陛下に一本取られた話

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実は、約2年前に天皇陛下と皇居で食事をするという奇跡に恵まれたことが有る。もちろん、私自身はそんなVIPでは無いので、偶然と幸運が重なったためではあるが。

数年前に、神経科学の重鎮であるN先生が、天皇陛下の御前で「ご進講」(天皇・皇后・皇族に学者等が業績などをご説明申し上げること:weblio辞書より)をしたのがそもそもの始まり。ご進講の1カ月後に、陛下が講師を皇居に招き、お礼の意味で食事会開く、のが慣例となっているそうで、その時に、2名の随行者を連れていくことが許されるとのこと。N先生はK大学医学部教授の先生を1人と、もう一人になんと私を指名しくれたのだ。

指名してくれた理由は、はっきりしている。N先生は、私が専門とする魚の模様研究が、ネタとして「使える」と考えたのである。ご存じだろうか。天皇陛下は現役の動物学者であるのを。宮内庁のHPに行くと、陛下の論文のリストがある。全部で28編もある論文のほとんどがハゼ類の分類に関するものだ。魚種の分類には、色々な形態的な特徴が使われるが、その中で模様の締める割合は大きい。N先生は、陛下が魚の模様の話に興味を示してくれれば、会食がもりあがるだろう、と計算したのである。

もちろん即座にOKしたのは言うまでもない。こんな機会は2度とないだろう。しかし、同時に大きなプレッシャーでもある。食事会の場を盛り上げる担当、なのだから、盛り下がったら私が悪いことになる。どうしよう。魚の模様の話は得意だが、むずかしい理論の話をしても、しらけるだけだろう。相手が天皇・皇后両陛下では、得意とする下品なギャグは使えないし、アニメもゲームもアイドルの話もできない。う〜む、悩ましい。。。。

とりあえず、準備だけは完璧にしておこう、ということで陛下の論文全てをダウンロードし、論文に出てくるハゼの模様を調べる。ふむふむ、これなら模様形成の理論を使ったシミュレーションで作れそう。ということで、論文に出てくるハゼの模様と、それと同じ模様を発生する数式との対応表を作り、それをできるだけ解りやすく解説する練習をする。だが、楽しんでもらえるだろうか、、、不安である。解ってもらえなければ、100%こちらの落ち度なのである。

さらに、両陛下、特に皇后陛下が、鋭い質問をするという話も聞いたことが有る。かなり以前に、N先生と私の恩師のH先生が、皇太子時代の陛下と歓談する機会が有った時の話である。遺伝子と蛋白(タンパク)質の関係を説明していた時に、当時の美智子妃殿下が、「蛋白とはどういう意味ですか?」とお尋ねになったそうだ。普段そんなことは考えたことも無いので、固まる両先生。しかし、こんな基本的な教養も無いようでは恥とばかりに頭を絞るが出てこない。その時、隣にいたK先生が、「卵の白身という意味です。ピータン(皮蛋)という中華料理が有りますが蛋は卵で、白が白身です。」と助け船を出してくれて助かったとのこと。普段考えたことも無い斜め方向からの質問は怖い。予習のやりようが無いからだ。なんとか無事に終わるのを祈るしかない。とりあえずは準備万端整えて(スーツと靴と新調。上から明日までおニューである。まるで七五三です。)、その日を待ったのでありました。

当日は、3人で東京駅前のホテルで待ち合わせ。6時に迎えの車が来るとのことだったので、私は東京駅に11時に到着。7時間もの余裕は、どこで新幹線が事故って止まっても、飛行機、あるいは車で間に合うように。6時にハイエースが迎えに来て、いざ皇居へ。冬なのですでに暗くなっており、皇居の中は真っ暗であった。良く見ると、何か動物の目が光っているのが見えた。食事会の時に陛下に聞いたら、皇居に住むタヌキとのこと。(陛下は最近、この狸の論文を書いている。)10分くらいで両陛下のお住まいに到着。職員の人に控えの間に通していただいた。

ほどなく天皇・皇后両陛下が現れる。にこにこして優しそう。しかも、立ち居振る舞いが、なんとも優雅。そのおかげで、こちらの緊張もほどけて行きます。あと、皇后陛下が色々と気配りをするのがすごい。部屋の温度が暑すぎるのを感じて、「暑いですか?」と言ったかと思うと、自分で空調を調整しにいったので、一同びっくり。こんなに気を使う皇后っているのだろうか、、、職員の人は、し、しまったー、と言う感じでしたが。

