大阪大学大学院 医学系研究科 病理学 幹細胞病理学/大阪大学大学院 生命機能研究科 時空生物学 病因解析学
Department of Pathology, Medical School and Graduate School of Frontier Biosciences, Osaka University

なかのとおるのつぶやき

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『生命とは何か』

わたしの所属する生命機能研究科、はじめての試みとして『春の学校』というのが開催された。生命科学に興味のある学部学生に来てもらって、わいわいと生命科学について泊まり込みでお話ししましょうね、という一夜限りの学校である。この研究科は学部を持たないので、よかったらぜひうちの大学院に来てくださいね、という下心いっぱいの企画ではあるが、相当にもりあがり、有意義なものであった。

いちばん長い時間があてられたのは、飲みながらエンドレスに語り合うイベント、という、すばらしいスケジュールであった。しかし、その前に、いくつかのセッションがあった。わたしが担当したのは、「生命とはなにか」という、きわめてハイブロウなタイトルのミーティングであった。気分はサンデル教授。マイクを片手に、大学一年生から教授にいたる50名ほどの参加者から、意見をひろっていきながら、「生命とはなにか」をともに考えてみた。

「生命とはなにか」というのを考えたことはおありだろうか?ひとによっては、「動く」とか「息をする」とか「考える」とかいう意見もあるかもしれない。しかし、じゃぁ、植物はどうよ、とか、細菌はどうよ、とかいう反問がでると、これらの答えは適切でないことがすぐにわかる。科学哲学の大家カール・ポパーの名を出すまでもなく、「反証可能性」というのが、こういう問いについて考える時には重要なのである。

生命科学を生業にする者、あるいは、生命科学を志す者、は、当然、それぞれの「生命観」というものがあるはずだ。日常的に自分の生命観にひたっている訳であるが、他者の生命観を訊くことはあまりない。「生命とはなにか」のセッションでは、自分の生命観を考える上で、すくなくとも私にとっては、非常に刺激的かつ有意義なものであった。

わかったことは、私は、生命というものについて、非常に保守的かつ生物学的なスタンスをとっている、ということであった。教科書的になるが、わたしは、「自己複製」と「代謝」と「膜構造」、この三つを生命の基本的な構成要素と捉えている。正直なところ、この考えは、生物学をやっている人のコンセンサスだと思っていた。が、けっしてそうではなかった。

この「三種の神器」に挑みかかる反証として有名なのは「ウイルスは生命ですか」という問いである。ウイルスは、自身での膜構造はなく、代謝もおこなえない。いわば、単に「タンパクに覆われた核酸」なのであって、条件さえ整えば、結晶化することも可能である。しかし、宿主細胞の中において自己複製することはできる。すなわち、さきに書いた「三原則」のうち、ひとつと少しくらいしか当てはまらないのだ。

しかし、私とて、ウイルスを生命とみなすことに、やぶさかではない。まあ、生物の仲間にいれてあげようではないか。しかし、コンピューターウイルスとなるとどうであろうか?これについての議論が、わたしにとっては最もおもしろかった。ちなみに、私は保守派であるから、コンピューターウイルスなどというものは生命と思ったこともないし、未来永劫に思うようにはならないと断言できる。

しかし、けっこう多くの人から、私と同世代の教授も含めて、コンピューターウイルスも生命とみなしてよい、という発言があった。どっひぇ〜、そんな人たちとは知らずにいっしょに仕事をしていたのか…、と、正直思った。が、どちらが正しいというものでもないような気がする。

つきつめていくと、生命というものを生物と切り離してまで考えるかどうか、あるいは、生命というものに物質的な裏付けが必要と考えるかどうか、に、帰着するはずだ。わたしは、たとえ頑迷であると言われても、生命と生物を切り離して考えることなどできないし、物質的な裏付けがないような生命はありえないと考えている。DNAの塩基配列はACGTと記号化できるけれど、核酸という物質的な裏付けがある。ひるがえってコンピューターウイルスは情報だけで物質的基盤がない。そんな生命、すかんのである。

40年近く前、大学に入学したら読みましょうといわれていた本がけっこうあった。そのうちの一冊が、分子生物学者ジャック・モノーによる『偶然と必然』である。この本の冒頭の部分はよく覚えている。どうしてかというと、この本、最期まで読み通すのが難しくて、なんども読もうと試みたため、冒頭部分だけは何回も読んだから、という、みっともない理由からである。

そこに示されているのは、ある見知らぬ星に到着したとき、その星に生命(ひょっとしたら「生物」だったかもしれない。なんど読んでいても記憶はあいまいである…。)があるかどうかを知るには、どうすればいいか、という思考実験だ。この思考実験から、生命、というものを考えてみるとなかなかに面白い。

「生命」という、なんとなくわかったつもりになっている言葉について、あれやこれやと考えてみる、そして、語らってみるというのはおもしろい。きっとそこから、「いのち」というものが自分にとってどういうものなのか、イメージが鮮明にうかびあがってくるに違いない。

2013年 3月

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