、「春の学校」を終了してから、自分の何かが変わったのだと感じる。大袈裟に言うと、学生を信じることができるようになった。それまで、学生を信じていなかったわけではないけれど、今の自分と学生や大学院生は違うと、距離を感じていた。また、研究室にいた大学院生たちも違うと宣言していた。しかし、この「春の学校」で一部の学生にだけかもしれないが、その距離が本当はない(年齢や立場の違いでない)ことを感じさせてもらった。僕と同じ感覚の学生は今でもいるのだと。 |
2013.02.21 交換可能性
自分の体はなにからできているのか?僕たちはみな、炭素、窒素、酸素、水素などの元素がつくる分子からできている。水分子を飲み、炭酸化物、タンパク質、脂肪などを食べ、いらなくなった物を排泄し、酸素分子を吸い二酸化炭素を分子としてはきだす。しかし、排泄物や二酸化炭素は自然界の中で分解され、光合成により植物の体となり、僕たちの食べ物となる。また、水分子は蒸発して雲をつくり、雨や雪となり川をつくり海となる。その一部が私たちの飲む水となる。もし元素や分子にラベルが貼られていたら、僕の体に今ある炭素は、1ヶ月前の太平洋の真ん中を泳いでいたマグロにあったものであり、水分子は南アルプスの雪だっただろう。この様に、地球上にある元素や分子は形や場所を変えながら循環して、僕たちの体の構成成分となっている。僕たちの体をつくっている元素や分子は交換可能である。 |
2013.02.15 春の学校
この3月、阪大生命機能:春の学校を開校する。 それに先駆けvirtual生命機能研究科「春の学校」が本日から開校する。 http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/springschool2013/bbs/mtbbs2.cgi |
2013.02.05 心生物学
今回は少し専門的な話をします。未だ仮説の段階を出ていませんが、私たちの研究の方向性を大胆に紹介したいと思います。難しいところ分からないところは、こちらの言葉が足らないところですので遠慮なく飛ばして読んでみて下さい。 山梨の夏の山を見て小学校6年生の僕が一瞬にして蘇(よみがえ)る記憶、演奏すれば数時間もかかる音楽が一瞬にしてモーツアルトの脳に生まれてくる閃(ひらめ)きは、私たちの脳にある莫大な数のニューロンの神経活動に起因すると考えられている。時間や空間が圧縮された情報として脳の活動として記憶されている。私たちの脳は無意識において莫大な情報量を処理し、その一部が意識として今生きているという時間を生みだしている。様々な情報の複合体である主観的な意識経験が一瞬の内に私たちの脳に生みだされる仕組みとはどの様なものであろうか? 私たち人間の脳は1000億(1010)の神経細胞(ニューロン)が集まって100兆(1013)の接続(神経回路)でつながれている。このニューロン集団からどのようにして私たちの心が創発されてくるのかは大きな謎である。この謎を生物学のメカニズムとして解明することを目指し、私たちは心生物学の研究室を立ち上げた。心を創発する生物学的基盤に対し、どの様なアプローチが可能であり、どの様な実験が必要なのだろうか。 ペンフィールドの実験やリベットの実験などにより、人の脳に直接電気刺激をすることにより主観的な意識経験が誘導できることが明らかとなっている。これらの結果は、脳で起こっている神経活動が記憶や主観的な意識経験をもたらすことを示している。また、この電気刺激を与える脳の位置を変えることにより、異なった感覚が誘発できること、0.5秒以上の電気刺激が意識ある感覚となることも明らかとなっている。また最近ではマウスを用いた実験により、場所の記憶が特定のニューロン集団の活動によりつくられていることも証明されている。 一般の学習実験では、ある場所で弱い電気ショックを与えられたマウスを、もう一度同じ場所に戻すと、恐怖の記憶が想起され硬直(フリージング)する。しかし、他の場所ではこのマウスは硬直しない。ところが、光でニューロンを興奮させる遺伝子を導入したマウスを用いてこの学習実験を行い、電気ショックを受けた場所で活動していたニューロン集団を光照射し興奮させたところ、全く別の場所であるのに、このマウスは硬直した。特定のニューロン集団の活動が恐怖の記憶を想起させたのである。この様に特定のニューロン集団の活動が記憶の情報を担っていることが示されている。また、私たちの主観的な経験の記憶もニューロン集団の活動による可能性が高い。