大阪大学大学院 医学系研究科 病理学 幹細胞病理学/大阪大学大学院 生命機能研究科 時空生物学 病因解析学
Department of Pathology, Medical School and Graduate School of Frontier Biosciences, Osaka University

なかのとおるのつぶやき

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夢を持つ

入試の面接試験、おきまりとして、阪大医学部を志望した動機を聞く。ほとんどが、祖父の死だとか自分の病気だとかをきっかけにあげる。中には、「成績が良くて周囲に薦められたから」とか、ウルトラ正直ベースの答えがあってもよさそうであるが、聞いたことはない。もし「特に理由はないんですけれど、子どもの頃から、なんとなく阪大医学部にはいりたいと夢見ていたんです」とか言われると、他の先生は知らないけれど、少なくとも私は、動機としてオッケーじゃないの、と思ってしまう。

夢というのは、かなってこそのものなのだろうか、それとも、かなわぬこそのものなのだろうか。あまりに具体的な夢や、あまりに突拍子もない夢に突進するというのは、本人はともかく、周りから見ると、痛々しかったりもの悲しさが漂ってしまったり、時には笑えてしまうこともある。しかし、いつかこうなりたい、こうしたい、という漠然とした夢を持つのは持たないよりもずっといい。

30年近く前、堺の市立病院に勤めていたころ、Bloodという雑誌を読むのが楽しみだった。Bloodというのはその名が示すとおり、アメリカ血液学会(ASH)が発行する血液学の専門誌である。かけだしの内科医、血液内科学を志す内科医であったわたしは、船便のせいか、いつ届くのかいまひとつわからない、少し血の色のような表紙の雑誌が届くのを毎月待ちわびていた。論文を書いたことも研究をしたこともなかったけれど、少し背伸びして、よくわかりもしない論文を読みながら、いつか、こんな雑誌に論文を書けるようになれたらいいのにと夢見ていた。

そんな生活も一年あまりで終わり、ふとした機会から、大学で血液学の基礎研究を始めることになった。最初に手がけた研究は信じられないくらい幸運に恵まれて、わずか一年ほどで、かつては野口英世がたくさんの論文を書いた、ロックフェラー大学が出版する由緒ある雑誌、Journal of Experimental Medicine に掲載することができた。雑誌の「格」からするとJournal of Experimental Medicineの方が上なのであるが、私にとっては、その処女論文よりも、4年後にBloodに論文を出せた時の方がずっとうれしかった。漠然とした夢というのは、記号化されたような価値観とは少しずれて、自分にしかわからないこっそりとした喜びをもたらしてくれるのである。

それから10年、予想もしなかったことであるが、アメリカ血液学会から、Bloodの編集委員の一人にならないかという依頼の手紙が来た。何十人もいる編集委員のひとりなのだから、たいしたことがないといえばない。しかし、この時は心から喜びを感じることができた。そのころ、日本からは、同級生の冨山くん(阪大附属病院輸血部長)と私の二人だけが委員であったのも、なんだか妙にうれしかった。二人して、サンディエゴで開かれた編集委員会とパーティーに出席した時、あの病院のさむざむとした図書室からきた20年ほどの道のりを思うと、ちょっとかっこよすぎるかもしれないけれど、ようここまで来たなぁと、ほんとうに万感胸にせまるものがあった。

今月号の文藝春秋に、NHK朝ドラ「カーネーション」で大人気を博している尾野真千子が「夢は先に見るものではなくて、あとからついてくるもの」と語っていた。これは「かなってこその夢」派の考えだろう。くだらないものもふくめて、夢らしきものはたくさんあったし今もある。かなったものもあれば、いつまでもかなうべくもないものもある。人知れず「あぁ、これでかなったなぁ」と、こっそり喜べるかもしれない夢を、前を向いたまま、できるだけたくさん抱えていたい。

2012年 2月

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