大阪大学大学院 医学系研究科 病理学 幹細胞病理学/大阪大学大学院 生命機能研究科 時空生物学 病因解析学
Department of Pathology, Medical School and Graduate School of Frontier Biosciences, Osaka University

なかのとおるのつぶやき

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ワープロなしでは生きられない

字が下手である。どれくらい下手かというと、iPhoneが認識してくれないくらい下手である。漢字が認識されないのはまだわかる。せめて平仮名くらいはちゃんと認識していただきたい。って、ちゃんと書けということですけど。

いまはほとんど見かけなくなった丸文字なのである。昔、娘が学校へ持って行く書類に記入しようとしたら、おとうさんの字は子供みたいやからイヤと拒否されたことがある。だいぶ前だけど、私の字と間違われて、うちの秘書さんが、かわいらしい字を書かれますねと言われた、と、憮然としていたこともあった。

こういうエピソードは書けば書くほど思い出してくるなぁ。医師国家試験の時は、試験官のおじさんに、そんな字では誰かわからないと注意された。大学入試の前には、母親が、徹は答えがわかってもそんな字では何を書いてあるかわからないから不合格に違いないと心配していた。

そんなだから、ワープロができてほんとによかったですね、とよく言われる。言われるまでもなく、確かにそう思う。ていねいに読みやすい字を書こうとすると、えらく時間がかかるのである。それに、ゆっくり書いたところで、やっぱり下手は下手なのである。

最近では、お礼状や葉書、日記と私的なメモくらいしか手書きすることはないから、手書きとワープロの比率は1:100くらいだろうか。ワープロがありがたいのは、きれいに打ち出してくれるからだけではない。ワープロがなかったら、まともな長い作文ができないのだ。

研究をはじめた頃、ちょうど30年くらい前から英文ワープロが使われるようになった。それ以前の先生は、タイプライター−なぜかIBMのボールヘッドの電動タイプライター−で書くのが一般的だった。今や、タイプライターで論文を書ける人など絶滅しているだろう。私の場合は、幸いなことに、最初の英語論文からワープロで作成している。

論文の作成というのは、ある意味で試行錯誤である。どの順序でデータを見せるか、というのが腕の見せ所なのだ。トランプゲームで、同じカードを持っていても、その出し方で勝てたり勝てなかったりするように、うまい順番にデータを見せて論理展開をすると、非常に説得力が増して、いい論文になるのである。

だから、考えて書くだけでなく、書きながら考え、そして、段落の順序を入れ換えたりする、という作業をしょっちゅうおこなうことになる。ワープロがあったればこそ簡単にできるけれど、タイプライターだとそうはいかない。ほんとにタイプライター時代は大変だったであろうと思う。いまいちワープロの使い方がよくわからなかった私の師匠などは、タイプした紙を切ったり貼ったりしながら仕上げておられたものである。

論文だけでなく、頼まれ原稿であれ書類であれ何であれ、ふつうに日本語を書く時も、まったく同じようなプロセスで書いている。まずは、適当にざっと書いて、長さの目処をつける。プロならば、これこれを書いておおよそ何字、とわかるのだろうけれど、ここが素人の悲しいところで、書いてみないとわからない。

言いたいことをざっと書いてから、パラグラフの入れ換えにはいる。わたしが文章を作成する際、いちばん楽しいのはこの段階である。そして文章の細かい推敲してできあがり。病理学の定評ある教科書を書いておられるVinay Kumar先生によると『There is no good writing. Only good rewriting.』ということになるのであるが、文章というのは、なんども書き直すのが肝要なのだ。

最近、自画自賛が多すぎるとよく言われのであるが、今回もめげずに自慢。自分で言うのもなんであるが、文章がわかりやすい、と言っていただくことがある。しかし、自覚的には、決して文章がうまいとは思っていない。 ←おっ、意外と謙虚!

うまい文章を書く人などごまんといる。私の場合は、わかりやすいとすれば、文章そのものがうまいのではなくて、パラグラフの順番、すなわち、論理展開がわかりやすいからだろう。これは、おそらく、意識していない間に、論文や研究費の申請書、すなわち、メシの種となる文章をわかりやすく書くことによって鍛えられた能力なのである。

この場合は逆もまた真。いろいろな文章を書くことによって、書類を書く速度がどんどん上がってきているのを実感している。遊んでばかりでいつ仕事をしているんですか、と、口の悪い知人には、いや、口の悪くない知人にまでしょっちゅう言われている。しかし、最近気づいたのである。私は仕事をしてないのではなくて、仕事が早いのである。

仕事の大半は、日本語英語を問わず、文章を読んで書くことによって成り立っている。で、何が言いたいかというと、ツイッターであれなんであれ、雑文を書いているのは、仕事の能力を高めるためのトレーニングなのであって、決して無駄に遊んでいるのではない、ということなのである。単に言い訳をしたかっただけなのである。ということで、失礼いたしました。

2013年 12月

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