つまり、私たちの感覚にある吸い込まれそうな空の青や燃えるような夕日の赤を感じる主観的な意識経験(クオリア)も個人の脳にある特定のニューロン集団の活動に由来していると考えられる。 多様なニューロン集団の活動パターンは、進化・発生・発達・経験の結果として私たちの脳に準備される。また、この様なニューロン集団は神経回路の構造として規定されていると考えられる。人の脳にある1000億個のニューロンの様々な組み合わせによりニューロン集団はつくられており、組み合わせ爆発により無限に近いニューロン集団の数が準備されている。また、ニューロン集団の多様性と独立性、そして複雑性は、神経回路の構造として保証されている。よって、各ニューロンがニューロン集団をつくる神経回路の形成メカニズムを捉え、ニューロン集団にある情報や記憶を明らかにすることが、必要である。 脳にあるニューロンは細胞であり、元々1個の細胞(受精卵)だったものが細胞分裂を繰り返して発生したものである。ニューロンは興奮(神経活動)し、電気パルスを次のニューロンに神経接合部(シナプス)を介して伝える。ニューロンがシナプスをどのニューロンとつくるのかにより神経回路の構造が特徴づけられる。個々のニューロンは自発的に活動をしており、神経回路の構造によりニューロンの集団的な活動となる。この集団的な活動は次々にニューロンの組み合わせを変え情報を伝えている。また、脳におけるニューロン集団の活動は外界から(眼、耳、鼻、舌、体性感覚などの感覚器から)の莫大な情報量の入力によって刻々と変化している。これが内的な神経活動にともなって無意識のうちに莫大な情報量となり、一部が選択されて私たちの意識と時間を生みだす。同時に、私たちは刻々と無意識にある多くの情報を捨てている。余談であるが、無意識に情報を捨てる過程が情報のコンテクスト(文脈)をつくる重要な情報となっていると考えられている。私たちにとってあり得る現象(飛行機が空を飛ぶ)とあり得ない現象(アフリカ象が空を飛ぶ)を見分けることには、莫大な情報量を用いた計算が必要であり、現在のコンピュータの処理能力では到底不可能な課題であるという。 いずれにしても、心を生みだすメカニズムを知るためには1000億のニューロンと100兆の神経回路がどの様にして発生プログラムや発達によりつくられてくるのかを明らかにする必要がある。今、国際的に進行しているプロジェクトに脳の全神経回路を明らかにするコネクトーム解析があり、アプローチ例である。一方、脳にある個々のニューロンがつくる局所回路の構造が生理学研究により次第に明らかになってきている。個々のニューロンは個性ある神経活動をしている(ニューロンの個性)。また、個々のニューロンの結合パターンは必ずしもランダムではなく、小さなニューロン集団となる確率が比較的高いこと(集団性)が明らかとなってきた。すなわち、ニューロンは集団性とランダム性の両方を兼ね備えた結合パターンをもつ神経回路の構造をもっている。興味深いことに、この両方の性質からなるネットワーク(回路)は全てのニューロンが短い距離(少ない介在ニューロン数)で結合しているスモール・ワールド(小さい世界)となっている。スモール・ワールド性とは、この地球上に住んでいる人が6~7人の知り合いを介して全ての人がつながっている様なネットワークの性質をいう。この性質により、脳に1000億ものニューロンがあっても感覚入力(飛んで来るボールが見える)から数十程のニューロンを介することにより運動ニューロンに出力する(ボールをつかむ筋肉を統合的に動かす)ことが可能となる。また同時に、ニューロンは高い集団性をもち同時に活動することが可能となる。これらのニューロン集団が様々な組み合わせで活動することにより、無限に近いニューロン集団の活動を創発することが可能となる。ニューロン集団の活動に情報や記憶があるとすると、ニューロン集団の多様な組み合わせによりできる新たなニューロン集団の活動は新しい情報や記憶を生みだすメカニズムとなる。遠い過去が走馬灯の様に蘇る記憶や壮大な音楽の閃きが一瞬の記憶として意識に想起される経験は、この様なニューロン集団の一瞬で起こる活動して、空間や時間を圧縮した記憶となっていると考えられる。 しかし、神経活動は動的なものであり、独立したニューロン集団や統合的に組み合わさったニューロン集団の活動が記憶として脳に保存される仕組みが必要である。この動的な神経活動を保証(保持)しているのが、安定性と独立性を兼ね備えた神経回路の構造であると考えている。