大阪大学大学院 医学系研究科 病理学 幹細胞病理学/大阪大学大学院 生命機能研究科 時空生物学 病因解析学
Department of Pathology, Medical School and Graduate School of Frontier Biosciences, Osaka University

なかのとおるのつぶやき

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医師国家試験大改革私案 −なんのために学ぶのか その3−

医学部医学科の出身者は、なんのかんのいおうと、大多数がお医者さんになる。そのためには、医師国家試験に合格しなければならない。大学によって『国試』にかける意気込みは大きく違っているようだが、下手をすれば最終学年を国試の予備校みたいにしているようなところもあると聞く。

大学が強制しなくとも、医学生は国試を突破するために、しっかり勉強する。それは結構なことなのではあるが、気の早いびびり系の学生になると、4年生あたりから、国試に向けた勉強会を始めたりする。みっちり『学問』として勉強してくれたらいいのだが、ともすれば、国試の『過去問』を解くためだけの勉強になりかねないのが困ったものである。

なんのために学ぶのか・その1』に書いたように、試験というのは、勉強の結果としてあるべきなのに、それでは完全に逆になってしまっているのである。せっかく『勉強』に時間を費やすのに、もったいないことである。といっても、合格しなければ話にならないのであるから、必要悪のようなところもあって、否定しきれないのがもどかしい。

医師国家試験では、どうしても知識を問うということが重視されてしまう。症例を提示して解かせる問題もあるけれど、それとて、基本的には医学知識をどれだけ持っているか、を確かめるような試験である。さて、いまの時代、これだけIT化が進み、いろいろな情報に即座にアクセスできるのに、知識を問うような試験にどの程度の意味があるのだろうかという疑問がうかぶ。

医療が営まれるほとんどの場面において、膨大な医学知識にネットからアクセスすることが可能なはずだ。もちろん覚えていたほうが便利ではあるが、どうしてもそれには限界があるし、人間、覚え違いということもしょっちゅうおこる。そう考えると、思い切って、細かい知識はコンピューターにおまかせしてしまう、という前提にたった方が安全かつ確実ではないか。

患者さんの症状や検査の値から、どんな病気が考えられるかを診断するコンピューターソフトがある。日本ではそれほど導入されていないようだが、アメリカではカルテと連動しているようなタイプまであって、ものの本によると、その診断能力は、頻度の高い病気では、経験ある医師とほぼ対等といわれている。

それどころか、希な疾患については、コンピューターの方が経験豊富な医師よりも診断能力が高いそうだ。考えてみればあたりまえのことである。いくら経験のある医師であっても、これまでに世界で数例、というような病気までは覚えきれない。それに対して、コンピューターはいくらでも覚えてくれる。チェスでは世界王者が、将棋でもプロが、コンピューターに負かされてしまう時代なのである。診断において経験豊富な医師が負けても、すこしも驚くことでも恥ずかしいことでもない。

日常の医療でネットを使ってチェックできるようになるのなら、国家試験でも使わせてやればいいのではないかと思うのである。そのかわり、合格点をいまの7割程度から、95%とかにあげればいい。難しい問題を自分の頭で7割しか解答できない医師と、ネットにつながって95点とれる医師。あなたはどちらにかかりたいだろう。

もちろん、常にネット環境にあるとは限らない。無人島、あるいは、震災などといった事情でネットが使えない状態でも、ある程度の医療行為ができなければならない。ほかにも、ネット検索すらできないくらい緊急を要するような状況、目の前で患者さんがバタッと倒れたような場合にも対処できなければならない。

しかし、こういった、いささか特殊な状況というのは、国家試験が想定する出題範囲からみればそう多くはないだろう。それに、そんな状況では、使える道具やおこなえる処置もかなり限定されるはずだ。だから、こういったことについての問題は、細かい知識を問うような問題とは別枠にして、ネット使用不可の試験をすればいい。もちろん、医師ならば誰もが知っておかなければならないような基本的な問題も、同じようにネット使用不可カテゴリー問題ににすればよい

早い話が、ふたとおりの試験、ネット環境下試験と非ネット環境下試験、をおこなえばいいのではないかという提案なのである。ネットを使って誰かに教えてもらうような不正行為をどう防ぐかとかいうような技術的な問題は山積みだろう。しかし、ネット検索の現状、そしてIT技術の進歩を考えると、なかばまともに考えてもいいのではないかと思っている。

このやり方のいちばんの目的は、記憶という呪縛から医学生を解き放つことにある。昔とちがって、いまや、コンピューターがいくらでも覚えてくれるのであるから、自分の頭にたくさん記憶しているということの必要性も重要性も激減してきている。どこまでを各自の脳でしっかりと記憶してもらうかを決めて、あとは電脳記憶にたよりってもよろしい、ということで十分ではなかろうか。

そして、現状では『無駄』な記憶に費やされる時間を、過去問ではなく、学問としての医学の修練にあててもらいたいのである。さらには、読書をする、映画を見る、そして恋愛をする、などをたっぷり経験して、医師として必要な『人間らしさ』の鍛錬にあててもらいたいのである。いささか極論なのはわかっているし、実現するのは難しかろうが、決して悪くはない考えだとひそかに思っている。

紙面(っていうのか…)がつきましたので、『入試について』は次回にまわします。

2013年 7月

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