自己紹介のあと、食前酒を飲みながら歓談し、食事の用意が整うのを待つ。我々3人は、酔っぱらう事を恐れ、オレンジジュース。しかし、天皇陛下は余裕のシェリー酒。お替わりまでした。もちろん、酔うそぶりは全く見せない。プロである。

話題が、1992年にscience誌に陛下が日本の科学に関して寄稿した論文の事になった。実は、その号にN先生の論文も載っている。N先生はちゃんとその号を持ってきていたのだが、陛下の方もそのコピーをちゃんと用意していた。もちろん、お付きの人に準備させたのだろうが、陛下の指示がなくては無理だろう。ちゃんと準備しているのだ。招く側の礼儀なのかもしれないが、天皇陛下がそこまで相手に気を使うのである。

食事の間に移り、私の番がやってきた、本当はパソコンを持ち込みたかったが、それはあまりに無粋なのでできない。準備したA4のプリントを使いながら、動物模様のあれこれを解説。話していて感じるのは、お二人とも、真剣に理解しようとしていること。特に皇后陛下は、理解できなかったところは、はっきりそう言うのである。あわてて、別の表現で解説し直し、納得してもらうのであるが、これは正直めちゃめちゃ怖い。理解できるような説明できなければ、こっちの能力が無い、と言う証明なのである。学生相手のように、「もっと勉強してきなさい」とは言えないのだ。

幸い、魚の模様の話題は無事に終わり、今度はN先生の順番だ。N先生は、最近の神経科学の進歩について解りやすく解説。両陛下とも引き込まれて楽しそうに聞いている。だが、意外なところに落とし穴があったのである。

N先生が「従来、神経科学の動物実験にはニホンザルなどの大型の猿が使われてきましたが、これ等では、遺伝子の操作などを必要とする精密な研究をすることが難しいのです。そこで近年にはマーモセットという小型の猿が使われるようになり、これで飛躍的な知能の研究の進展が期待されています。」と説明したところで、皇后陛下からの予期しないパンチが飛んできた。

「そのマーモセットというお猿は、どんなお猿なのですか?」

「へ?」。
こちらの3人組は意表をつかれて、顔を見合す。た、たしかにどんな動物か判らないと、聞く方もイメージ湧かないだろう。、、、えーと、これくらいの大きさで、こんな顔をしていて、と説明するが、画像もないし、見たことが無い人にうまく伝わるわけがない。どうしたものかと逡巡していると、さらなる追撃の質問が。

「そのマーモセットの日本語名は何ですか?」

「ほえ?」。
に、にほんごめい?。。。。。確かに、日本語の名称は、その生物種の何らかの特徴を伝えているはずなので、この質問は鋭い、というか、どちらかというと助け舟を出してくれた、と言う事なのだろうが、いかんせん、こちらの学者3人組には、その助け舟に乗るための教養が無いのである。

確か、どこかで聞いたことが有ったような無かったような・・・・狼狽しつつも必死に思い出そうとするが出てこない。しかも、N先生はこちらをチラ見しながら、「これはお前の役目だ」とサインを送ってくる。わ、私ですか??うが〜〜でてこない〜〜〜〜。

果てしなく続くと思われた長い沈黙(本当は10秒くらい)をやぶり、KOパンチでその場を締めたのはなんと本日のホスト天皇陛下御自身だった。

おもむろに、静かな声で「それはね、キヌザルですよ。」

ぐお〜〜〜、ま、負けた。参りましたorz
そうでした。キヌザルでした。こんなところで、すっと、名前が出てくるという事は、膨大な数の種名を覚えているのでしょう。さすが、陛下は現役の分類学者であらせられます。しかも、知ったかぶりをするように即座に言うのでなく、こちらにある程度時間を与え、出てこないと確認したのちに、そっと教えてくれるという見事な気配り。完璧です。恐れ入るしかありません。鮮やかすぎて、負けた我々が気持ち良くなってしまうくらいの見事な一本でした。
会話のほぼすべてが学術的な話であったにも関わらず、両陛下は終始興味を持ちつつ、積極的にそれを楽しんでおられたのが、実に印象的だった。最初、2時間と設定されていた会食が、結果的に3時間近くにもなったので、おそらく両陛下とも、我々との食事を楽しんでいただけたのだと思います。その後、一同ホテルに戻り、しばし反省会。思いがけず一本取られはしたが、日本国民の象徴である天皇陛下が、すばらしく才徳兼備であることが実感できる、実にさわやかな一本であったことを3人で再認識。天皇は、国の政治に口出ししてはいけないことになっていますが、科学政策に関してのみ、何か言ってくれたらなあ。。。。

それにしても素晴らしい経験でした。
両陛下のご多幸を祈りつつ。