大阪大学大学院 生命機能研究科 個体機能学講座

研究内容

正確性は発生の重要な特徴の一つです。胚の中では細胞が増殖、分化、死、移動等の様々な変化をくり返しながら、臓器や体の複雑な構造を正しく作り上げてゆきますが、発生中の胚内の個々の細胞の挙動には大きなばらつきがあります。そのようなばらつきにもかかわらず、細胞は集団として臓器や体を正確に作り上げることができるのは、細胞が周囲の状態や隣接した細胞の状態を認識して、互いにコミュニケーションすることでその挙動を調節しているため、と考えられます。私たちはマウスを用いて、細胞外の状況の認識に関わる Hippo シグナルや、隣接細胞の状態を認識した細胞間コミュニケーションの細胞競合に注目して研究を行っており、この様な細胞間コミュニケーションのしくみや発生における役割を明らかにすることにより、正確な発生を可能にする仕組みを解明してゆきます。

具体的には以下の2つの研究に取り組んでいます。

細胞間コミュニケーションによる着床前マウス胚の細胞分化の制御

着床前のマウス胚は、受精卵が分裂して100細胞以上の細胞からなる胚盤胞という構造を作って、子宮に着床します。マウス胚では細胞分裂によって作られる細胞の配置はあらかじめ決まっていませんが、着床期の胚(胚盤胞)は外側に胎盤になる細胞(栄養外胚葉)を内側に胚の体を作る細胞(内部細胞隗)を持つように、常に2種類の細胞を正しい配置で作ります。私たちは、細胞の分化には Hippo シグナルが重要な役割をはたしていることを見出し、また細胞は隣接細胞との接着などによって胚内の位置を理解して Hippo シグナルを調節していることを明らかにしてきました。これらの研究成果は発生学の教科書 Developmental Biology でも紹介されています。これまでの研究では細胞が動かないと仮定した場合のしくみを明らかにしましたが、実際の胚では、細胞の位置は常にダイナミックに変動しています。このような変動する細胞集団で、Hippo シグナルの調節がどのように行われ、正確な発生が可能になっているのかを明らかにしてゆきます。

着床前胚の細胞分化におけるHippoシグナルの役割

細胞競合等の細胞間コミュニケーションによるばらつきの調節

細胞間のコミュニケーションは、積極的に細胞集団内のばらつきの調節も行います。私たちは、胚由来の細胞株において、Hippo シグナル活性の異なる細胞が存在すると、相対的に高い転写活性を持った細胞が勝者となり活性の低い細胞を敗者として排除することを見出しました。このような、隣接細胞の状態を認識した細胞間コミュニケーションは「細胞競合」と呼ばれています。さらに最近、私たちは、同様の細胞競合がマウスの着床前胚でも起こっており、胚の正確な発生に重要な役割を果たしていることも見出しています。

初期胚盤胞の内部細胞塊の細胞が分化して後期胚盤胞のエピブラストが作られます(図 A)。エピブラストは胚の体を作る多能性細胞からなっていますが、10個程度の細胞が胚の体全体を作るため、すべての細胞が正しく分化していることが正確な胚の発生に必要です。エピブラストが作られる際には、細胞の遺伝子発現にばらつきが生じますが、遺伝子発現レベルの異なる細胞間の細胞競合が起こり、多能性因子の発現が低い低品質な細胞をアポトーシスにより排除することで、高品質な細胞のみからなるエピブラストが作られます(図 A)。この細胞競合にも Hippo シグナルが関わっています。また、薬剤処理によりアポトーシスを抑制するとエピブラスト細胞の遺伝子発現や配置が乱れてしまうことからも細胞競合による品質管理の重要性が分かります(図 B、図 A の点線で囲った部分の遺伝子発現を調べた写真)。

着床前胚のエピブラスト形成時における
細胞競合による品質管理

発生の正確性には、細胞間コミュニケーションが重要であるにもかかわらず、そのしくみ、すなわち細胞がどのように隣接細胞の状態を認識し、自分の状態を比較し、隣接細胞あるいは自身の挙動を制御するのか、といった事についてはほとんどわかっていません。私たちのこれまでの研究から Hippo シグナル経路と細胞競合の重要性を明らかにしてきました。私たちは、Hippo シグナルと細胞競合を手がかりとして、細胞間コミュニケーションの仕組みとその発生における役割とを明らかにすることで、発生の正確性という大きな問題を解いてゆきたいと考えています。