反応拡散系(Reaction-Diffusion system)

文責:尾崎 淳

反応拡散系とは、その名のとおり化学反応と分子の拡散を組み合わせた反応システムのことである。

反応方程式:  
拡散方程式:
反応拡散方程式:

  生化学反応では、通常F(u)の関数形としてミカエリス・メンテンの式などが当てはまる。 Dは拡散係数である。 つまり反応拡散系は上の2つを包含した、より一般的な反応システムを議論しているにすぎない。 状況に応じて、例えば空間的な広がりを考えなくてもよい状況では拡散項を無視すればよい。 もちろん形態形成などでは空間構造を扱うわけだから拡散項は無視できない。

  この反応系は自然界に見られるさまざまな興味深い現象―とりわけ生物に関わる現象をよく再現する。 以下に、それぞれの条件で出現する典型的なダイナミクスをまとめてある。 一般に、関わる因子の数や反応ネットワークの種類を増やすほど、より複雑なダイナミクスを生じうる。

  抑制のみ 特徴 具体例 フィードバック 特徴 具体例
1変数 1安定 双安定
2変数

双安定

遺伝子発現スイッチ

振動 解糖系振動

興奮 神経興奮

+ 拡散 -> 静止パターン
3変数 振動 カオス

最終生成物による抑制 -> 振動

概日時計、細胞周期



<2変数系・・化学振動子の出現>

  上の表から判るように、2変数の反応拡散系でもかなり多様なダイナミクスを生じうる。 そこで2変数系のメカニズムを少し詳しく検討し、いかにして化学反応系から“生物らしさ”(振動・興奮・パターン形成)が生まれるのかを解説する。 あわせて当サイトのシミュレータの計算原理を紹介する。

2変数(u, v)が自分自身と相手の合成をコントロールする状況を考える。 まずは拡散の効果は省略する。

 

反応係数(a, b, c, d)を変えると(u, v)はどのような振る舞いをするだろうか。

  右の表は、係数の符号によってシステムがどのように時間発展するかを大ざっぱに描いたものである。 グラフは横軸がu、縦軸がvを表している。この際、(a, d)と(b, c)に分けて考えると解りやすい。

  左2列は自分自身の量だけをコントロールしている("Self-coupling"という)。 つまり実質1変数系である。係数が"+"のときは発散し、"−"のときは0に行きつく。

  右2列は互いの合成をコントロールし合っている("Cross-coupling"という)。 上の2つは発散するが、下の2つでは量が周期変化する。 なぜ周期変化するのか、のイメージが湧きにくければ、uを"位置"、vを"速度"とみなして、高校物理を思い出してもらえばよい。 そう、これは単振動(バネや振り子の運動)の式である。

  これらの組み合わせのうち、(恣意的だが)生物学的に面白そうな振る舞いをするのは下の4つ(赤枠)だけである。 上の4つが絡むシステムは単純に収束したり、発散したりする。

Self-coupling

Cross-coupling
     

選ばれた2×2=4つの組み合わせが左表である。

ここで、注目するパラメータのセットは4つに絞られたわけだが、実はさらに半分の2つにまで絞られる。

ここまでの話では、特に(u, v)のどちらにも特別な仮定は置いていない。 つまりu ⇔ vを入れ替えてもそれらは同義である。

そこで、今後は独立な上の2つの場合(赤枠)に話を絞ることにする。

絞られた2つの反応系における(u, v)の役割を解釈してみよう。

関係 因子の解釈 システムの呼び名
消費(酵素)

基質-消費系

(Substrate-Depleted system)

基質
活性因子

活性因子-抑制因子系

(Activator-Inhibitor system)

抑制因子

“Activator-Inhibitor”の正しい訳は“活性因子-阻害因子”だろうが、これでは“阻害剤”を連想させ、生物学では狭義の意味に取られる危険があるので、当サイトでは“抑制因子”と呼ぶ(遺伝子発現を意識している)。

最初の表中で挙げた解糖系振動は基質-消費系である。uがADP、vがATPに相当し、アロステリック酵素であるホスホフルクトキナーゼがこの反応を行う。生成物であるADPが活性因子として更に酵素反応を促進させ、基質であるATPを消費する。ATPを消費しすぎるとADP自身が減り(つまりATPは抑制因子として働く)もとにもどる。以後このステップをくり返す。

ここまでで、とりあえず自発的に振動する反応系のコア部分が確立した。 振動(興奮も1周期のみの振動である)の源には2因子間の相互作用(Cross-coupling)が重要な役割を果たしていることが分かるだろう。

次に、このシステムに現実的ないくつかの制限を与える。これによりシステムは、より安定な振動体を構成する。

(1)分子の濃度は(細かいメカニズムがどうであれ)合成と分解のバランスで決まる。そこで式の反応項を次のように分ける。

  ;
;

ここで係数(a, b, c, d …)は定義し直したので要注意。

分解項(−du, −gv)は濃度に1次に依存する形にし、vの合成項G(u)からはv依存性を省いた(基質-消費系、活性因子-抑制因子系ともにv依存性は減少作用だから)。 また合成項に(u, v)の濃度に依存しない定数項を設けた。