発生プログラムにより形成された神経回路の構造は安定した無限に近い独立したニューロン集団の数を準備し、ニューロン集団の活動の安定性と独立性、組み合わせによる新たな発展性を保証していると考えている。個々のニューロンからつくられているニューロン集団が情報の単位(要素)であり、この単位の組み合わせにより記憶が生まれ、階層的に意識経験(クオリア)や心を創発しているのではないかと考えている。これは、DNA配列のATGCの塩基でコードされた遺伝子(gene)が、階層的にタンパク質、細胞、組織、器官、個体の機能を規定する遺伝情報となっているのと類似している。発生プログラムにより形成された集団性とランダム性をもつ神経回路の構造が、情報の単位となるニューロン集団の独立性と発展性を保証している。 カドヘリンという遺伝子は、ニューロンとニューロンをつなぐ鍵の役目をしている。このカドヘリンには100種類程の遺伝子があり、同じ種類のカドヘリンを持っているニューロン同士が結合することができる。私たちは個々のニューロンごとに違った組み合わせで発現している新しいカドヘリン(クラスター型プロトカドヘリン)遺伝子群を1998年に発見した。このクラスター型プロトカドヘリン遺伝子は人では53種類があり、その内の15種類が個々のニューロンでランダムに別々の組み合わせで発現している。すなわち、1個のニューロンが15種類の違った鍵をランダムにもっており、ニューロンに個性を与えている。この各ニューロンのもつ鍵(クラスター型プロトカドヘリン)の種類により、結合できるニューロンと結合できないニューロンが自然にできてしまうとすると神経回路の構造に集団性とランダム性を共にもつスモール・ワールド性が生まれることがシミュレーション解析により明らかとなっている。これらの結果から、クラスター型カドヘリンでつくられる神経回路の構造にあるニューロン集団が情報の単位をつくっているのではないかと仮定している。この単位が、階層的に記憶、クオリア、心をもたらすのではないかと考えている。 |
2013.01.28 僕の場所
今回は、無意識にある記憶についての話。 |
2013.01.22 今はつくられている
参照 (注1)内田樹 街場の文体論 ミシマ社 (注2)ユーザーイリュージョン―意識という幻想 トール ノーレットランダーシュ、Tor Norretranders、柴田 裕之 (2002/9) 紀伊国屋書店 (注3)リベットの実験 被験者の頭に電極をつけて脳波を記録する。被験者には、テレビ画面の前に座り、時計のように約2秒で1周する動く点をみてもらう。この点のある位置で、被験者の感じている時間を測定する。まず、コントロール実験として、被験者に軽い皮膚刺激をして、感じた時の点の位置を答えてもらった。その時、被験者は皮膚刺激後、約0.02秒で感じていると答えた。刺激から感じるまでに0.02秒かかることが分かった。次に、被験者には、テレビ画面をみてもらい、いつでもよいので好きな点の位置(時)で指を曲げてもらい、曲げることを意識した時の点の位置を答えてもらった。結果は、実際に指が曲がった0.2秒前に、被験者は意識したと答えた。意識してから指が動くまで0.2秒がかかった。驚いたのは、被験者本人が意識した時より0.35秒前には脳の活動の変化が認められたのである。すなわち、本人が意識する0.35秒前に、無意識な脳の活動が現れて意識行動が成り立っていたのである。実験した全ての被験者で同じ活動が認められ、私たちの意識より前に、無意識な脳の活動があることに疑問の余地はなかった。 しかし、妙である。リベットの実験のコントロール実験では、被験者の皮膚に刺激を与えた後0.02秒で「痛って!」という意識が生まれていた。当然、被験者の皮膚に刺激があった後に、脳の活動が始まり「痛って!」という意識が生まれているのであれば、「痛って!」と意識できるのは0.35秒よりかかってしまう。しかし、実際はより短い0.02秒である。リベットは、この点に着目して、別の実験を行った。被験者の脳(大脳皮質)に直接、電気刺激を加えて、どの様な刺激で意識を引き起こすことができるか実験を行った。面白いことに、脳への電気刺激の持続時間が0.5秒以下であると、被験者は何も感じないという。意識はうまれない。しかし、脳への刺激を0.5秒以上持続させると刺激を感じるという。やはり、「痛って!」という意識でも0.5秒以上の時間がかかってしまうのだ。では何故、皮膚を刺激した実験では、素早く0.02秒で「痛って!」という意識が生まれるのか?