大阪大学大学院 医学系研究科 病理学 幹細胞病理学/大阪大学大学院 生命機能研究科 時空生物学 病因解析学
Department of Pathology, Medical School and Graduate School of Frontier Biosciences, Osaka University

なかのとおるのつぶやき

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『大発見』に思う

月に一度のノルマを課しているブログであるが、先月はアップできなかった。年度末の用事に加えて、国内外の学会、結婚式など、忙しすぎた。ただ、原稿は、STAP細胞発表の興奮冷めやらぬ中、「大発見に思う」と題して書いていた。

理化学研究所・発生再生医学研究センター(CDB)が、驚くべきデータをもった若手研究者を抜擢した判断のよさ、サポートのすばらしさを綴った内容である。ふだんあまり人や物を誉めないせいか、なんとなく内容がしっくりこないので、少しの間ほうっておいた。その間に不正疑惑がどんどんとひろがっていき、アップする機会を失ったという次第である。

ご存じのとおり、大騒ぎである。私のところまで在阪のテレビ局がインタビューにこられたくらいである。その時も述べたことだが、発表直後は、STAP細胞の内容について完全に信じていた。あれだけ若い子が、これだけの発見をしたのであるから、科学の神様というのは万人に平等なのだと感動すら覚えた。

しかし、もし彼女が単独で論文を書いていたら(仮定法過去完了)、はたしてネイチャーはその論文を掲載しただろうか。あるいは、私自身があの論文の内容を信じただろうか。少なくとも後者に関しての答えはノーだ。

一般的にどれだけ知られているかはわからないが、理研CDBといえば、10年少し前の設立以来、赫々たる成果を出し続けてきた超一流の研究所である。その中でもスター研究者といってよい3名が共著者であったために、その内容を信じた。

論文の内容というものをそのような周辺状況から評価していいものかどうかと言われると、ダメだ。ナカノは権威に弱いのだろうと思われてもしかたがない。しかし『信じる』という行為は、そのような情報を自動的に勘案してしまうようなところがある、という言い訳はしておきたい。

最終的には、まったく理解不能な行動により、不正なデータを使った論文が作り上げられていたということになるだろう。こうるさい私が尊敬する、すばらしい業績をあげてきた経験豊かな研究者たちが完全にだまされていたということになるのだから、心底驚いた。

騙されにくいタイプ、あるいは、必要以上に疑い深いタイプだと自己評価してのだが、今回は私も完全に騙された。はたして、CDBのシニア研究者たちと同じ立場にいたとして、ウソを見破ることができたかと自問すると、自信はない。

こういう問題に厳しいスタンスをとるようになったことには理由がある。ひとつは、恥ずかしながら10年近く前に捏造事件に連座したことだ。後から思えば、そんなに短期間にできるはずのないマウスを用いての研究であった。あさはかであった。その直後に身近なところで別の捏造問題があった。それが直接の理由かどうかはわからないが、若い研究者が命を絶つといういたましいできごとまであった。捏造に連座した経験を活かせなかったことを今でも悔いている。

もうひとつは、痛恨の論文レビューがある。論文というのは、雑誌に投稿すると、3名前後の査読者にまわされる。その分野のエキスパートが詳細に検討して、論文の採否を決めるのである。当然、ネイチャーやサイエンスというトップジャーナルになると、そのハードルは高くなる。

もう十数年前のことで、時効だろうから言ってもいいだろう。ある論文のレビューがまわってきた。驚愕の内容であった。とても信じられなかった。ありえないから却下だと思った。しかし、である。信じられないからといって、正しくないとは限らない。科学というのは、常識の打破によって進んできたという側面がある。

言い訳になるが、その時、判断が揺らいだ理由はもうひとつある。実験条件が非常に特殊なものだったのである。通常の実験条件、自分もよく用いている実験条件であれば、躊躇しつつも却下したところだ。しかし、めったに用いられない条件であったために、もしかすると、そのような条件なら、こういうことも生じるかもしれないと思った。

その論文は、超有名雑誌に掲載された。予想したとおり大きな驚きをもって迎えられ、それに類する論文があいついで発表された。結果的に、どれだけの研究者がどれだけのお金と時間を使ったか、はかりしれない。しかし、今や、その関係の研究は、まったくといってよいほどおこなわれていなくなっている。

多くの研究室が類似した研究をおこない、たくさんの論文が出され続けた。もし、私が査読した論文がトップジャーナルに掲載されていなかったら、おこなわれなかったかもしれない研究である。そして、そのようなお墨付きがなければ、ありえない現象として片付けられた可能性が高い研究である。あくまでも、個人的な印象であるが、次々と発表された論文にはうさんくさい感じをぬぐえなかった。

その大元の論文が捏造であったかどうかはわからない。何らかの偶然が重なって、たまたまそのようなことがおこったのかもしれない。しかし、分野といってもいいほどのブームを巻き起こした研究であったが、いつの間にか、まったくおこなわれなくなったし、若い人に聞いたら、そんな研究が盛んにおこなわれていたことすら知らないという。

直接の責任はないのかもしれない。しかし、あの時、勇気を持って論文を却下していたら、結果的にムダになってしまったような研究に、多くの研究者を巻き込むことはなかっただろうと思うと、忸怩たる気持ちになる。

先にも書いたように、今回の『大発見』は、『小保方論文』ではなく、『理研CDB論文』として読んでいた。そのSTAP細胞がほんとうにできるのかどうか、今の段階ではなんともいえない。しかし、もしSTAP細胞が簡単にできるのであれば、論文作成にデータ不正などおこなう必要などあるだろうか。科学者だけでなく、一般の人でもその程度の疑念は持つだろう。

大問題だ。科学や科学者に対する疑念といったものが、原発事故によってつきつけられた。とされている。甘いと思われるかもしれないが、正直なところ、それは経済的な問題と技術的な問題がメインであって、科学の本質についての問題ではなかろうが、と考えていた。しかし、今回は違う。

対応を誤れば、一般の人たちから科学というものに対する大きな失望を招きかねない。警察のような調査権を持たない委員会であるし、中間報告であるからいたしかたないことではあるが、残念ながら、3月14日の記者会見では、十分な説明がなされたとは思えなかった。さて、最終報告は、いつ、どのような内容でなされるのだろうか。

なにがおこったのかを十分な客観性をもって明らかにすること。そして、それに基づいて適正なる措置がとられること。いずれもが、誰にも納得できるようなレベルでなされなければ、日本の科学の将来に暗雲が立ちこめ始めるのではないかと案じている。

2014年 3月

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