(2)合成項はこのままでは発散してしまう(右図・点線)。そこで任意に上限を設けた。

この仮定は、現実の生化学反応から見て妥当なものである。 通常、合成項としてミカエリス・メンテン型の関数形(青線)がよく使われるが、「合成速度に上限がある」という現象は平たく言えば「触媒部位(レセプター、イオンチャネルの分子数と言ってもよい)は有限である」ということの反映だから、である。

シミュレータでは、それぞれ“synUmax”,“synVmax”で指定される。

(3)負の合成速度・負の濃度はありえない。これにより興奮現象を再現できる。



<拡散不安定性(チューリング不安定性)・・パターン形成>

  ここまでの話には空間的な広がりはない。つまり拡散の効果は無視した。

次に2変数の化学振動子(緑枠)を、拡散をとおして空間的に連結させる。数式で書くと
 
この式をシミュレータでは計算している。1次元では100個、2次元では100×100個の振動子が配置されている。

  ただこれだけのことなのだが、ここから生物学的に極めて魅力のある現象が生まれてくる。そのためには天才のひらめきが必要であった。
  コンピュータの発明・ドイツ軍の暗号解読で知られる数学者チューリングは、この様な反応系でvの拡散速度がuよりも大きいとき、自発的に空間パターンが生まれうる、と提唱した。 この現象は、アンバランスな拡散速度が空間の一様性を破る要因になっているので「拡散不安定性」(もしくは「チューリング不安定性」)と呼ばれている。 直感的に言えばこうである。 少し活性因子の多いところでは自己触媒とCross-couplingにより活性因子“u”と抑制因子“v”がともに増大する。 次の瞬間、拡散速度の大きいvだけがその周囲をとり囲む。 はじめに増大しはじめた場所ではuの合成はさらに増大傾向にあり、一方、その周囲ではuの合成はvにより抑制され続ける。 結果として、濃度差がますます増大していく。 これが自発的なパターン形成を引き起こすのである。 これを理解するにはシミュレータでその様子を確認するのが一番だろう。 パラメータ“spot”で1か所にuを打つとわかりやすいでしょう。

  反応拡散系の特徴は、時間周期にしろ空間周期にしろ、その周期性は反応係数と拡散係数という全く内在的なものによって決まる、ということである。 またこれまでは理解のしやすさから拡散項の効果を文字通り“拡散”で話をすすめたが、必ずしも分子が流れていく必要はない。 要は「近くを活性、遠くを抑制」しさえすればよいのである。 生物における等間隔パターンを生む反応系として“Notch-Delta system”というものが知られている。このシステムも広義の意味で反応拡散系である。



参考文献

ここでは概略だけを述べたが、より詳細で厳密な取り扱いを知りたい人は以下の文献を見てください。 と普通は書くのだが、実際に探してみると実験生物学者が気安く読めるようなものがほとんどないことに気付く。 そもそも、それがゆえに我々はこのようなサイトを立ち上げたのである。 反応拡散系を理解するにはシミュレータで“遊んでみる”のが一番である。

  よく生物系の研究者や学生から何かやたら難解なことをやっているように思われるのだが、これまでの説明から判るように、決して扱っている道具は珍しいものではない(だからこそ「これは真を突いている」と筆者は考えている)。 実は、各々のパーツは学部生レベルの教科書に載っているようなことなのである。 ところがほとんどは、もう一歩のところで記述が終わるか、各論のままで終わるか、のどちらかなのである。 例えばミカエリス・メンテンの酵素反応速度論などは全ての生物系学生は履修しているはずであるが、ほとんどは1変数で終わりである。 本ページ最初の表から判るように、面白い振る舞いは2変数以上で現れる。 また詳細な理解には数学が必要なのだが、反応方程式は常微分方程式、拡散方程式は偏微分方程式であり、この分野の本は初歩的なレベルからよく揃っている。 しかし反応拡散方程式となると、これらに比べて格段に数が減る。 しかもそれらは実験家が気安く手に取られるようなものではない。

  それでも敢えていくつか挙げよう(日本語を中心に)。

(1)1変数からやるなら、「生化学の反応速度論」を復習するのがよいだろう。

(2)2変数系の反応は連立微分方程式である。基礎的なところを知りたいなら「微分方程式」の本を見てください。

(3)フィードバック制御の基礎的なところなら「制御理論」。ただし内容は工学系になる傾向が強い。

(4)生物を対象としたものとしては、『生物学におけるダイナミカルシステムの理論』(ローゼン 著、産業図書)など。生態学・社会科学を対象としたものも取っ付きやすいかも。

(5)反応拡散系なら、
・『非平衡系の科学?V 反応・拡散系のダイナミクス』(三池・森・山口 著、講談社サイエンティフィック)
・『散逸構造』(ニコリス・プリゴジーヌ 著、岩波書店)
・雑誌『数理科学』(サイエンス社)には、よくこの分野の特集が組まれる。バックナンバーはほとんどの大学図書館にはある。

(6)英語なら、スタンダードな教科書として『Mathematical Biology』(Murray著、Springer-Verlag)。