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ストレスがシナプス可塑性に及ぼす長期的影響を評価する新たな系の樹立

論文誌情報 Sci Rep 6, 19287 (2016)
著者 齋藤慎一(1),木村聡志(1),安達直樹(2),沼川忠広(2),小倉明彦(1),冨永(吉野)恵子(1)

  1. 大阪大学大学院生命機能研究科
  2. 国立精神・神経医療研究センター
論文タイトル An in vitro reproduction of stress-induced memory defects: Effects of corticoids on dendritic spine dynamics
PubMed 26765339
研究室HP 神経可塑性生理学研究室〈冨永(吉野)准教授〉

要旨

ストレスが脳機能に長期にわたって影響を及ぼし、さまざまな障害をもたらすことは、臨床的にも動物実験でもよく知られています。しかし、その細胞レベルの機構は、よいモデル実験系がなく、未解明に近い状態でした。本研究室では先年、長期安定培養下にある脳切片に、LTP (Long Term Potentiation)というシナプス伝達の短期強化を繰り返し誘発すると、シナプスの新生を伴う長期持続的な強化に変換されることを発見し、この長期強化現象(RISEと命名:Repetitive LTP-Induced Synaptic Enhancement)を記憶の固定過程のガラス器内再現と見なして解析を行ってきました。

今回、ストレスを実験的に模擬する方法として一般的な、糖質コルチコイド(いわゆるストレスホルモン)投与をマウス海馬培養切片に行うと、この長期強化が阻害されることを確認しました。つまり、ストレスが記憶の固定を妨げる状況を再現したと考えられます。培養系は長期追跡が可能ですので、この実験系は、ストレスの長期的影響の細胞レベルでの解析や、ストレス障害の新しい予防・治療法の開発に役立つと期待されます。

なお、この研究は大阪大学・生命機能研究科、小倉研究室の齋藤慎一院生らと国立精神・神経センターの沼川忠広博士(現・熊本大)・安達直樹博士(現・関学大)との共同研究として行われ、論文は2016年1月14日Scientific Reports誌に発表されました(doi: 10.1038/srep19287)。

解説

研究の背景

動物の脳が、経験によって神経回路を通る情報の流れを調節し、変更することを「可塑性」といいます。記憶・学習はその代表的な例ですが、他の脳機能にもその基盤にこの調節能力が働いています。行動レベルの記憶に、即時に情報を取り込む「獲得」の相と、その情報を長期に(場合によっては一生)保存する「固定」の相との、少なくとも2つの相が想定されますが、これに対応するように、細胞レベルの可塑性には、既存のシナプスが即時に伝達効率を調節して情報流路を変更する「短期可塑性」と、その変更をシナプス自体の新生や廃止などを含む構造的な変化によって固定する「長期可塑性」との、少なくとも2つの相があります。前者には、LTP(長期増強:長期の名がついていますが、数時間~日オーダーの伝達効率増強です)という優れたガラス器内実験系があり、1970年代からの研究で、すでに分子機構の詳細まで解明されていますが、後者にはよいガラス器内実験系がなく、解析が進んでいません。

当研究室は、その長期可塑性(構造可塑性)の解明を目指して、まずモデル系の構築から始めました。2002年、冨永博士は齧歯類脳の薄切切片を長期培養した標本に、LTPを繰り返し誘発すると、LTP自体は消失したあとにゆっくりとシナプスの数が増え、その後数週間以上にわたって伝達強化状態が続くことを発見し、この構造可塑性現象をRISEと呼んで、これを現象面と機構面から多角的に解析し、RISEが活動依存的な長期持続的構造可塑性現象、つまり「記憶の固定相のガラス器内再現」であるという確信を深めてきました。

さて、ストレスは、脳に対して多くの短期的・長期的影響を及ぼしますが、動物にはストレスを緩和したり補償する様々な恒常性維持機構が備わっているため、動物個体を使った実験では、ストレス負荷で表れた応答が、そのストレスの直接作用なのか、むしろ補償機構の作用なのか、区別するのが困難でした。したがって報告が錯綜しています。しかし、ガラス器内の系では、そうした生体恒常性機構の二次的影響を排除して議論することができます。そこで、RISEを利用すれば、ストレスの記憶固定過程への直接的かつ長期的な影響を検討できる(培養脳は長期維持・解析が可能)と期待されます。


