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神経可塑性生理学研究室〈冨永(吉野)准教授〉

役職 氏名 Email TEL 研究・教育業績
准教授 冨永(吉野) 恵子 06-6879-4662 詳細を見る
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FAX 06-6879-4661
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長期記憶の細胞機構の解明をめざして:研究の目標

 脳の機能の典型的なものの一つが記憶です。記憶は20年前なら 心理学の研究対象でしたが、現在は生物学的なアプローチが可能です。脳の機能は、多数の神経細胞が作るネットワークの中で情報が処理されて実現するわけですが、そのネットワーク内での情報の伝達の効率や経路は遺伝子ですべて決まっているのではなく、経験によって変化することが明らかになってきたからです。神経細胞間の情報伝達は、シナプスという継ぎ目部分で、前の細胞が化学物質(神経伝達物質)を分泌し、後ろの細胞がそれを受けることで行われます。その伝達のようすは一定不変ではなく、使われれば使われるほど効率が増したり、枝分かれして数自体が増えたりするのです。逆に使われなければ効率が落ち、消失してしまうこともあります。これをシナプスの可塑性と呼びます。今のところ、個々の具体的な記憶事象が「脳のどこにあるどのシナプスが変わるために起こる」とまで特定することはできませんが、原理上のことならかなりわかってきています。

  記憶には、あっというまに作られるがすぐに消えてしまう短期記憶と、ずーっと長く保持される長期記憶の2種類があることは、日常の体験で知っていることですが、これらが生物学的には前者が蛋白質の新合成を必要としない既存のシナプスでの変化、後者が蛋白質の合成を必要とするシナプスの新規形成や廃止に対応するということが確からしくなってきています。このうち、短期記憶のしくみは、アメフラシという軟体動物(海岸に住む大きなナメクジ)の神経節やネズミの海馬(大脳の一部)の薄切り切片を 材料にした研究で、分子のレベルまで明らかになっています。2000年度のノーベル医学賞は、そのアメフラシの記憶研究に対して授与されました。小倉も、かつて海馬での研究に参加して、ささやかながらその機構解明に貢献してきました。

 しかし、長期記憶のしくみは、まだほどんど未開拓です。私たちは今その未開拓分野に挑戦しています。この分野が未開拓なのは、短期記憶のアメフラシ神経節やネズミの海馬切片にあたるような 、よい実験材料がまだないためが最大の理由です。世界中の研究者が協力して解析を進められるようなよい実験系ができさえすれば、短期記憶と同じように一気に解析がすすむでしょう。私たちは以下に紹介する培養細胞の系が、その望まれている実験系になると考え、その確立と機構の先行的解明に取り組んでいます。

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図1 培養細胞のSEM

 

 

 

 

 

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図2 培養切片の光顕

1. 活動依存的なシナプス新生と廃止

ラット新生仔の大脳から調製した切片は、十分な酸素と栄養を供給すれば、1 カ月以上生かし続けることができます。脳切片培養といいます。これを使えば、日から週におよぶ長期の現象が追えるはずです。また脳の中にあるのと違って、途中の過程も観察することができます。薬品の投与もできますし、遺伝子発現の操作も可能です。

 この培養脳切片中の神経回路に強い刺激を与えると、その後この回路のシナプス伝達が増強されます。ただし、これは既存のシナプスでの伝達調節で、短期の可塑性に該当します。数時間程度しか増強状態は続きません。ところが、この短期可塑性を繰り返し引き起こすと様相が変わり、何週間も続く増強が実現します。このとき、新しいシナプスが作られていることがわかりました。つまり長期可塑性が成立したのです。このシナプス新生を伴う長期可塑性の成立には、適切な間隔をあけながら3回以上繰り返すことが必要でした。今私たちは、1回目と3回目で何が違うのか、間隔の間に細胞内でどんな反応が起きているのかをつきとめようとしています。

 いっぽう、同じ培養脳切片に別のタイプの刺激を行うと、シナプス伝達が刺激前よりかえって減弱する変化が起こります。これも可塑性の一つの型ですが、刺激が1回だけだと、やはりその効果は短期で、また元にもどってしまいます。ところが、この短期可塑性を3回繰り返し起こすと、こんどは何週間も持続する減弱になりました。そして、この長期減弱にはシナプスの数の減少(シナプス廃止)が伴っていました。

