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顔の特徴を伝える2つの脳内過程

論文誌情報 J Neurosci 31, 10371-79 (2011)
著者 稲垣未来男,藤田一郎
論文タイトル Reference frames for spatial frequency in face representation differ in the
temporal visual cortex and amygdala
PubMed 21753014
研究室HP 認知脳科学研究室〈藤田教授〉

解説

概要

 顔は社会生活を営む私たちにとって大事な視覚情報です。顔を見て何千人という人を見分け、また、相手の意図、感情、体調、注意の方向を知ることができます。顔の視覚情報処理に関わる多くの脳部位に、顔を見た時に強く反応する顔反応性細胞と呼ばれる神経細胞が存在しますが、これらの細胞が顔の視覚的特徴をどのように伝え、どう顔認識に関与しているのかは、よく分かっていません。本研究では、顔や物体の認識に重要な役割を果たす大脳の側頭葉皮質と、感情や情動に関与する扁桃体に注目して、これらの領域の顔反応性細胞が伝えている情報の特徴を調べました。
 その結果、側頭葉皮質細胞は、「顔自体」が持つ「像の粗さ-きめ細かさ」(空間周波数)の情報を伝えているのに対して、扁桃体細胞は、「網膜に映った像」の空間周波数情報を伝えるものが多いことがわかりました。顔自体の持つ画像の空間周波数構成はどの距離から見ても変わることはありません。一方、網膜像の持つ空間周波数構成は顔を見る距離によって変わります(遠くの顔は網膜に小さく映り、顔の構成は細かく投影されます)。すなわち、側頭葉皮質細胞は距離によらずに顔を認識するのに役立ち、一方、扁桃体細胞は顔画像から相手との距離を算出するのに役立つと考えられます。顔の大きさへの感受性という点で、顔の特徴を伝える方式が側頭葉皮質と扁桃体で異なることが明らかになりました。
 今回の発見は、顔の視覚特徴の脳内情報処理過程の理解を進めると同時に、顔の画像データや動画データの効率的で目的に合った容量圧縮方法の開発といった情報通信の分野での応用につながると期待されます。
 本研究は、科学研究補助金(17022025)、科学技術振興事業団CREST、阪大/NICT/ATR脳情報通信融合研究の援助で行われました。

背景と経緯

 私たちは毎日の生活の中で頻繁に顔と顔をつき合わせてコミュニケーションをとります。言葉の通じない相手やしゃべることのできない赤ん坊とでさえ、顔の認識を通じてコミュニケーションをとることができます。顔に含まれるさまざまな視覚情報の中から、どのような特徴が選ばれて脳内で利用されているのかを知ることは、こうしたコミュニケーションを支える神経メカニズムの理解を進める上で重要です。さらに脳の視覚情報処理で必要とされている顔の特徴が分かれば、情報通信の分野での応用につながる可能性があります。

内容

 顔の視覚情報処理には多くの脳部位が関与しています。本研究では、顔を含めた物体像の認識全般に重要な役割を果たす大脳側頭葉皮質と、表情や他者との距離感の認識に関与する扁桃体に注目して、顔のどのような特徴が神経細胞によって伝えられているのかを調べました。(図1)
 脳内の神経細胞は電気的な信号である活動電位を発生させて、他の神経細胞へ情報を伝えます。そこで脳内に微小な電極を刺入して活動電位の発生頻度を計測して、神経細胞の反応を調べました。実験では、顔に画像処理的な操作である空間周波数フィルタリングを加えて、それぞれが異なる特徴をもつ複数の顔画像を作成しました(図2上段)。低い空間周波数成分のみを含む場合は全体的にぼやけた画像となるのに対して、高い空間周波数成分のみを含む場合は輪郭が強調された画像となります。さらに顔の大きさも変化させました(図2下段)。異なる空間周波数成分をもつ顔をさまざまな大きさでニホンザルに見せながら、どのような空間周波数成分と大きさの組み合わせに対して神経細胞が反応を示すのかを調べました。
 実験の結果、側頭葉皮質細胞は、顔の大きさが変化しても、ある特定の空間周波数成分に対して反応を示し(図3左)、扁桃体の神経細胞では顔画像が大きくなるにしたがって反応を示す空間周波数成分が高くなる傾向があることがわかりました(図3右)。
遠いところにいる相手の顔は小さく見えますが、距離が縮まるにつれて顔も大きく見えるようになります。つまり、対面している相手との距離を反映する顔の大きさと神経細胞が伝えている顔の特徴の間に相互作用があるかどうかという点で、側頭葉皮質と扁桃体に違いがありました。本研究により、異なる認知機能に関わる2つの脳部位で顔の特徴を伝える方式に違いがあることが明らかになりました。

