大阪大学大学院 医学系研究科 病理学 幹細胞病理学/大阪大学大学院 生命機能研究科 時空生物学 病因解析学
Department of Pathology, Medical School and Graduate School of Frontier Biosciences, Osaka University

なかのとおるのつぶやき

HOMEなかのとおるのつぶやき(目次) > No.007 Contents

あのころのこと - OP9物語 -

前回の「つぶやき」を読んでくれた同級生にしてミステリー作家の久坂部羊君から、どういう研究がうまくいったのかわからないから共感しにくい。というコメントをちょうだいした。ある程度くわしく書かないとわからないし、あまり長くなるのもいかがなものかと思って書かなかったのである。しかし、医師をしながらの兼業とはいえ、久坂部君はれっきとした作家である。ここは素直に言うことを聞いて、あのころしていた研究のことを書いてみることにする。医学や実験のことをまったく知らない人にもわかってもらえるように書いたつもりなので、軽く読んでみてください。

1990年の秋にドイツから帰国して、京都大学医学部医化学の本庶研究室に参加した。最初、これをやってくださいと言われた引き継ぎ仕事はどうにもうまく進まないし興味もわかない。悶々として半年がすぎたころ、ドイツ時代の師匠Thomas Graf先生が日本にやってきた。夢のようであったドイツ生活を思い出しながら、ぼやきまくる私にGraf先生「徹、結局お前はなにをやりたいのか」と尋ねた。「血液細胞がどうやってできてくるかを知りたい」と答える私に、「それならES細胞の研究をやるしかない」とのたもうた。

ES細胞というのは、よくマスコミにも出てくるが、未分化な胚から樹立された、どんな細胞にもなることのできる細胞である。特定の遺伝子を壊した遺伝子ターゲティングマウスの作製は、いまではどこでもできる技術であるが、当時、世界中の4つか5つの研究室でしか作成できなかった。そのころ、本庶研がメインテーマとしてとりくんでいた遺伝子があったが、その機能がどうもよくわからない。だれか、ES細胞をつかったターゲティングの研究にとりくんでくれないだろうかという話があった。どうせ全く実験が進んでいない私は、躊躇することなく手を挙げた。

そして、トロントへ飛んだ。Tak Mak先生という免疫学の大家にして、遺伝子ターゲティングで華々しく成果をあげていた先生の研究室でES細胞のことを学ぶためである。トロントでの2ヶ月あまりの生活は、いずれ書くつもりだけれど、ドイツでの生活に負けず劣らず楽しいものであった。一日の実働研究時間が2時間程度という、すばらしい環境であったので、考える時間は腐るほどあった。試験管内においてES細胞から造血幹細胞を作る実験法を確立する、というテーマに突き進もうと決心した。

すべての血液細胞は、造血幹細胞から作られる。そして、ざっくりいうと、血液細胞は、大きく、骨髄系とリンパ系に分けることができる。ES細胞から骨髄系の細胞を作る方法はすでにあったけれど、リンパ系の細胞を作る方法はなかった。それに、どんな細胞にでもなれるES細胞からは、造血幹細胞を作ることも、原理的には可能なはずである。そこに懸けてみようと、仲野は考えた(<田口トモロヲ風に読んでください)。

造血幹細胞を試験管内で培養することは可能である。しかし、それは造血幹細胞のみではだめで、ストロマ細胞の上で培養しなければならない。単純な考えであるが、ES細胞をストロマ細胞といっしょに培養すれば血液細胞を作れないかと考えて試行錯誤を続けた。いろいろな種類のストロマ細胞をかたっぱしから試してみた。そして1年。だめであった。骨髄系の細胞であるマクロファージに似たような細胞はできてくるのであるが、他の血液細胞はできない。あきらめようかと思った。しかしそのとき、新しいストロマ細胞が樹立されたことを知った。

血液細胞の産生には成長因子が必要であり、マクロファージの産生は、マクロファージ刺激因子(M-CSF)とよばれる因子が刺激する。その新しいストロマ細胞OP9は、そのM-CSFを産生できないマウスから作られた細胞なのであった。ふつうのマウスから作られたストロマ細胞は、すべからくM-CSFを産生している。私の考えはシンプルであった。M-CSFがあれば、マクロファージみたいな細胞がでてくるのでるから、M-CSFのないストロマであれば、マクロファージにじゃまされずに他の血液細胞もできてくるのではないか。そのとき、神様も微笑むべきかどうか迷っていたようだ。

忘れもしない、12月9日の朝、OP9細胞を京都全日空ホテルまで受け取りにいった。どうしてそんなことを鮮明に覚えているのだろうかと思う。この細胞でだめなら、もう打つ手はないと思っていたからかもしれない。そのころ、ある論文、ES細胞を、とあるストロマ細胞の上で培養するとリンパ系の細胞を作ることができるという論文、が出た。愕然とした。同じような方法で先をこされたのである。どうしようもなかったけれど、どういう訳か、その方法では骨髄系の細胞が出てこない。骨髄系の細胞とリンパ系の細胞の両方を同時に作ることができれば、まだチャンスはある。そう考えて実験を続けるしかなかった。

なかなかうまくいかなかった。血液細胞のような集団(コロニー)ができてくるのではあるが、育たない。自慢ではないが、私はあきらめがいい。といえば聞こえがいいが、実に投げやりである。ある実験がうまくいかないと、すぐに投げ出すタイプである。しかし、この時だけは違った。もう後がないのであるから、ねばった、というより、ねばるしかなかった。しかし、万策ほぼつきていた。先行きは明るくはなかった。

私のもう一人の師匠、最初の師匠でもある北村幸彦先生から教えてもらった、ある実験がうまくいかなかった時にどうするかについての格言がある。「毎日やれ」というのである。どう考えても非科学的である。なにしろ、だめでも毎日繰り返せ、というのであるから、ほとんど精神論である。しかし、不思議なことに、毎日やっているうちに、できない実験ができるようになることもままあるのである。あいかわらず小さなコロニーしかできない。しかし、神様に励まされながら、1993年3月、36歳の誕生日をすぎても、同じ実験を毎日繰り返していた。そして、5月のゴールデンウィーク、コロニーが巨大に育った。うれしかった。

そのころ、細胞培養をおこなう培養室と、それ以外のことをする研究室はずいぶんと離れていた。片道500mくらいあって、キャンパスの内外を、信号を含めて5回曲がらなければ行けなかった。その道を毎日、自転車で何往復もした。そのとき、毎回、手を放したまま乗っていけるかどうかのトライアルをしていた。残念ながら、一度も手放しのままで行き着くことはできなかった。後年、細胞工学という雑誌に、そのときの想い出を「自転車乗りの夢」というタイトルで書いた。手放しで走りきる夢はかなえられなかったけれど、ES細胞からの血液産生システム−OP9システム−はうまくいって、その研究を続けている、という内容である。

このOP9システムという方法は難易度の高い実験法である。最初のうちは、なかなか他の研究室で追試がきかず、一部では仲野の論文は怪しいのではないかと言われたことさえある。しかし、後に、すぐれた方法として、造血研究をおこなっている研究者にあまねく知られるようになった。自慢するようであるが、できるとわかっていてもなかなか難しいような方法論を、できるかどうかわからないのに、よく確立できたものだと思う。36歳の誕生日の少し後、神様は、そろそろ微笑んでやろう、と決心してくれていたに違いない。

2012年 4月

ページの先頭へ