方位限定環境で育った動物の視覚野細胞は正常よりシャープな選択性を持つ
論文誌情報 | Sci Rep 5, 16712 (2015) |
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著者 | 佐々木耕太(1,2),木村塁(1,3),二宮太平(1,4),田渕有香(1),田中宏喜(1,5),福井雅行(1),朝田雄介(1),新井稔也(1),稲垣未来男(1,2),中園貴之(1),馬場美香(1,6),加藤大典(1),西本伸志(1,2),眞田尚久(1,6),谷利樹(7,8),今村一之(7,9),田中繁(7,10),大澤五住(1,2)
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論文タイトル | Supranormal orientation selectivity of visual neurons in orientation-restricted animals |
PubMed | 26567927 |
研究室HP | 視覚神経科学研究室〈大澤教授〉 |
図1.BlakemoreとCooper(1970)の実験 図2.垂直に限定し...
解説
http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/ohzawa/pdf/0_SasakiSciRep2015-11-17-sumJ01.pdf
要旨
脳の機能は、特に幼少時の生育環境に強く影響を受け、生後も一定の期間発達を続けることにより精密化されることが知られています。45年前のBlakemoreとCooperによる有名な研究は、縦縞(垂直縞)のみに限定された視覚環境で子ネコを育てると、大脳の最初の視覚野である一次視覚野の神経細胞のほとんどが、垂直付近の角度(方位)を担当するものだけになり、水平・斜めの線やエッジを受け持つ細胞がほとんどなくなることを示しました。しかし、単に同じ垂直を担当する細胞ばかりになると、脳内の情報表現は冗長になってしまいます。本研究は、一次視覚野細胞の担当する方位角度の分布が影響を受けるだけでなく、個々の細胞の他の特性も冗長性を減らすように変化して、正常な状態よりシャープな選択性を持つようになることを発見しました。正常な視覚環境で育った場合は平均で40度くらいの角度の範囲で細胞が反応しますが、垂直縞環境で育った動物ではこれが28度と有意にシャープになっていました。したがって、垂直縞環境で育った動物は、角度の小さな違いを見分ける能力が向上していると予測されます。この結果は、視覚系の神経回路が特異な環境下であっても高度に情報表現を最適化する機能を持っていることを示しています。
なお、この研究は、大阪大学大学院生命機能研究科の大澤研究室と理化学研究所脳科学総合研究センターの田中繁チームの共同研究として、約10年前に開始されました。
研究の背景
動物の脳には、環境に応じて神経回路や細胞の特性が変化する性質、すなわち「可塑性」があります。特に生後間もなくの一定期間は、この順応能力が非常に高く、「臨界期」と呼ばれます。脳は臨界期に外界からの多様な刺激を受けながら神経回路のファインチューニングを行うことで、高い視力や高度な判別・認知能力を獲得します。逆に、この時期に外界から正常な刺激を受けられないと正常な発達が妨げられ、特殊な入力に適応した神経回路ができあがります。臨界期が終わると、もう神経回路の状態は正常には戻らないことが知られています。例えば視覚系では、弱視と呼ばれ、どんなにメガネやコンタクトレンズで光学的に矯正しようとしても、片方の眼の視力が上がらない症状があります。何かの理由で、2つの眼への正常な刺激が行われなかったことが、その原因の1つとされています。網膜像は完全で視神経が伝える信号も正常なのに、眼から入ってくる詳細な情報を処理する大脳の神経回路がうまく形成されなかったからだと考えられます。
こうした可塑性の研究の中でも、視覚について有名な研究結果が1970年にBlakemoreとCooperにより発表されました。図1左のように、縦縞(垂直縞)に限定された視覚環境で動物を育てると、大脳で最初に視覚入力を受け取る領野である一次視覚野の神経細胞が、垂直の線やエッジを担当するものばかりになってしまう(図1右)という結果です。これに対し、正常な環境で育てられた動物の一次視覚野では、垂直だけでなく水平や斜めを含め、全ての角度(方位)を担当する細胞がそろって発達します。つまり、垂直縞のみの視覚環境では、水平や斜めの方位を担当する細胞は不必要とされ、大多数の細胞が垂直を担当するようになります。これは、臨界期に脳が垂直縞だけという視覚環境に適応してしまった結果です。以後、この結果は多くの研究者とさまざまな手法により確認されました。
しかし、視覚環境が神経回路の発達に与える影響はこれだけでいいのでしょうか? 細胞が垂直担当だけになるという状況は、例えば、ある会社が10地区の営業担当のため10人を確保したのに、突然営業区域が1地区だけになり、それを10人全員で担当することに似ています。同じ役割を持つ人が10人もいては、混乱は避けられないでしょう。脳の話に戻れば、これは情報表現の冗長性の問題です。同じ情報を伝える神経細胞ばかりになるのは無駄であり効率が悪く、多くの点で効率的にできている脳は、細胞の特性の別の側面を変化させて対処する可能性が考えられます。