今後の展開

 本研究の結果は、脳内での顔の視覚情報処理が1つの神経メカニズムだけで担われているのではなく、異なる情報処理方式をもつ複数の神経メカニズムによって並列的に行われていることを示しています。これら複数の神経メカニズムの詳細を明らかにしていくことが今後の重要な研究課題です。さらに今回の研究結果は情報通信の分野へも示唆を与えます。顔の画像データや動画データから、脳の視覚情報処理に必要とされている特徴だけを取り出して利用できれば、データ容量の圧縮が期待できます。顔の特徴を伝える方式が脳部位によって異なるという今回の結果は、どの脳部位、そしてどのような認知機能に働きかけたいのかという目的を明確にして圧縮方法を開発する必要があることを示しています。

キーワード

【顔反応性細胞】
 ヒトやサルの顔を見せたときに強い反応を示す神経細胞。顔反応性細胞の多くは、顔から色の情報を取り除いたり、顔を線画で表現したりしても反応を示します。したがって、単純な色情報やテクスチャ情報を伝えているのではなく、顔の部品が顔らしく位置されてできた顔の画像パターンを伝えていると考えられています。

【側頭葉皮質】
 側頭葉皮質の視覚連合野の神経細胞は、どのような視覚刺激に対しても反応するわけではなく、少数の物体像に対してのみ選択的に反応を示します。また、網膜上での物体像の位置が多少ずれても変わらずに反応を示します。このような性質は、さまざまな視覚条件下で特定の物体を認識するために有用であることから、顔も含めた物体の認識に側頭葉皮質が重要な役割を果たすと考えられています。

【扁桃体】
 側頭葉の内側部に位置する扁桃体は、視覚や聴覚など複数種の感覚情報を受け取って、それらの意味や価値を判断して行動に役立てます。また、ヒトの脳損傷患者を対象とした近年の研究によって、顔の目の部分に注意を向ける能力や他者との距離感の認識といった、さまざまな認知機能への扁桃体の関与が示唆されています。

【脳情報通信融合研究】
 大阪大学と情報通信研究機構(NICT)は、脳機能に関する研究成果を情報通信技術の発展に積極的に役立てるために、平成21年1月7日、「脳情報通信分野における融合研究に関する基本協定書」を取り交わし、脳情報通信融合研究を始動しました。その後、BMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)技術で世界的に著名な株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR)も加わり、産官学による融合研究を開始しました。

図1.
側頭葉皮質と扁桃体

inagaki-fujita-1.jpg 本研究では、大脳の側頭葉皮質(特に前方部)と扁桃体から神経細胞の活動を記録しました。左図は大脳を左側面からスケッチした図、右図は核磁気共鳴画像(MRI)の冠状断面図(正面を向いて輪切りにした図)です。側頭葉皮質は青色、扁桃体は橙色で示しています。扁桃体は側頭葉皮質の内側部に位置しています。

図2.
実験で使った視覚刺激用の顔画像

inagaki-fujita-2.jpg 上段は、異なる中心空間周波数をもつ帯域通過型空間周波数フィルタを適用した顔画像です。低い空間周波数成分だけを含む左端の顔画像は全体的にぼやけている一方で、高い空間周波数だけを含む右端の顔画像では輪郭線のみが強調されています。下段は、画像の大きさを変化させた顔画像を示しています。実際には、7つの中心空間周波数と5つの大きさを組み合わせた合計35枚の顔画像を実験に使いました。

図3.
神経細胞の反応例

inagaki-fujita-3.jpg 左列が側頭葉皮質の代表的な神経細胞の反応例、右列が扁桃体の代表的な神経細胞の反応例をあらわしています。上段の図では、顔画像の空間周波数を横軸に、反応の強さを縦軸にとり、異なる画像の大きさでのデータはシンボルと色を変更して表示しています。下段の図では、上段の図と同じデータをもとにして、空間周波数を横軸に、画像の大きさを縦軸にとった平面上で、反応の強さを色で表現しています。側頭葉皮質の神経細胞では強い反応を指す黄色の領域が縦方向に伸びているのに対して、扁桃体の神経細胞では斜め方向に伸びています。反応のパターンが2つの神経細胞で異なることが分かります。

動画.
顔の特徴が大きさによって変化しない例(左)と変化する例(右)



動画の1フレーム目(小さな顔)では、左右の顔は同じようにぼやけていますが、顔が大きくなるにつれて左右の顔の特徴に違いが出てきます。動画の最後のフレーム(大きな顔)を見ると明らかなように、左の顔が変わらずにぼやけているのに対して、右の顔では輪郭がはっきりとしてきています。側頭葉皮質の神経細胞は、動画の左の顔のように大きさに関係なく顔自体のもつ空間周波数情報に対して反応します。一方、扁桃体の神経細胞は、右の顔のように顔が大きくなるとより高い空間周波数情報(きめ細やかな情報)に対して反応を示すようになります。