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卒業生より

基礎生物学研究所<br>形態形成研究部門<br><br>橋本昌和さん<br>平成21年度修了 博士(理学)

楽しく研究を。


基礎生物学研究所
形態形成研究部門

橋本昌和さん
平成21年度修了 博士(理学)  

はじめに

僕は2006年に生命機能研究科の濱田博司先生の研究室(発生遺伝学)に博士後期課程から編入し、4年間吹田キャンパスで過ごしました。

現在は愛知県岡崎市にある基礎生物学研究所の形態形成研究部門でポスドクをしています。

主な研究対象はマウスの個体発生や脳機能です。個々の細胞の極性によってうまれる組織や個体レベルでのダイナミックな変化に興味を持って研究をしています。もともと高校生のときに、生物図説に載っていたカエルの原腸陥入に魅せられてこの世界に入ったので、憧れの仕事(あまり仕事っていう実感はないですが)に就いているということはとても幸せなことだと感じています。

せっかく今回このようなメッセージを書く機会を頂いたのですが、僕は文章を書くのが下手なので、生命機能研究科に入るに至った経緯と阪大での生活についてありのままに書いていこうと思います。

実は僕は一度研究の道をあきらめた人間です。あまりいないかもしれませんが、もし同じような境遇の人がいて、この文章が何かの励みになればいいなと思います。


なぜ生命機能研究科を選んだか。

僕は修士課程まで東京工業大学で過ごしました。

そこがとても好きでしたし、離れたくないと思っていましたが、当時の研究テーマがなかなかうまくいかなかったことや、仲の良かった友達の多くが就職活動をして研究から離れていってしまうのをみて寂しく思い、(血迷って)自分も就職活動を始めてしまいました。

そして修士課程修了後、運良く内定をもらうことのできた地元の鉄道会社で働くことになりましたが、入社直前まで本当に会社に入るかどうかも悩んでいました。

入社後も、やっぱり実験したいという思いや、仲の良かった先輩からの「論文通ったぞ~」という深夜の電話連絡に刺激を受けたりして、やっぱり博士課程に行こうという気持ちが日に日に強くなっていました。

会社では都市開発部門に配属され、阪大吹田キャンパスのすぐ北にある「彩都」という広大な土地に製薬・食品企業や生物系ベンチャー等の研究所を誘致し、それを基盤とした都市開発するというプロジェクトに携わりました。僕が生物系出身ということもあり、どの企業がどういう研究をしていて、こういう企業が集積すればよいサイエンスパークになるのでは、、ということを考えたりと、わずかながら生物の研究に関係する仕事ができました。しかし、実際の業務のほとんどは企業の研究部門の総務課に土地売り営業として回る不動産屋さんでしたので、自分自身の手で実験ができないというフラストレーションからか、なんで自分はこんなことしてるんだろう?という疑問にかられ続けました。結局会社には2年間いましたが、常に気持ちは落ち着きませんでした。

そこで2005年の5月に生命機能研究科の説明会にいきました。真っ先に阪大を選んだのは会社時代に彩都を売り出す特徴として、「北大阪バイオクラスターの中心である大阪大学の近く」というのを唱え続けていたからだと思います。そういう営業活動を通して、医学や生物学に強い大学という印象が僕の脳みそに刷り込まれていたのです。

そして数多くある研究室の中で、高校時代からずっと興味のあった発生生物学というキーワードに魅かれ、フラフラと濱田先生のラボに見学に行きました。その時に「あ、ここいいな」という直感がはたらきました。ラボの雰囲気が学部修士のときに過ごしたラボに似ていたからじゃないかな?と思います。今考えてもあの時の直感はあたっていたなと思います。ラボを選ぶ上で、研究内容はもちろんですが、そこにどんな人たちがいるのかも大事なファクターです。

もちろん他の大学も考えました。時期は忘れましたが京大の生命科学研究科の説明会にも行きました。でも全体説明会だけ聞いて、なんかここは雰囲気ちがうなーと思って、ラボ見学すらせずに阪急電車で大阪に直帰してしまいました。

結局、その後も土日は阪大生命科学図書館(パルテノン)で勉強したり、何度か濱田研や生命機能研究科のイベントに足を運び「よしここでがんばろう!」と決意し、2006年2月の博士課程の編入学試験(修士時代の研究発表)を経て、脱サラ博士課程に進むことになりました。


生命機能での生活

阪大での4年間はほぼ毎日、こんなサイクルでした。

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昼前ラボ着。

実験する。

昼過ぎに、弁当かラボの先輩と学内食堂のくじらやでカレー大盛り生卵入り(たしか400円)を食べる。

実験する。論文チェックなど。

夜はラボでラーメンつくって食べたり、171沿いの王将などで晩飯。

実験する。

深夜帰宅。深夜番組見て寝る。

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夜通し朝まで顕微鏡に向かって胚発生の様子を観察した日もよくありました。