このように、神経細胞は個々の担当する方位角度が決まっていますが、担当する方位にはある程度の幅があります。正常に育ったネコの一次視覚野では、細胞に最適な方位±20度くらいの範囲の角度(半値幅、すなわち最大の反応の半分以上の強さで反応する範囲)であれば反応します。このことから、例えば1つの営業地区をさらに細分化して10人で分担するように、垂直に限定された視覚環境で育った動物では個々の細胞が担当する方位角度の範囲を狭めて、よりシャープな選択性を持たせるような最適化が行われているのではないかと考えられました。
本研究では、大澤研究室が得意とする工学的な計測手法を駆使して細胞の特性を精密に調べることにより、この仮説が正しいことを発見し、脳が冗長性の問題も含めて視覚環境への神経回路の高度な最適化を行っていることを示しました。
研究の解説
【垂直に限定された視覚環境】
垂直に限定された視覚環境は、生後3週齢の動物に円柱を半分に切った形状のレンズを両眼の前に装着することで作成しました(図2a)。このレンズは水平線方向については板ガラスと同じですが、垂直線方向には強い凸レンズのため光線が乱されます。図2b左のような画像をこのレンズを通して見ると、垂直の凸レンズで乱されても影響を受けない垂直の枝や桜の花の茎だけが残ります。こうして、動物が頭を傾けたり横になったりしても眼球に対して垂直に限定された画像が眼に入ります。
【受容野の形】
このような視覚経験を6週間以上動物に受けさせ、研究室で開発した計測手法により、個々の細胞の視野である受容野(一次視覚野)を測定しました。その結果が図3aです。各細胞が反応する方位の小さな縞模様パッチをいろいろな場所に提示し、細胞の応答を計測した結果を3つの細胞について示しています(赤〜茶色が強い反応;正方形の枠の右上にある刺激のイメージ参照;正方形枠の下のスケールバーは視野角5度)。左2つの細胞は、最適方位がほぼ垂直の細胞です。この2例では、受容野の形自体が垂直に長く伸びています。このように、受容野の形状が視覚経験で受けた刺激の方向に伸びることが、今回初めて明らかになりました。一方、垂直縞に限定した視覚環境で育った動物の脳に、水平や斜めの方位が最適である細胞もないわけではありません(とても少ないですが)。その一例が図3右端の細胞です。受容野はほぼ円形で特定の方位への伸びは見られません。
【方位選択性と空間周波数選択性】
図3bでは、さまざまな方位と空間周波数(縞模様の細かさ)を持つ刺激を提示して、強く細胞が反応した方位と空間周波数を求めた結果を図3aと同じ3つの細胞ついて示しています。円形の領域は極座標表示になっており、原点回りの角度が方位を表し、原点からの距離が空間周波数です。細胞が反応する方位角の範囲(半値幅)がくさび状の角度で表示してあります。垂直を好む左2つの細胞では、この方位の幅が非常に小さく、水平を好む右端の細胞では広くなっています。
【正常よりシャープになった一次視覚野細胞の方位選択性】
正常に育った動物の一次視覚野細胞は、平均で最適な方位±20度くらいの範囲の角度(半値幅)の刺激に反応します(40.5° ± 20.9°; 平均 ± 標準偏差)。これを方位選択性のバンド幅と呼びます。多くの細胞の選択性をまとめて平均像を見るため、各細胞の最適方位をゼロに合わせ、最適空間周波数を1.0に正規化します。それが相対方位と相対空間周波数の意味です。細胞が反応する方位のバンド幅は垂直、斜め、水平のどの方位を好む細胞でもほとんど同じです(図4左下; n=249)。また、空間周波数についても、ほとんど同じであることが、3つの方位別カーブがほとんど重なることからわかります。
これに対し、垂直縞に限定した視覚環境で育った動物の脳では、図4左上に示すように、垂直付近を好む細胞の方位選択性のバンド幅(赤色のカーブ)が27.6° ± 17.7°(n=102)と、正常より有意に(p < 0.001)シャープになっていました。逆に、少数の垂直以外の方位を好む細胞では、方位選択性のバンド幅(淡青色のカーブ)は、正常な場合より広くなっていました(52.6° ± 25.5°, n = 44)。
研究の意義
網膜の視細胞は、網膜像の1ピクセルの光の明るさを神経信号に変換しますが、線やエッジの傾き(方位)に選択性はありません。したがって、一次視覚野細胞の方位選択性は情報処理のために神経回路による計算で作り出された性質です。特殊な視覚環境で育つと、このような脳内計算による機能は一般に阻害されますが、ある特化した機能に関しては正常時より良くなる場合もあることが、今回、明らかになりました。このことから、角度の小さな違いを見分ける能力が向上すると理論的に予測されます。最近、さまざまな視覚認識のための深層学習(deep learning)に基づく人工ニューラルネットの実用化が進んでいます。本研究が発見した神経回路の高度な最適化は、コンピューターによる視覚の研究の示唆ともなる成果です。
図1.BlakemoreとCooper(1970)の実験

図2.垂直に限定した視覚環境を作る:シリンダーレンズの光学的効果

図3.視覚刺激呈示により個々の一次視覚野細胞の受容野と選択性を測る

図4.正常よりシャープになった一次視覚野細胞の方位選択性