これに対するリベットの仮説はこうだ。実際には、被験者の皮膚を刺激した後0.5秒後に意識が生じている。しかし、主観的な時間の繰り上げが脳に起こり、皮膚が刺激された時間に遡って「痛って!」という意識が生まれたと錯覚させているというものである。皮膚刺激は、意識されてなくても、いつ刺激を受けたかという時間を脳は無意識には知っている。この刺激を受けた時間に意識の時間を繰り上げているというのだ。この証拠に、被験者が意識できない0.5秒以下の短い電気刺激を脳に与えて、電気刺激があったか?なかったか?を推測させる実験を行うと、意識していないにも関わらず、ほぼ正しい回答であった。この様な例は他にもある。脳は実際には見えていない視覚での盲点を、あたかも見えているように錯覚させている(盲点の補完)。脳は都合の良いように、盲点の補完と同様に、意識した時間を無意識下での刺激時点に錯覚させている。 http://www.youtube.com/watch?v=XQB3H6I8t_4 (注5)神話の力 ジョーゼフ・キャンベル & ビル・モイヤーズ ハヤカワ文庫 (注6)夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹 文藝春秋 (注7)カール・G・ユング 精神分析学者。無意識を発展したフロイトに仕えたが、その後、精神にある「元型」を提唱。人類が共通にある集合的元型は、神話と精神性との関連性など、人間を捉える重要な概念となっている。 (注8)<先験的観念>人間の知識には、時間、空間、因果関係などのように、経験に先立ついくつかの前提が必ず備わっているというもの。カントは、こうした前提がなければ何物をも知り得ないという。しかし、それがあるがために、あるがままの世界を認識することはないという。私たちの知る世界は<先験的観念>という眼鏡を通してみたものにすぎない。 (注9)クラスター型プロトカドヘリン 1998年に私たちのグループが発見した遺伝子群。ヒトを含む脊椎動物の脳で発現しており、細胞と細胞とが接着する特異性を決めている。ヒトでは約60種類があり、脳にある神経細胞の1個1個で、異なった組み合わせで発現している。このため神経細胞に個性ができていると考えられる。また、この神経細胞の個性により複雑な神経回路がつくられていると考えられている。脳において無意識下で莫大な並列分散的な情報処理ができる仕組みとの関係性について研究が進められている。 (注10)The Life of James Clerk Maxwell (London:
Macmillan, 1884) |
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2013.01.17 破門事件
正月休みにいろいろと書いておいたので、忘れないうちに、今回は、大学院当時の後輩からの要望「飲んで絡んじゃうぞ編」です。 月田研で研究をしている当時、伝説になってしまった破門事件です。12月のつぶやきにも書きましたが、当時私は、千葉大学理学研究科の大日方昂先生の研究室に属し、東京都臨床研の月田研で研究をしていました。毎週金曜日の午後には千葉大でのセミナーがあり、参加していました。千葉大 大日方研には、強者(つわもの)が多く、特に小宮透(現、大阪市大)と阿部洋志(現、千葉大)はその中でも最強で、酒に強くて、女性にもてて、真剣に研究を考えている1年生上の先輩でした(両先輩、実名を出してすみません)。この金曜日のセミナーが終わると西千葉駅の周辺でよく飲み、「面白い研究とは?」「何が研究したいか?」など研究や生き方について、翌朝まで大いに飲み語りました。その1つのテーマが、「でっかい仕事とは?」についてでした。2人の強者は、大日方研での今の仕事が自分にとっては小さすぎると感じているようで、もっと大きな仕事がしたいし、できるはずだと話していました。月田研で仕事をしている私をつかまえては、「もっと大きな仕事をしようぜ!」などと議論していました。私はというと、やはり生命の本質をえぐるような仕事がしたいと感じていたので完全に意気投合していました。そんな中、大日方研での夏合宿が勝浦の臨海実験場でありました。その晩、大日方先生を囲んで宴会がはじまりました。大日方研の宴会は、酒に強い強者が多いので、いつも大いに飲んで語って盛りあがります。大方、飲んだ頃、私は勢いにまかせ、大日方先生に向かって「先生、もっと大きな仕事、研究をやりましょうよ!」と、いつもの西千葉の飲み屋の調子で議論をふっかけてしまいました。