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運動の学習は「背景」次第で速くなったり遅くなったり

論文誌情報 J Neurosci 33, 7595-7602 (2013)
著者 内村元昭(1,2,4),北澤茂(1,2,3,4)
  1. 大阪大学大学院生命機能研究科
  2. 大阪大学大学院医学系研究科
  3. 脳情報通信融合研究センター(CiNet)
  4. 順天堂大学大学院医学系研究科
論文タイトル Cancelling prism adaptation by a shift of background: a novel utility of allocentric coordinates for extracting motor errors.
PubMed 23616564
研究室HP ダイナミックブレインネットワーク研究室〈北澤教授〉

解説

 大阪大学大学院生命機能研究科の内村元昭特別研究学生(順大医・博士課程4年)と北澤茂教授は、目標に手を伸ばす運動を学習する時に、背景のどこに目標があるのか、という背景を基準にした情報を私たちの脳が活用していることを発見しました。本成果は、運動学習に「背景座標系」が用いられていることを示すだけでなく、目を動かしても外界が揺れない理由など、脳が外部世界を認知するメカニズムの解明にもつながることが期待されます。



研究の背景

 私たちは標的となる物体に簡単に手を伸ばすことができます。実験室では無地の背景に標的だけを表示することが多いのですが、現実の世界では標的となる物体の後ろには必ず「背景」が広がっています。私たちの脳は、目標とする「物体」だけを見ているのでしょうか。それとも「背景のどこに物体があるのか」という背景を基準とした情報も活用しているのでしょうか。従来の研究でも、標的を消して2秒以上待ってから手を伸ばす、という不自然な実験条件では、背景の存在が役立つことが知られていました(図1左)。しかし、すでに存在しない「標的」に手を伸ばすことは現実世界では全く意味がありません。私たちは、動く可能性がある標的に手を伸ばすときに生じた誤差が「自分が間違えた」せいなのか、「標的が動いた」せいなのかを区別するのに背景が役立つ、という新しい仮説を提唱しました(図1右)。もう少し具体的に言うと、手を伸ばし始めたときに目標があった場所を背景を基準に覚えていて(点線の丸)、その背景内での場所と手が到達した場所の差を運動誤差として運動学習に利用しているのではないか、という仮説です。もし、この仮説が正しければ、運動中に背景を動かすことで、「運動誤差」を大きくしたり、小さくしたりすることができるはずです。「運動誤差」を小さくする方向に背景を動かせば、運動学習が進まなくなります。一方、「運動誤差」を大きくする方向に背景を動かせば、運動学習が促進されるはずです。私たちは、運動学習の一種である「プリズム順応」(注1)を使ってこの予想を検証しました。



研究の成果

 背景の四角い枠を動かさない場合(左)に比べて、運動誤差を小さくすると予想される方向に枠を動かしたときは学習が進みにくくなり(中央、ゆっくりとした誤差の減少と小さな残効)、運動誤差を大きくすると予想される方向に枠を動かしたときは学習が促進される(右、はやい誤差の減少と大きな残効)ことがわかりました(図2)。つまり、私たちは「背景」を活用して運動の誤差を計算しているのです。


 我々が日常生活で手を伸ばして物を取るときは、目や頭も自由に動きます。つまり、標的の位置は、網膜の上でも動くし、頭に対しても動きます。標的がもともとどこにあったのか、を覚えておくには目の位置や頭の位置を考慮する必要があると考えられてきましたが、これは簡単なことではありません。背景を基準として標的の位置を記憶するという方法は、目や頭の動きに影響されない賢い方法であるといえるでしょう。何気なく物に向かって手を伸ばすたびに、背景のどこに目標があるのか、という背景を基準とする情報が無意識のうちに使われているのです。



今後の展開

 私たちは1秒間に3回も眼を動かしています。眼が動くと、眼の網膜の像はカメラの「手振れ」のようにぶれますが、通常そのようなぶれには気づきません。本研究で明らかにした背景座標系を使えば、背景を基準にして目を動かす前後の網膜像を簡単に統合することができるはずです。今回の発見は、運動学習にとどまらず、「目を動かしても世界が動かないのはなぜか」という外部世界の認知にかかわる歴史的な大問題の解明にも直結すると考えています。背景座標系は脳のどこにあるのか、という神経メカニズムの解明も並行して進めていく予定です。





プリズム順応:
目標に対して、プリズムなしの状態では正確に手を伸ばすことができます(左)。一方プリズムで視野をずらすと、初めは虚像に手を伸ばしてしまいます(中央)。しかし、試行を繰り返すと徐々に誤差が減って、20試行程度でだいたい目標に手を伸ばすことができるようになります。その後プリズムを外すと、今度は視野をずらした方向とは反対方向に誤差を生じます(右)。この反対方向の誤差を残効と呼びます。残効の大きさを順応の定量的な指標として用います。



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図1.背景の役割の新仮説
左: これまでの研究では、標的を消して2秒以上待ってから手を伸ばす、という不自然な実験条件で、「どこに行くか」の記憶には役立つことが知られていました。
右: 私たちは、動く可能性がある標的に手を伸ばすときに生じた誤差が「自分が間違えた」せいなのか、「標的が動いた」せいなのかを区別するのに背景が役立つ、という新しい仮説を提唱しました。

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図2.背景の移動によるプリズム順応の加速と減速
縦軸が誤差、横軸が試行回数を表しています。移動なし(左)ではプリズムで視野をずらしたことで生じる誤差は徐々に減少していき、プリズムをなくすと(61試行目以降)反対方向への誤差が認められます(矢印:残効)。運動誤差を小さくすると予想される方向に枠を動かしたときは学習が進みにくくなり(中央、ゆっくりとした誤差の減少と小さな残効)、運動誤差を大きくすると予想される方向に枠を動かしたときは学習が促進される(右、はやい誤差の減少と大きな残効)ことがわかりました。

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