 このように、シナプスの新生と廃止は、ちょうど裏返しのように起こります。これは何を意味するのでしょうか。前者が記憶で、後者が忘却なのでしょうか。あるいは、特定の情報を保存するには、ある回路を強めるいっぽう他を抑えてコントラストをつける必要があるとしたら、新生と廃止は一組で起きて一つの記憶なのかもしれません。私たちは分子的なしくみを知るミクロな方向と、動物にとっての意味を知るマクロな方向と、両方を進めていきたいと考えています。

 

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図3 培養切片中の神経突起先端                           図4 刺激後拡大・ 分枝中? のシナプス 

2. 不活動依存的なシナプス廃止

ラット新生仔小脳から分離した顆粒細胞という神経細胞は、そのままでは培養できず、外から興奮剤(カリウムとかグルタミン酸とか)を与えてはじめて培養できます 。その機構には、「興奮によって細胞内細胞内カルシウムイオン(Ca)濃度が高く維持されていることが生存に必要」とする仮説が行われていましたが、私たちが実測するとそんなことはありませんでした。Caが多く流入するぶんCa汲み出しも多く、トータルは同じなのです。では何が違うかというと、膜直下の局所的なCa代謝とエキソ・エンドサイトーシス活動でした 。おそらく神経栄養因子のような分子の放出と取り込みが盛んに行われているのだろうと考えられます。いっぽう、細胞死も、ただ生存できないから仕方なく死んでしまうというのとは違い、積極的に細胞を死なせる仕組みが働いてこそ起こる現象です。

 この現象自体は細胞全体の生死の話ですが、私たち は個々のシナプスのレベルでも同じことが起きていると考えています。神経細胞の生存を保証する機構は、シナプスの新生や維持に関わる機構と関連があり、神経細胞死を誘発する機構は、シナプスの廃止に関わる機構と関連があると予想しています。

3. グリア細胞の機能

脳は神経細胞だけからできているのではなく、それ以上の数のグリア細胞があります。かつては、グリア細胞には、機械的支持や細胞周囲の環境維持といった下請け的 な役割しか考えられていませんでしたが、最近、神経細胞に発芽を起こしたり生存を 許可したりする信号分子(神経栄養因子と総称します)を合成・放出し、下請けどころではない重要な役割をもっていることが わかってきました。また、グリア細胞どうしの間で盛んに情報交換をしていることもわかってきました。これまであまり研究対象にならなかったグリア細胞に、新たなスポ ットライトを当てようと思います。

研究室のポリシー

小倉研では新しい現象を発見することが第一目標です。科学はみんなそうだろうと思うかもしれませんが、少し違います。100年前の幸福な時代 はいざ知らず、現在は研究者間の分業が進み、現象を発見する人と機構を解明する人とは必ずしも一致しません。上に紹介した短期記憶のすぐれた実験系である海馬短期可塑性(専門用語でLTPという)を例にとると、最初に英国のBlissとLomoが「海馬を高頻度で刺激すると伝達効率が変わる」と現象を発表しました(1973)。その段階では機構はわかりません。機構に手がかりを与えたのは、「ある種の伝達物質受容体は通常不活性だが、高頻度刺激を受けると活性型に変化する」ことを示したMayerとWestbrook(1984)です。また「この伝達効率変化にはCaが必要だ」という現象を発見したのはLynch(1983)で、「Caはその受容体を通って細胞内に入る」ことを示したのは私たち(1986)で、「入ったCaはリン酸化酵素を活性化して伝達効率を変える」ことを示したのはMalinowとMalenka(1989)で、「伝達効率が変わるのは細胞内部に控えていた受容体が表に出てくるためだ」と明らかにしたのはShiと林(1999)です。このように、現象の発見から機構の解明まで25年以上の時間がかかりました。

 さて、私たちは今、長期記憶の研究において、現象論者の立場を とります。この分野の研究は未開拓で、まだ模索段階にあるからです。「これを こう刺激するとこんな風になるよ」という現象の観察・記述自体がまだまだ不足だからです。どれが機構解明に向けて突進すべき本命の現象か、わからない段階だからです。というわけで、小倉研のポリシーは今のところ「犬も歩けば棒に当たる」です。犬が棒に当たるか当たらないかは、犬の歩いた距離に依存します(運にもよるでしょうが)。私たち犬は、自分の目と鼻と手と足を惜しまず使い、自分の現象を見つけてくることが求められます。実のところ、それを「生理学」と呼ぶのであって、何も特別なことをいっているのではありませんが。わん。


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