先生は「どの様な仕事が大きな仕事なのか?」と、私に問いかけました。「やはり、ノーベル賞をねらえるくらい。ねらうくらいの気概ある研究テーマではないでしょうか!」と、答えました。先生は「ホームランバッターも必要かもしれないが、研究にはバンドでつなぐバッターも必要なのだと」説き伏せてきました。私は「それはそうかもしれないけど、やはりホームランをねらうような研究やりましょう!」と、食い下がりました。それからは、他の強者どもがこの話題に参戦し益々議論が熱くなって行きました。しかし、よく聞いてみると他の強者たちは、いつもの調子とは違い「ノーベル賞をねらうことが、研究ではない」「こつこつ研究して行くことが大事なんだ」というもので、いつもの調子の「大きな仕事しようぜ!」ではなく、私は完全に肩すかしを食わされてしまいました。あわてた私は「ノーベル賞云々より、大きな仕事、生命の本質をえぐるような研究をしましょうよ!」と叫び続けましたが、議論が白熱する中、大日方先生が最後に「八木くん、そんなに大きな仕事をしたいのであれば他に行きたまえ、君は破門だ!」と怒り、宴会が終了しました。次の日、千葉大の研究室に戻り、大日方先生の部屋に行き、頭を下げて昨晩の無礼を謝りました。その時、大日方先生は「破門はいいすぎだった。君は君で大きな仕事をつかめるよう頑張りなさい」と破門を取り下げてくれました。臨床研に帰って、月田さんに話したら、大いに笑われました。が、その気概は大事にした方がいいと言ってくれました。ちなみに、大日方先生とは、その後は、より親密な仲となり、お会いするとこの破門事件が笑い話となります。こんな大失敗からでもいろいろな大きなものが得られるのです。 |
2013.01.08 輝ける未来から今を見る
今年も新しい年が明けました。おめでとうございます。昨年の12月に、つぶやきを初め、自分の言葉をさらす恐ろしさを感じています。それでも、意外に多くの方が読んでいてくれることも分かり、続けてみようと思っています。後輩からは「八木さんが飲んで絡んじゃうぞコーナー」にした方がよいとも言われていますが、絡んじゃった話は、また別の機会にして、 今回のテーマは「輝ける未来から今を見る」です。 人はそれぞれ、自身の過去・現在・未来を違った目で見ているようです。この過去・現在・未来の視点を飛び越えることができる人がいます。そのことに初めて気がついたのは、X
Japanが解散した際、テレビでのインタビューにて、YOSHIKIが語った「輝ける未来から今を見る」という言葉を聞いた時でした。その言葉には、今生きている自分の姿を
未来の自分から見たときにどう見えるのか?という、新たな視点がありました。自分のもつ過去・現在・未来という時間軸の中で、唯一、自身が、世界に働きかけられる今を、どう生きているのかを、未来から確認する視点でした。それまで、「死ぬ時、悔いがないように生きよう」としか考えていなかった私には、この言葉が喉にひっかかりました。YOSHIKIは、「輝ける未来」の視点から、カッコよく今の自分の姿をみて行動していました。思えば、この「死ぬ時」と「輝ける未来」の2つは、同じ未来からの視点ですが、「死ぬ時」は、誰にでも来る必然の未来に対し、「輝ける未来」には自らのイメージでつくる未来の違いがありました。YOSHIKIは、未来を「輝ける未来」として意識化させ、今生きている自分をコントロールしているのではないか?と、初めは考えていました。 よくよく考えてみると、私たちが携わっているサイエンスにも、この「輝ける未来」の視点があることに気づきます。研究とは、これまで分からなかったことを理解し、新しい概念を生みだす行為です。その先端に立つ者には、道なき道を分け入ることが求められます。みんなと一緒ではなく、自らの道を見つけることが求められます。それをオリジナリティーといいます。私たちサイエンティストにも、これまで理解できなかったことが、突然分かったと思える瞬間があります。天から直感が降ってきます。この直感の多くは大仮説(月田さんの大仮説:前回ブログ参照)として葬り去られてしまうのですが、その幾つかは発展し、誰も思いつかない道がどんどんと延びてゆくことがあります。また、この道に確信が持てたとき、YOSHIKIのいう「輝ける未来」と同じ感覚が生まれ、直感で見えた世界(未来)から今の自分を見る視点が生まれます。今、何をすべきかが分かります。本物のサイエンスは、人まねではありません。もちろん、これまでに培われた知見、技術、論理に従い、これらを利用しますが、利用と人まねとは全く別物です。