大阪大学大学院 医学系研究科 病理学 幹細胞病理学/大阪大学大学院 生命機能研究科 時空生物学 病因解析学
Department of Pathology, Medical School and Graduate School of Frontier Biosciences, Osaka University

なかのとおるのつぶやき

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未来への手紙

久坂部羊という作家 兼 在宅医療の医師 兼 大学教授、がいる。本名を久家義之といい、かつて大阪大学医学部で机を並べた仲だ。ただし久家はほとんど講義には出ていなかったので、『机を並べた』というのはあくまでも比喩として、ではあるが。

外科医や大使館付けの医師を経て、久坂部羊として最初のミステリー『廃用身』でデビューしたのは、ちょうど10年前のことだ。同人誌で書いていたのは知っていたけれど、ペンネームもしらなかったし、あの幻冬舎が大々的な広告をうつような作品を出すようになるとは夢にも思ってはいなかった。

海外出張から帰りの飛行機で、『廃用身』の新聞広告を見て、ひょっとして、久坂部羊って久家か、とメールをしたら『いかにも拙者でござる』という返事が来た。処女作は、それまでの医療ミステリーとは一線を画したリアリティーあふれる内容だった。どれくらいリアルかというと、ノンフィクションと勘違いするバカ学生がいるほどなのである。

頼まれもしないのに書評を書いて久家に送った。お世辞半分だろうけれど、いつか書評を書いてもらう日がくるかも、という返事をくれた。一介の大学教授が書評を頼まれることなんかないで、というように返した記憶がある。ちょうど、教科書的な本、私にとっての処女作『幹細胞とクローン』を上梓した頃のお話である。

それが現実になった。とあるご縁で、久坂部羊の新作『悪医』の書評を週刊現代(2013年12月7日号)に書かせてもらったのである。同級生に作家がいるだけでもかなり楽しいのに、その書評をメジャーな雑誌、それもちゃんとヌードグラビアやエッチな記事がでている正しい週刊誌に書けた。素直に嬉しかった。

『廃用身』の時の思い出話は、長らく記憶の奥底に沈殿していたが、古いファイルを探したら、その時書いた書評が出てきた。もう内容は完全に忘れていた。ずいぶんと稚拙で荒削りではあるけれど、言いたいことは書ききっているなぁ。と、まぁ、これはいつもの自画自賛である。せっかく発掘したから『なかのとおるのつぶやき+α』にアップしておくので、興味がある人は読んでもらいたい。

いつか久坂部羊の書評を商業誌に載せてもらえる日がくるなどとは夢にも思わなかった。近い将来の見通しという程度の意味では、未来を予想できることもあるだろう。しかし、遠い未来のことなど、原則としてまったくわからない。それに、わからないからこそ面白いのである。そんなことないと思う人には、わかりきった人生がどのようなものかを考えるのに格好のミステリーをお勧めしたい。

ずいぶんと昔の本だが、『リプレイ』という傑作だ。主人公のジェフは43歳で死ぬ。しかし、目覚めるのである。それも25歳の自分として。二回目の人生では、この先におこることすべてを知っているのであるから、大もうけして、素晴らしい人生。しかし運命の43歳になり、やっぱり死ぬ。そしてまた25歳で生き返る。

それが繰り返されるのだ。このような人生を楽しいと思うだろうか?まるでシージュフォスでの拷問だ。もちろんそんなことはありえないのだけれど、人生というものをシミュレーションするには格好の本だ。このフィクションを読んでいろいろと思いをはせると、人生に対する考え方が変わるかもしれない。

先のことなどわからないのだから、夢など持つ意味はないし、その必要もない、という考えもありだろう。一方で、『思考は現実化する』と煽りまくって儲けるナポレオン・ヒルみたいな人もいる。どちらにも一理あるような気がする。

そもそも『夢』という言葉に対するイメージにずいぶんと幅があるからかもしれない。実現可能性のあることを夢として抱くのか、できそうもないレベルのことを夢として語るのか。いわば、『かなえてこその夢なのか、かなわぬこその夢なのか』という問題である。しかし、それを『夢』と呼ぶかどうかは別として、自分の未来を思い浮かべてみることは悪くない。

ずいぶんと前になるが、1985年のつくば科学万博では、21世紀に配達される年賀状を出そう、という企画があった。2001年の元旦、出したことすらすっかり忘れていたけれど、研究をはじめて2年目に『立派な血液学者になっているでしょうか』と書いたハガキが我が家に配達された。

立派かどうかは別として、血液学者として教授になっていたのだから、『夢』はかなえられたのかなぁ、と、しばし感慨にふけるというのは、なかなかに心地よい経験であった。それ以来、若者には10年後の自分に思いをはせて手紙を書くことを勧めている。思い通りになっていてもいなくてもかまわない。少なくとも、現在において未来の自分と、そして、10年後には過去の自分と対話することができる。

そういう手紙には電子ファイルは似合わない。なんといっても手書きがいい。でも、手元においておくと、なくなってしまったりするだろうし、なくさないようにと目につくようなところに置くと、内容をしょっちゅう思い出してしまうだろうから興ざめだ。ひょっとしてそんなサービスがあるかと思って検索してみたら、やっぱり『タイムカプセル郵便 未来ネット』というのがあった。ちょっと高いような気がするけれど、未来へ何かを確実に届けようとしたら、これくらいかかってもしかたないだろうか。

え?あんたは10年前に何を書いていたかって?それが、人には勧めるくせに、自分では書いていないのである。しかし、これを機会に書いている。その手紙を読むとき66歳。すでに定年後である。ひょっとしたら生きていないかもしれない。ナイスな爺さんになって世界周遊とかをしていたらいいけれど、エロぼけた爺さんになって周りを困らせていたらどうしよう。そういうことを考えるだけでもけっこう楽しくなってくる。

2013年 11月

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