週末や祝日も何か特別な用事がない限り、4年間ほとんど休みませんでした。

これだけだと、なんて単調でつまらない!お前趣味とかないん?とか思われるような内容ですが、いいえ誰でも、本気でやってればこれが普通でしょう。

実験結果に一喜一憂、実験している合間のラボでの出来事などにキャッキャと年齢に似合わず常に笑いの絶えない空間だったので、全然苦になりませんでした。

典型的なサラリーマンみたいに、平日のストレスを土日で発散!という概念はまったくなく、日常が笑える出来事であふれていたのです。もちろん笑えない事件もありましたが。。。

他にも、運動不足な身体をほぐすリフレッシュの機会もありました。研究科内でフットサルを企画してくれている子がいて、2~3週に1回くらいの頻度で大学の体育館や阪大のすぐとなりにある万博記念公園でフットサルをしていました。また、研究科のソフトボール大会もあり、濱田研は弱かったのですが、みんなでワイワイ練習したりました。

これだとまるで小学生の日記のようですが、それはそれは楽しくとても内容の濃いものでした。

そんな楽しい生命機能ライフの中で学んだ一番大切なことは、やはり濱田先生の研究に対する考え方や姿勢です。

濱田先生は還暦を迎えられながらも、週末も休むこと無く毎晩深夜まで実験をされる先生でした。60歳を越えてもなお自身で手を動かし、前進し続ける姿勢はすさまじいと思いました。

これが継続的にトップレベルの研究水準を維持し続ける秘訣なんだろうと思いました。その迫力を目の当たりにして圧倒されながらも、憧れの存在として今も崇拝し続け、目標としています。

このように、単純と思われる日々の繰り返しの中で、楽しく研究に集中でき、いいお手本を見て、さらに大きな目標与えてもらいました。


生命機能のいいところ

阪大生命機能研究科はGCOEプログラムの一環で、海外のミーティングなどに参加する学生を積極的にサポートしています。

もちろん日々自分の研究室でしこたま考え、実験して、結果を出すことが一番大切なのですが、その成果を世に知らしめるのも大事なことです。一方で、研究費を持たない学生が、海外の学会に参加したり、研究室に滞在することは、経済的な理由からなかなかできることではありません。しかし、そういう問題を生命機能のGCOEはクリアしてくれました。

僕も、2008年と2009年にそれぞれ米国と英国で行われた国際学会で発表、また2010年には3ヵ月間、米国UCSFにある共同研究先で3ヵ月間実験する機会を与えてもらいました。

実際に多くの学生、研究員がこの恩恵にあやかっていることは、このホームページに掲載されている若手海外活動支援レポートをみれば、容易に想像できると思います。


後輩へのメッセージ

これは僕個人の勝手な意見ですが、僕の勤めていた阪急電鉄の創始者で宝塚歌劇団の父でもある小林一三翁の言葉に「清く、正しく、美しく」というのがあるのですが、そういう科学をめざしつつ、人間性は「明るく、楽しく、元気よく」ある阪大生命機能研究科であってほしいと思います。

「清く正しく美しく、明るく楽しく元気よく。」これまた小学校の教室とかに掲示されているような言葉ですが、これを心の中で念じて日々笑顔でがんばってください。研究は空回りする日だって、へこむ日だって、たくさんあります。でもそれに負けず、苦労を乗り越えて生命現象の「真理」を追究するには清い心をもって純粋に楽しむことが大切だと思います。

そして世界中の科学者から愛され信頼され続けるおもろいサイエンスが阪大生命機能から生み出され、それがみなさんの生命機能研究科にいたことの証しになることを期待しています。


あと、余談ですが、実は高校時代の僕にとって大阪大学は最も行ってはいけない(行きたくない)大学のひとつでした。

僕が言うのもなんですが、阪大はなんかダサい、変人ばっかり、と思っていて(実はその辺は東工大も似たようなものなのですが)、阪大は近場だっただけにその雰囲気がぷんぷんにおっていたからです。

でもそれは当時の僕があまりに無知で、阪大の研究レベルについて何も知らなかっただけなのです。ごめんなさい。

阪大の生物系は日本を代表する研究機関といっても過言ではありません。僕はそこで研究できたことを誇りに思い、そして今や阪大が大好きです。

今後もすばらしい人材が生命機能研究科に入って、研究を楽しみ、すばらしい卒業生が巣立ち、どこかで出会えることを願っています。