大阪大学大学院 医学系研究科 病理学 幹細胞病理学/大阪大学大学院 生命機能研究科 時空生物学 病因解析学
Department of Pathology, Medical School and Graduate School of Frontier Biosciences, Osaka University

なかのとおるのつぶやき

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たかが まがじ〜ん?

研究というのは、論文発表してなんぼのもんである。しかし、それぞれの研究がどの程度の価値を持っていかを判断するのはむずかしい。そこで、どの雑誌に掲載されているか、がおおよその指標として用いられる。一般的に使われるのは、トムソンという会社が編み出したインパクトファクター(IF)と呼ばれる計算値。ひとことでいうと、ある雑誌に掲載された論文が何回引用されたか−被引用回数−を示す数字である。実体を反映しているかどうかは別として、その値が高いほど、インパクト、すなわち、いろいろな論文(=研究)に与えた影響、が大きい、ということになっている。

生命科学系では、IFがずぬけて高いCell、Nature、Scienceが三大誌として君臨しいる。それらの雑誌に論文を載せてもらうには、斬新で高度かつ厳密な研究内容だけでなく、general interest−その分野以外の人にも興味を持たれるかどうか−まで問題にされる。もちろん掲載は極めて難しくて、いってみれば、多くの研究者にとって「夢の雑誌」なのである。そのNatureに、今月、論文が掲載されるのである。よって、以下、基本的に自慢話です。お前の自慢話など読みたくもないという人は、ここでさよならしてください。

10年以上前にクローニングしたPGC7という遺伝子の機能解析なのであるが、その内容は「エピジェネティクス」とよばれる新しい領域であり、ほとんどの人にはなじみがない。また、決定的なデータが一つあるといったタイプの論文ではなく、穴太の石積みのように、大小の実験を巧みに組み上げて強固な石垣を作ったような論文なので、理解してもらうのが難しい。それでも、めったにないことなので、一応はプレス発表をした。さすがNatureである。何社もの記者さんから取材があった。でも、残念ながら、みなさん「難しいですね」というコメントを残していかれた。すみません。わかってたんです…。

TwitterでNatureに論文が出ましたとつぶやいたら、たくさんの友人・知人からお祝いのことばをいただいた。そのほとんどが「遊んでばかりいると思っていたのに、いつのまにちゃんとした仕事をしていたのか驚いた」というような内容であった。こういう時、世間の目が自分をどのように認識しているか、よくわかる。どうも、世間は正しく認識していたようだ。このコメントには、「遊んでると見せかけているけれど、ほんとは仕事にうちこんでいたのですね。先生、ひょっとしたら天才かもしれませんね、ごめんなさい。」という尊敬の念がこめられているのだろう。ちゃうか…

20年近く前に、三大誌の一つであるScienceに初めて筆頭著者として論文が受理されたときの興奮はすさまじいものであった。若かったし、これで世界に認められる研究者になれたという恍惚感もあった。そして、実際、その論文のおかげで教授になれた。今回も、論文が受理されたらどれだけ興奮するだろうと思っていた。しかし、もちろんうれしくはあったが、興奮は、そのScienceの時の十分の一以下でしかなかった。いくつかの理由があるが、やはり、自分で実験をしていない、というのが大きいように思う。

教授というのは、言ってみれば、相撲部屋の親方みたいなもんである。今回の論文は、自分の「部屋」でおこなった研究とはいえ、自分で使った時間というのは、研究の指導とディスカッション、そして、論文の執筆くらいのものである。たとえてみれば「うりゃうりゃ、がんばらんかい。そこ、ふんばって右ささんかい。」とか言うてただけなのである。竹刀でしばいたりという、いまや協会では禁じられてしまった熱血指導もしていないのである。それに対して、若いころの論文には、自分の持ち時間すべて、そう、家族との時間を犠牲にして文字通り寝食を削ってまでがんばった、何年もの血と汗と涙がそこに凝結していたのである。実時間でいうと、今回は、せいぜいその百分の一くらいしか使っていないのであるから、十分の一の喜びであっても喜びすぎかもしれない。

ほぼ6年間かけて、こつこつおこなった研究なのであるから、筆頭著者君の喜びはとてつもなく大きかったと思う。すでに他の大学へ転出していたその子(といっても、かなりのおっさん)と電話で話をしていて、自分のScienceの時を思い出しながら「ほんとうによくがんばってくれて、ありがとう。」と言った。そのとき、回線の向こうの声が急に涙声になった。こちらもほろりときて“ネイチャーに受理されましたと涙声 君より知らず君の苦労は”と詠んだ。そして、調子こいて「朝日歌壇」に投稿した。

細胞生物学の泰斗にして日本短歌界の重鎮、京都大学名誉教授・京都産業大学教授(文学系じゃなくて生物系の教授です)の永田和宏先生が入選させてくださった。昔からの知り合いであるから、ご祝儀かという気もしないわけではないが、素直にうれしかった。そうです。わざわざ言わなくていいのに、ここも自慢です。しかし、IFの低い他の雑誌なら、きっと入選させてもらえなかったに違いない。そして、たとえCellやScienceであっても、字足らずや字余りになってしまうのである。さすがNatureなのである。

論文が掲載されるかどうかは、どのレフェリーにまわるか、その研究分野がどういう状況にあるか、など、偶然に左右されるファクターも大きい。であるから、三大誌に載った研究がすばらしくて、載らなかったからそれより落ちる、というものではない。そのことは重々わかっている。ある高名な先生は、「NatureとかScienceなんか、週刊誌やし、ジャーナルとちがってあんなもんたかがマガジ〜ンやで」とおっしゃった。ほぉ、すごい見識がある先生だと思った。が、その先生、実はマガジ〜ンに論文が載ったことがなくて、喉から手が出るほど載せたがっておられたと風の噂に聞いた。世の中、わかりにくいもんである。

たかがマガジ〜ンではないけれど、Natureにひとつ論文が載ったところで、研究者同士での評価というのは大きくはかわるものではない。しかし、教授になって17年。納得のいく自信作を三大誌の一つに掲載するというのはひとつの夢であった。うれしかった。そして、世間の反応は、思っていたよりもずっと大きかった。それとて、Natureに論文が載らなければわからなかったことなのである。とても、たかがNatureとはよう言わんのである。誰になんといわれようとも誰にもなにもいわれなくとも、されどNatureなのである。

2012年 6月

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