研究の解説

【RISEとは何か】
「記憶を細胞レベルで研究」というと、「LTPの研究ですか」と答えが返ってくるほど、LTPとは、有名な現象です。齧歯類の海馬(大脳皮質の一部)薄切標本で、入力線維に電気刺激を与えると、たとえば1mVくらいの反応がとれます。それが安定していることを確認した上で、一瞬の高頻度刺激(たとえば100Hz×1秒間)を行うと、その直後から反応が2mVくらいに増します。これは、細胞内に貯蔵されていた受容体分子がCaの働きで表面に出て数を増すために起きる現象であることがわかっています。「長期」というのは、それ以前に知られていた数秒間の強化よりも長く持続することを指した名で、実際にどのくらい長く持続するかは、標本自体が数時間しか保たないのでわかりません。そこで冨永博士は、新生仔海馬の切片を培養した標本を用いてLTPの持続時間を調べたところ、24時間未満しか保ちませんでした。ところが、LTPを繰り返し3回以上起こす(3~24時間の間隔が必要)と状況が一変し、数日間の「潜伏期」の後、数週間以上持続する強化が起きたのです。この強化はシナプス新生によるもので、LTPとは別の現象です。つまり、シナプス伝達の強さSを、シナプスの数N×個々のシナプスの伝達効率Eと表せば、LTPは既存のシナプスで即時に起こるEの増大、RISEは時間をかけて起こるNの増大による強化現象です(図1)。(培養に新生仔を使うのは、神経細胞がまだ線維を伸ばしておらず、切片にしても傷を受けにくいためで、神経細胞は培養下で遺伝的プログラムに従って本来の回路が完成します。)

【糖質コルチコイド(GC)によるRISEの阻害】
副腎皮質ホルモンには糖質コルチコイド(GC)と鉱質コルチコイド(MC)があり、重いストレスをつくるのはGCとされています。そこで人工GCであるデキサメタゾン(Dex)を、3回目のLTP誘発の12時間後から24時間投与しました。投与を遅らせたのは、DexがLTP自体に影響してしまっては意味がないからです。すると、RISEが起こらなくなりました(図2;2週間後に伝達強度を比較した)。また、GC自体にシナプスを減らす作用はみられませんでした(過去に「減らす」とした論文もありましたが)。なお、Dexの効果はGC受容体阻害薬で打ち消されましたし、MCであるアルドステロンはRISEを抑えませんでした。

【GCはRISE生起のどの段階を阻害するか】
最近、RISEの際シナプスがどのようにして増えていくかライブ観察したところ、もともとシナプスは出芽したり退縮したりの平衡状態にあるのですが、まず「潜伏期」には出芽と退縮の両方が増し(だから総数は増えない)、ついで退縮率が先に刺激前水準に戻るために総数が増え、やがて出芽率も戻って新しい平衡状態に至るという、「ゆらぎ原理」に従った経過をとることがわかりました。では、GCはRISEを生起させる「ゆらぎ過程」のうち、どの段階に干渉するのでしょう。1個1個のシナプスを追跡したところ、「ゆらぎ平衡」には干渉しないが、「ゆらぎ増大」の発生を抑えることがわかりました(図3;定量的なデータは論文参照)。


研究の意義

ストレスが、記憶の獲得過程を阻害する仕組みは、記憶獲得過程のガラス器内再現とみなせるLTPをGCが阻害することを利用して解析されています。しかし、長期の影響については解析されていませんでした。それに対して、今回、記憶の固定過程の再現とみなせるRISEをGCが阻害したので、今後これを利用して解析ができるでしょう。

上記の「ゆらぎのどこに干渉するか」も、そうした解析応用例の一つです。また、RISE生起にBDNF(Brain-Derived Neurotrophic Factor:脳由来神経栄養因子)というサイトカインが関わっていることがわかっていますが、ストレス障害患者の脳でBDNFの量が減っているという報告もあります。この系で、GCがBDNFの何に干渉するのか(合成?分泌?受容体?受容体以降?)調べることができますから、この系はストレス障害の治療法の開発や試験に有力な手段になるでしょう。

新生仔脳から摘出して培養下で発達・成熟させた培養切片は、成体脳からの急性切片で起こる反応をすべて起こせますし、何よりも数週間~数か月の長期観測が可能です。また、生理学・薬理学・形態学・生化学・遺伝学などの多くの実験手法を適用できるという利点もあります。副次効果として、急性切片実験は、1日の実験に動物を1頭ずつ使って標本を用意しなくてはなりませんが、培養はあらかじめまとめて作っておけば、毎日すぐに使えますし、使用動物数も節減できます。

図1.シナプス強度(S)=シナプス数(N)×個々のシナプスの伝達効率(E)と表せば、LTPはEの増大によるSの増大、RISEはNの増大によるSの増大である。

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図2.

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図3.

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