大阪大学大学院 医学系研究科 病理学 幹細胞病理学/大阪大学大学院 生命機能研究科 時空生物学 病因解析学
Department of Pathology, Medical School and Graduate School of Frontier Biosciences, Osaka University

なかのとおるのつぶやき

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Science is luck!

今の時代、大都会の住民にしては珍しいのであるが、生まれてこの方おなじところに住み続けている。そこを長期間にわたって離れたのは二回だけ。一度は、ドイツ・ハイデルベルクでの二年間、そしてもう一度がカナダのトロントにおける3ヶ月ほどの滞在である。ハイデルベルクは家族連れ、トロントは単身であったが、それぞれ夢のように楽しい生活であった。

ハイデルベルクといえば、お城や哲学の道などドイツきっての観光地であるから、ご存じの方も多いだろう。所属していたのはヨーロッパ分子生物学研究所(EMBL:European Molecular Biology Laboratory)という、当時の「西ヨーロッパ」諸国がお金をだしあって作った研究所。観光地からは車で半時間近く、所属する日本人はひとりだけ、という少し寂しい環境であったが、ヨーロッパ各国のお国ぶり豊かな仲間たちと研究を楽しめた。アパートから森の中を20分ほど歩いて通い、その研究室の窓からは牧場が見える、という抜群の環境であった。疲れた時や実験がうまくいかなかった時、ひろがる緑を見て、どれだけ癒やされ慰められたことだろうか。

ボスであるThomas Grafは、少し遅くまで仕事をしていると「家族があるのだから、早く帰らないとだめだ。」と言ってくれるようなえらく理解ある人であったので、基本的に土日は休みにして、可愛いさかりであった二人の小さな娘たちとも十分な時間をとれた。愛車であったオレンジ色(!)のゴルフに乗って、スイス、プロバンス、トスカーナ、パリなど、週末の小旅行にたくさん出かけた。それでも決して怠けていたわけではなく、大きくはないけれど、ちゃんと論文も二つ出すことができた。

日本にいたころにくらべると、なんともご気楽な研究生活であったが、研究室の仲間たちに比べると、それでもよく働いていた方であった。しかし、その仲間たちが、みな、一流雑誌に次々と研究成果を発表していくのには驚いた。研究は単に労働の総和ではなくて能率との掛け算であることを思い知った。ボスときたら8週間ものUrlaub(長期休暇)をとったのには腰が抜けた。研究というのは、こんなに楽ちんで楽しいものなのだと思った。『ふたつの小さなできごと』に書いたように、帰国後、それが大きな勘違いであったと身に染みて感じることになったのであるが。

『あのころこのこと』にもちらっと書いたように、「遺伝子ターゲティング」という、いまとなってはどこででもできるが、当時はまだ世界中で数カ所でしか成功していなかった方法を習得するため、トロントのTak Mak先生のところに三ヶ月ほど滞在した。ドイツから帰国して一年近く、彼の地で抱いたイメージと帰国後の研究との落差から、なんともいえない閉塞状況に陥っていた時、誰かトロントへ行ってくれないかという話があった。真っ先に手をあげた。自分のプロジェクトとは関係のない研究であったけれども、まったく躊躇はなかった。それだけ行き詰まっていたのだと思う。そして、なによりも、若かったのだと思う。

研究方法そのものは、そう困難なものではなかったので、たいした手間もかからず、まことに暇であった。Tak Mak研究室には私以外にも4名の日本人研究者がおられたのであるが、いまや某大学の医学部長になっておられる最年長のM先生を大将に、じつによく遊んだ。夕方になると、はて何を食べに行きましょうかというのをおもむろにディスカッションして、出かけていくのが楽しみであった。それどころか、昼間っからゴルフに出かけたり、お好み焼き屋さんでビールを飲んだり、と、まぁ、天国というか、このままでは人間が駄目になること間違いなしの3ヶ月であった。(ちなみに他の日本人研究者の方たちは、私よりはずっと研究にいそしんでおられたことを付け加えておきます。)

Tak Mak研の人たちも、ドイツにいた時と同じように、それほど働いているようには見えなかった。それでも、続々と一流雑誌に論文が報告されていた。遺伝子ターゲティングという新時代の必殺技があったとはいえ、驚くべきことであった。帰国前、たまにしか研究室に姿を見せないTak Mak先生をつかまえて、質問をした。

"What is the important factor to succeed in science?”

研究というのはいったいどういうものなのだろう?ハイデルベルクとトロントでの経験と、日本での経験を比較して、根本的な再構築が迫られるような状況であった私にとって、これだけは聞いておかなければならない質問であった。それに対する答えにはしびれた。

“Science is luck!”

両手とも中指を人差し指にひっかけて、満面の笑みをたたえて放たれた短いセンテンス。愕然とした…。そうか、幸運なのか。高尚な内容を期待して聞いた私が悪かったのか、聞いた相手が悪かったのか…。

成功した研究者は、すべからく幸運であったと自らを語る。ルイ・パスツールの ”chance favors only the prepared mind” (幸運の女神は準備された心に微笑む)というのは、準備の整った心が大事であるということを述べているのは言うまでもない。しかし、それ以上にチャンスというものが重要であることを言明しているのである。どうしたら幸運を呼び込むことができるようになるのか、というのがいちばん大事なのである。

ある出来事をチャンスといえるレベルにまでにアップグレードさせる「率」を上昇させるのは難しいだろう。しかし、下手な鉄砲も数打ちゃあたる。チャンスにつながる可能性がありそうな機会そのものを増やすことは可能だ。できるだけ、そのような出来事がころがっていそうなところへ出向けばいいのである。私の経験では、残念ながら、ルーチンの生活をしているだけでは、新しい出来事に出くわすことは多くない。時には、「ホーム」をはなれて「アウェイ」に赴いてみるべきなのだ。

複雑系の本によると、仕事を探している時に、周りの親しい人にばかり頼んでいるよりも、あまり知らなくても、距離−物理的でも内容的でも−の離れている人に頼んだ方が有効であることが証明されているらしい。おそらく、それと同じようなものだろう。新しい視野が開けたり、会うはずがなかった人と知り合えたりして、大きなチャンスにつながることがありえるはずだ。面倒だと思わずに、少しでも、チャンスの「母数」を増やしてみる心がけが大事なのだ。チャンスなど、どこに転がっているか誰にもわかりはしないのだから。と言い訳をしながら、ふらふらするようになった私である。ただし、それがよかったのかどうかは、いまだにわからない。

2013年 1月

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