他の人が見ることができなかった前人未到の山(サイエンスでは新たな問題意識)=「輝ける未来」をみつけることができるかが、オリジナリティーの本質なのです。その山に、今ある技術・道具・協力者を総動員して、作戦をたて、失敗しながらも実験して、作戦を見直し、新たな道を切り開いて行くことが、最前線の研究という行為そのものです。今この時、実験し考えることが世界に働きかけられる唯一の行為なのです。そこに「輝ける未来」「新たな問題意識」の視点があるかないかで、研究の質が全く違うものになってしまうことは明らかです。閃きを得たサイエンティストは「輝ける未来」からの視点、オリジナリティーをもち、今、何を努力すればよいかを見ることができます。 天からの閃きは、実験している時、考えている時、休息している時、寝ている夢の中、走ったり歩いたりしている時、電車に乗っている時など、前触れもなく突然降ってきます。その意味を捉え、人の努力により形にして行くことが、スポーツ、芸術、サイエンスに限らず創造する行為全てに共通したことだと改めて考えさせられました。この「輝ける未来」が見える様になるまでには、時間と経験が必要かもしれません。しかし、自分の感性を信じて、自分の頭で考え、自分の選択でいろいろなことに挑戦し経験しない限り、閃きは起こらないと思います。自分を超えた行動が閃きを生むのです。みなさんに「輝ける未来」が閃きますように。 |
2012.12.06 メーさんの放課後
小学校でつけられたあだ名は、メーさんだった。同級生から、~さん呼ばわりである。八木という名字から「メーメー」と思いついた同級生が、これではあんまりだと~さんをつけたのだろう。私も、結構このあだ名は気に入っていて昔の友達からは、今でもメーさんである。このあだ名でいると、小学校の放課後に遊んでいた自由な気分になれるので、この名前で主に学生さんたちへのメッセージを発信してみようと思う。 まず初めに、みなさんに月田承一郎さんを紹介したい。月田さんのつぶやきが、本企画の原点でもある。このシリーズは、月田さんが残念ながら逝去されてしまい「つぶやき7」で終了することになったが、我々の分野にとって伝説の「つぶやき」である。まずは、1度読んでいただきたい。 月田承一郎さんは、私の修士課程時代の恩師であり、サイエンスに関わるいろいろなことを教えていただいた。そのエッセンスが、月田さんのつぶやきに端的に書かれている。サイエンスの構成力、オリジナリティー、好き嫌い、基礎についてなど、今だからこそ読まなくてはならない内容が詰まっている。改めて読んでみると、時代は変わっても大切なことは変わらないのだと感じられる。その月田さんから教わった言葉の1つに「何でもよいから人に感動を与えられる人になれ」というものがある。当時、私は千葉大修士課程の学生で、東京都臨床研の月田研究室で研究をしていた。週2日高校の非常勤講師で生物を教えながら、金曜日には千葉大でのセミナーに参加し、月田研での研究は夜中の3時すぎになることも少なくなかった。筋細胞内にできるアクチン/ミオシンの規則的な構造ができることと、細胞接着構造との関連性を明らかにするというテーマであったが、タンパク精製、モノクローナル抗体づくり、電子顕微鏡を使った急速凍結法、タンパク質分子をみるロータリーシャドーウィング法、筋細胞培養など、本当にいろいろなことを次から次へと実験させてもらった。生活はハードであったが、研究は楽しく、土日もなく時間があれば研究室にいた。何かのついでに近くを通りかかった馬渕一誠さんや松本元さんが月田研によく襲撃に来て飲んでいった。そんな時、私達学生も仲間に入れてもらい、つきあわされるのだが、「八木はいつ来ても研究室にいるなぁ。感動するよ」「体力あるな」といって褒めてもらった。この褒め言葉が出た時に、月田さんは恩師である石川春律先生の言葉として「何でもよいから人に感動を与えられる人になれ」を紹介してくれた。その時、偉くなくても、貧乏でも人に感動を与える方法があること、単純なことでも人に真似できない様なことで感動を与えられることが分かった。また、人の素晴らしさは結果だけではなく、その結果を生みだす過程にあることを感じることができた。貧乏で無名の大学院生でも、できることがあることを知って嬉しかったし、何か大きな自信を持つことができた。 月田承一郎博士に感謝し、ご冥福を祈ります。 |
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